第111話 親に優る仏無しとはまことのことか

文字数 2,625文字

 第十八番札所

「シャム。この母養山 宝寿院 恩山寺は弘法大師さまがご母堂の玉依御前を女人禁制だった場所にお迎えするために瀧に打たれて秘法を付したというご孝養から恩山寺と名付けられたと…」
「モヤ」
「え」
「いいよ。解説しなくても」

 誕生日も名前もわからない状態で赤ちゃんポストに捨てられていたモヤ

 ご母堂どころかご非道の母親だろう

「シャム。シャムのお母さんは?」
「…」
「ごめん。言いたくないなら言わなくていい」
「モヤは母親のことを恨んでる?」
「恨むも何も実体がないから全く。それよりも助けてくれた人を恨んじゃってることがあるよ」
「あ…ああ…」
「わかってくれる?」
「うん」

 世の中で理不尽だって思うことには、分かるだけの十分すぎる知能があるのに分からないフリをする人間がいる。
 知るに足るだけの情報入手手段があるにもかかわらず知り得ないフリをする人間がいる。
 潤沢な資金を持っているにもかかわらず我こそはつつましく暮らさないと生活費にも事欠くから扶養はできないと言い募る人間がいる。

 もっと非道いことには

 自分の人類のための研究であなたも含む世を救わなくてはならないので扶養や介護は不要不急の些末なことだからあなたがやるべきだ、とストレートだろうと曖昧だろうと言葉を発した場合に猛烈な抗議を受けることが自分自身分かりきっているから、まず身勝手な既成事実として自称研究者になってしまって、あとはクレームすべき側に何を言っても無駄だとあきらめさせるまで時間切れを待つかのごとく自分の好きなことだけをほんとうにやり切ってしまう人間がいる。

 いるんだよ

「シャム。わたしは見たことも無い親よりも目の前にいて日々わたしを叱ってくれたり苦言を呈してくれたり…そうしてわたしが夢だけを語った時に『キミを支援するために苦しい生活の中からご寄付くださった方のお子さんたちが進学せず就職して働いているのにそれでもキミは進学するのかい?』って核心を言ってくれた人をねえ…恨んじゃってるんだよ」
「…うん」
「わたしを捨てた事情がどうとかそういうこと以前に、ほんとうに憎むべき相手じゃなくって、わたしのそばにいてくれてわたしを励ましたり慰めたり両親の代わりに撫でたり抱きしめたりしてくれてきたそのひとたちをさあ、憎い、って思ったりしちゃうんだよ!」

 たとえばいじめに遭った場合、本当ならばいじめを黙認するかのごとく根絶に動き出さない政治家を恨むのではなく、同じクラスの、ひょっとしたらココロの中では『かわいそうに』と思ってくれている子を傍観者と決めつけて恨んでいるかもしれない。

 介護に直接携わる地元に住む嫁に出した娘を小うるさい鬱陶しいやつだと恨み、都会地で暮らす長男と兄嫁は親と離れて生活が大変で内孫たちも苦しい親を助けているのだからかわいそうだと、地元に戻って跡を継ぐという選択肢を放棄したことをまるで免除してしまったかのように10年に一度帰って来たかと思えば寿司で歓待する。

 理不尽

 でも、わたしはそれでもモヤに言わなくてはならなかった。

「モヤ。嫌なら途中で『わーっ!』って暴れてね」
「へ」

 わたしは移動前のギャランのシートをフラットに倒した。
 つられてモヤも運転席をフラットに倒してふたりしてサンルーフのガラスの真上あたりにきた太陽に目を細める。

「わたしの…恩人がね…」
「シャムの恩人…」
「もしアンタさまが嫁ならば姑が仏壇に参るその背中から手を合わせてココロでこうつぶやけと。『わたしの寿命を差し上げてもよいですから姑を長生きさせてやってください』って」
「…」
「モヤ。ここからはわたしの解釈」
「うん」
「舅・姑に対してはまさしくかくの如し。もともとは他人だからね、善根をひたすら積む対象であって、『親に優る仏無し』っていうのは舅・姑に対しての言葉だって思ってる」
「あ、ふうん」
「じゃあ実の親に対しては?」

 お日様が高度を更に増したので、ふたりして目を閉じた。

 そうして眠りそうになるあの心地よさ…わたしにしてもこの気持ちいい感じは久しぶりだったけど、モヤに言ってあげた。

「互いに済度し合うことが本当の親から子への扶養義務。子から親への孝養」

 先達ドライバーのモヤが本来わたしに弘法大師の生い立ちなどを解説する立場かもしれないけれども、わたしはこの四国に来てから初めて縁のあったモヤのためになんとしても言ってあげたかった。

「弘法大師さまのご母堂、玉依御前は、我が子可愛いやの愚母じゃないよ」

 わたしは思うんだ

 子がもしも人をいじめる子に成り果てたとしたら、それは育ての親の失態

 恥辱

「モヤ。弘法大師さまはご幼名を『真魚』、まおさまとおっしゃって、ご自分が本当に仏さまの世界で生きる運命にあるのかどうかを知るために、崖から身をお投げになったんだよね」
「う、うん。シャム、お遍路のために、すごい勉強したんだね」

 ううん

 今、初めて知った

 誰かが、わたしにこの情報を電撃のようにして脳とココロにねじこんで来てくれた

 わたしは自動口述のように、反射で勝手にしゃべってるも同然だ

「モヤ。それでね、わたしがご母堂の玉依御前がすごいと思うのはね、飛び降りて木の枝に救われた弘法大師・真魚さまが、『天女さまが拾い上げてくださった』という話をまずそのまま信じてその後のさまざまな人生の岐路において仏門へ入るような道筋をサポートなさったことがまずひとつ」
「他には?」
「要は弘法大師さまは『自殺未遂』をなさったわけでしょ?その事実を玉依御前さまはヒステリックになったりせずに極めて冷静に事実として受け止めて、ほんとうに弘法大師さまが世を救う道がなんだろうかということを冷静に見極められたんだよ」
「!」
「愛だとか情だとか、母親の優しさだとかそんなレベルの話じゃない。子が本当に充実した満足のいく人生を歩めるかどうかの答えは、母心なんていう狭量な愛情なんかじゃなくって、仏さまのココロ…仏心でしか切り拓けない、ってご存知だったんだよ」
「シャム…」
「モヤ。あなたのご両親がどんな事情であなたを捨てたのかはわからない。でも、あなたを拾ってくれたその高野山のご坊さまと、あなたが育った施設のひとたちやずっと関わってきた人たちは、きっと仏心であなたを養育しようとなさったんだね」
「ああ…」
「モヤ。だからわたしはあなたにこんなにも好意を抱いてるんだろうと思う」

 これはほとんど告白みたいなホンキでモヤに言ってあげた。
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