第110話 ダブルミーニング寺?
文字数 1,881文字
おいどを掘る
「シャム。この第十七番の井戸寺のこのお井戸はねえ、弘法大師さまが錫杖でお掘りになったんだって」
「モヤ。おいど?」
「おいど…あっ、シャムがそういう西側の言い回しを知ってるとは思わなかった」
「西側、っていうと冷戦時代みたいな言い方」
おいどを掘る
「わたしは弘法大師さまがお掘りになったありがたい井戸だから『お井戸』って尊称したけど、シャムが言うおいどって『御居処』のこと?」
「うん」
「つまりはおしりのこと?」
「うん」
おいどを掘る
わたしが西側の人間かどうかと言ったら西寄りの人間ではあるだろう。少なくとも東側にある京に住まう都会人ではないから。
モヤはおそらく京都で産み落とされて赤ちゃんポストに捨てられ、そうして徳島の仏様の膝に抱かれる施設で育った。
『おいどを掘る』の『掘る』がおいどをどのような意味の単語にとらえるかによってまったく違うシチュエーションになるんだろうけど。
「モヤ。言っとくけどわたしふざけてるわけじゃないからね」
「うん。分かるよ。シャムはまじめだよ」
「ありがとう」
弘法大師さまが修行して全国を巡りながら井戸を掘って清潔で安全な水を民衆に供給し給うたことはわたしなんかが想像することすら畏れ多い大慈悲・大功徳なんだろうね。
そしてそのお井戸を『おいど』とかけて、更に『掘る』までかける。
「モヤ。ダブルミーニングって分かるよね?ダブルミーニングの歌詞の歌って何か知ってる?」
「うん。RCサクセションの『雨上がりの夜空に』でさ、『こんな夜に発車できないなんて』は『こんな夜に発射できないなんて』をかけてるし『お前に乗れないなんて』も『お前に乗れないなんて』にかけてる、って字面は後者は完全一致か」
「モヤ。どうしてモヤは19歳なのにRCサクセションの歌を知ってるの?」
「シャム。じゃあどうしてシャムもほとんどわたしと同じぐらいの歳に見えるのにRCサクセションを知ってるの?」
話が平行線になりそうだったからわたしは自分から歌い出したよ。
雨上がりの夜空に、を。
「モヤ。じゃあついでに訊いていい?」
「いいよぉ」
「『雨上がりの夜空に』をリスペクトした漫画のタイトルって知ってる?」
「『風呂上がりの夜空に』でしょ?」
「せ、正解!モヤどうして古き良きその漫画を知ってるの!?」
「古くないよ。古くないし、むしろ今の感覚に近いとすら思ってるよ」
「たとえばどんなところが?」
「ジャージやスウェットにサンダル履きとかかかとを潰したデッキシューズとかいうファッションが…ううん、着衣の感覚がそもそも」
「モヤってほんとにレディースのヘッドだったの?」
「もちろん。写真観る?」
「…ううん、いい…」
モヤと話しながらわたしは脳の前頭葉のあたりにイメージをできるかぎり詳細に繊細に微細に浮遊させたよ。
「ああ、わかったよ、シャム。そのひともお井戸を掘ってたんだよね」
「正確に言えば自ら井戸を掘ることによって現地の人たちにも井戸を掘る意意思を周辺のひとたちに浸透させて強制でも打算でもなく、徹頭徹尾『神様のお思いのままに』と四肢と体幹とを使い果たす勢いで赴任した国のおいど掘りに情熱と生身の体を捧げた日本人の誇り」
言い過ぎかな?
