第127話 一週間でも縁のたとえ

文字数 2,556文字

 南無大師遍照金剛、のお遍路の道中もこれで約1/3

 第二十八番札所 法解山 高照院 大日寺

 モヤと高松空港で出遭ってからひたすら四国八十八ヶ所の寺院を巡ってきたけども、日数にしたらそんなでもない

 だけどもモヤとは深い因縁があるのはこの前のお寺の石段に続くお庭を観て思い出したとおりだよ

 たとえ一週間でも縁があるときはあるものさね

 これってわたしが過去世のある時にお年寄りから聴いたエピソード

 不倫、の話なんだけどね

「シャムって彼氏に尽くすタイプ?」
「今は彼氏いないから」
「ふ。昔のこと、教えて」
「…割と一貫して淡白かな。多分尽くされたら相手も重いと思うんだよね」
「ああ、なんとなくわかる」
「で?モヤは?」
「…尽くしてたかな」
「たかな?」
「うん。もう恋愛はいいかな、って感じの恋愛したから」
「そう」
「あれ?訊き出そうとしないの?」
「学生じゃないから。大人だから。任せるよ」
「、とね。わたしが本命じゃなかったんだよね」
「そっか。それってレディースの時?」
「うん。シャム。わたしね、一回堕ろしてるんだ」
「そう。モヤ。無理しなくていいよ」
「ううん、いいの。シャムなら」

 女冥利に尽きるよね
 用法がおかしいと指摘する人がいるかもしれないけど、わたしはモヤにこそ女冥利を尽くしてあげたい

「不倫、だったんだよね。わかってたんだけど、気持ちを抑えきれなかった」
「相手はモヤがヘッドだって知ってたの?」
「わからない。鈍いひとだったから。だから避妊もきちんとできなかったのかも」
「もしかして…モヤの方から身籠るように?」
「うん。当たりだよ、シャム…軽蔑する?」
「モヤ。この話ってわたしが過去世で訊いた話なんだけどね。それで過去世でも何度も大切なひとにしてあげた話なんだけどね」
「聴かせて」

 それは単身赴任している勤め人の男と赴任地で自分のバーを若くして持ち得た女の話

 男には妻子があってね
 もともと単身赴任する前から男は恒常的に体調が優れなくて多分既に罹患してたんだろうね

 赴任地で栄養が偏って余計に悪化させたらしいんだ

 でね、その男が業界の会合の帰りに女のバーに寄ってさ

 最初は彼女のことを男だって思ったらしいよ

「え、なんで?」

 モヤ、彼女はね、バーテンダーの世界大会で優勝を目指してホンキでバーテンやってたんだ。自分の容姿があまり女子としては受け入れられないってことを子供の頃から思い知らされるような出来事を重ねてきててね
 まあ、いじめに遭ってたんだけどね

 それで彼女はオーナーとして自らカウンターに立ってシェイカーを振ってたんだけど、髪型はオールバック

 白のシャツに黒のタイ、黒のスラックス、鏡面じゃないかと思うほど磨き上げられたエナメルの靴

 その男はね、彼女が仮にホンモノの男でもいいって思うぐらいに一目で惚れたらしいよ

「そうなんだ。それで?」

 その日の内にふたりは『そう』なった

 別に『そう』ならなくてもよかったんだけど、男はね、彼女がそういうことを一度もしたことがないことをとても悲しく思ったらしい
 キスすらしたことがないってことを

 だから、愛とか情とかいう感じともまた違ったみたい

「へえ。いい男だね」

 でも三日しないうちにね、男は血を吐くんだ

 彼女は男に付き添って病院に行ってあげたんだけど、もう無理だ、って医者に言われてね

 今だったらスマホもあってLINEでもなんでも顔を見ながら話すことすらできるけど、その当時は国内の単身赴任だったとしても家族とまともに電話することすらままならない

 しかも、どういうわけか、男は生まれて初めて奥さん以外の女性に触れた

「え。どういうこと?」

 その男はね、奥さんしか女を知らなかったんだ

 その男がキスしたことがあったのも奥さんだけ

 だから、ほんとうのほんとうに、そのバーのオーナーの彼女を慈しんだ上での覚悟ある行為だったと思うよ

 で、家族と連絡を取ることも男のある意味几帳面さから憚られて、ひとりで死を畏れた

 ってなるはずだったところをその彼女はね

「いいですよ、一緒でも」
「あ。モヤ…わかるんだ」
「うん」

 モヤが彼女の言った言葉を一言一句違わずに告げたあとで、もう一度その言葉を繰り返した

「いいよ、一緒で」

 モヤも、そうだった

「でね、モヤ。その男は一ヶ月経たないうちに死んだよ」
「そう」
「彼女はね、奥さんに連絡をとった。手紙でね」
「シャム。もし文面を知ってたら、教えて」

 拝啓
 
 わたくしはあなた様のご主人と、亡くなられる寸前まで一緒に居た者です

 奥様にはどれだけ頭を下げても決してお許しいただけないことをわたくしはいたしました

 ですがどうしてもご主人のお骨を奥様にお届けしなくてはならないと、こうして筆を取った次第です

 打擲されても構いません

 どうか、わたくしがお骨をお届けすることをお許しください

「返事はこなかったよ。半年」
「半年」
「その間、彼女は仏前に花を絶やさず、毎朝炊き立ての白米の上の一番ふっくらした箇所を仏に捧げ、一心に仏説阿弥陀経を称えていたんだって」
「それで?」
「半年過ぎて、硬い筆跡の手紙が届いた。男の子供たちから。兄と弟の連名の手紙でね、筆跡は兄のもの」
「なんて?」
「『父の最後の日々に一緒にいてくださってありがとうございました』と」
「ああ…」

 モヤが、一瞬で涙をこぼしたよ

 嗚咽すらできずに、肩甲骨をぎゅうっと縮めて、上半身が彫像のように固まってしまうぐらいに

「シャム。遭えたの?」
「うん遭えた。でも奥さんと遭うにあたっては、そのひとがいないと無理だった」
「そのひと?」

 この話の中で不思議なのは男でも彼女でもならぬかんにんをする子供たちでもなかったんだ、実は

「仏説阿弥陀経を教えたのが、そのひとなんだ」

 おばあさんの姿

 てぬぐいを頭に巻いて、畑仕事から戻ったままの姿で法の話をしたという

「そのおばあさんがふたりを?」
「うん。死を畏れるふたりのために、法話を」
「どうして」
「そのおばあさんの孫娘さんがね、『おばあさま。どうして不義を働くふたりを家に上げるの?』って訊いたらね、『ばかめ。たとえ一週間でも、仏の縁だぞいね』と」
「ああ…シャム」
「うん」
「わたしは…わたしはどうだったんだろう?」
「モヤ」
「はい」
「あなたも仏縁だった」

 モヤを、もっと泣かせてしまった
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