ううん、まだまだ足りないぐらいだ。
モヤとふたりで井戸寺の近辺を散歩しながら
ちなみに散歩を訓読み表記すると『そぞろあるき』となるはずだ。
絶対そのはずだ。
「ねえモヤ。そのひとが井戸を掘ったのと弘法大師さまが井戸をお堀りになったのとどちらが大功徳かな?」
「同じ」
「えっ」
「弘法大師さまも、その海外に捨て身で乗り込んでいって清らかで安全な水をその国の人に授け給うてそうしてバズーカに撃たれて死したひとも日本の誇り。偉大なる功労者だよ」
モヤも同意してくれた。
その上で
「シャム」
「なに」
「ほんとはシャムも井戸を掘れるんでしょ」
「おいど?それともおいど?」
モヤはわたしの決してふざけてやっているわけじゃない返しにやっぱり真摯に応答してくれて、エンジンがイカれているわけじゃなくモヤの細心のチューニングが施されたギャランに乗せて貰い次のお寺に移動する間にわたしは更にこう考えた。
寒い大陸の寒い大国がもっと寒い隣国から暖炉の火を奪った。
安全を奪った。
大志を奪った。
でもそうならば今こそ見てほしい。
異国の地のためにおいどを掘ったひとたちの偉業を。
ジャキ、と錫杖で水脈をお当てになる弘法大師さまと同じ志で異国の井戸を掘り続け砲火に死したその人に免じて、cease fire を
なにとぞなにとぞ、世に平和を
戦火よ、鎮まり給えよ
「シャム。この第十七番の井戸寺のこのお井戸はねえ、弘法大師さまが錫杖でお掘りになったんだって」
「モヤ。おいど?」
「おいど…あっ、シャムがそういう西側の言い回しを知ってるとは思わなかった」
「西側、っていうと冷戦時代みたいな言い方」
おいどを掘る
「わたしは弘法大師さまがお掘りになったありがたい井戸だから『お井戸』って尊称したけど、シャムが言うおいどって『御居処』のこと?」
「うん」
「つまりはおしりのこと?」
「うん」
おいどを掘る
わたしが西側の人間かどうかと言ったら西寄りの人間ではあるだろう。少なくとも東側にある京に住まう都会人ではないから。
モヤはおそらく京都で産み落とされて赤ちゃんポストに捨てられ、そうして徳島の仏様の膝に抱かれる施設で育った。
『おいどを掘る』の『掘る』がおいどをどのような意味の単語にとらえるかによってまったく違うシチュエーションになるんだろうけど。
「モヤ。言っとくけどわたしふざけてるわけじゃないからね」
「うん。分かるよ。シャムはまじめだよ」
「ありがとう」
弘法大師さまが修行して全国を巡りながら井戸を掘って清潔で安全な水を民衆に供給し給うたことはわたしなんかが想像することすら畏れ多い大慈悲・大功徳なんだろうね。
そしてそのお井戸を『おいど』とかけて、更に『掘る』までかける。
「モヤ。ダブルミーニングって分かるよね?ダブルミーニングの歌詞の歌って何か知ってる?」
「うん。RCサクセションの『雨上がりの夜空に』でさ、『こんな夜に発車できないなんて』は『こんな夜に発射できないなんて』をかけてるし『お前に乗れないなんて』も『お前に乗れないなんて』にかけてる、って字面は後者は完全一致か」
「モヤ。どうしてモヤは19歳なのにRCサクセションの歌を知ってるの?」
「シャム。じゃあどうしてシャムもほとんどわたしと同じぐらいの歳に見えるのにRCサクセションを知ってるの?」
話が平行線になりそうだったからわたしは自分から歌い出したよ。
雨上がりの夜空に、を。
「モヤ。じゃあついでに訊いていい?」
「いいよぉ」
「『雨上がりの夜空に』をリスペクトした漫画のタイトルって知ってる?」
「『風呂上がりの夜空に』でしょ?」
「せ、正解!モヤどうして古き良きその漫画を知ってるの!?」
「古くないよ。古くないし、むしろ今の感覚に近いとすら思ってるよ」
「たとえばどんなところが?」
「ジャージやスウェットにサンダル履きとかかかとを潰したデッキシューズとかいうファッションが…ううん、着衣の感覚がそもそも」
「モヤってほんとにレディースのヘッドだったの?」
「もちろん。写真観る?」
「…ううん、いい…」
モヤと話しながらわたしは脳の前頭葉のあたりにイメージをできるかぎり詳細に繊細に微細に浮遊させたよ。
「ああ、わかったよ、シャム。そのひともお井戸を掘ってたんだよね」
「正確に言えば自ら井戸を掘ることによって現地の人たちにも井戸を掘る意意思を周辺のひとたちに浸透させて強制でも打算でもなく、徹頭徹尾『神様のお思いのままに』と四肢と体幹とを使い果たす勢いで赴任した国のおいど掘りに情熱と生身の体を捧げた日本人の誇り」
言い過ぎかな?
ううん、まだまだ足りないぐらいだ。
モヤとふたりで井戸寺の近辺を散歩しながら
ちなみに散歩を訓読み表記すると『そぞろあるき』となるはずだ。
絶対そのはずだ。
「ねえモヤ。そのひとが井戸を掘ったのと弘法大師さまが井戸をお堀りになったのとどちらが大功徳かな?」
「同じ」
「えっ」
「弘法大師さまも、その海外に捨て身で乗り込んでいって清らかで安全な水をその国の人に授け給うてそうしてバズーカに撃たれて死したひとも日本の誇り。偉大なる功労者だよ」
モヤも同意してくれた。
その上で
「シャム」
「なに」
「ほんとはシャムも井戸を掘れるんでしょ」
「おいど?それともおいど?」
モヤはわたしの決してふざけてやっているわけじゃない返しにやっぱり真摯に応答してくれて、エンジンがイカれているわけじゃなくモヤの細心のチューニングが施されたギャランに乗せて貰い次のお寺に移動する間にわたしは更にこう考えた。
寒い大陸の寒い大国がもっと寒い隣国から暖炉の火を奪った。
安全を奪った。
大志を奪った。
でもそうならば今こそ見てほしい。
異国の地のためにおいどを掘ったひとたちの偉業を。
ジャキ、と錫杖で水脈をお当てになる弘法大師さまと同じ志で異国の井戸を掘り続け砲火に死したその人に免じて、cease fire を
なにとぞなにとぞ、世に平和を
戦火よ、鎮まり給えよ