第134話 コンゴウリキシ・ツイン・タワー

文字数 1,476文字

 第三十二番札所 八葉山 求聞寺院 禅師峰寺

 今拝ませていただいたばかりの金剛力士像がまぶたを開けて閉じるごとに右瞼には阿のお姿、左瞼には吽のお姿がミリ単位で再現されてかつての映画フィルムのような小刻みな振動をもってずっと映っている

 モヤはギャランを停めた

「ごめん、シャム。とても運転できない」
「そう」

 特に手のひらのあの反らしようが

「ハンドルを握ってても、気がついたらわたし自身の手をあの形にしようと突っ張って、無理」
「はいモヤ」

 コンビニの駐車場で鉄柵によりかかる彼女にわたしは缶コーヒーをわたしてあげた

 冷たいの

 ペットボトルじゃだめ

 缶でないと

「シャムは耐えられる?」
「ああ、手を?」
「うん。どんなに手のひらの筋肉を弛緩させておこうとしてもあの力の入り具合を見るとつられてしまう」
「耐えることはできないけど」

 わたしはモヤにもうひとつ渡してあげた

「逸らすことはできるよ」

 ウォレット・サイズの、ラミネートでシールドされた絵

 図画工作で描くような少し幼いけれどもシンプルで誰が観ても間違いようのない絵

「炎魔大王」
「うん。ほらこれみて」

 モヤにその文言を読み上げさせた

「炎魔帳につけ漏れなし」
「どう?」

 直感でいいから

 あなたも考えてみて?

 さあ、どっち?

「恐ろしい」
「そうだよね」

 わたしがこのラミネートの絵と出遭ったのはわたしが過去世で訪れたお寺

 山門に木彫りの金剛力士像が

 ‘炎魔帳につけ漏れなし’
 
 その文言を観てね、観ておる・聴いておる・知っておる、っていう言葉が地の底か、あるいは曇天の天空から湧くか降るかしてくるような心地だったよ

 けれどもね

「地獄の只中にいる子にとって、これは救い」
「え?」
「モヤ。わたしはこの世の地獄というものを容易に列挙できる。ある数まではね。いくよ」

 眼で頷くモヤにわたしは息継ぎせずに喋った

「いじめ 戦争 虐待 天災 犯罪被害 難病 介護放棄 借財の保証人 冤罪 人種差別 障害 愛憎 怠惰 飢餓 殺生 痒み 火炎 讒言 弛緩 緊張 DV 汚職 悪政 国賊 放逸 悪鬼 偽善者 知らぬが仏 謙譲 虫の苦しみ 肉の苦しみ 認知症 精神疾患 幸福」
「いまなんて」
「幸福」

 モヤは瞬時に理解した

「幸福は、地獄?」
「意味わかる?」
「うんわかる」

 モヤは言い放った

「幸福は不幸がないと発生しない」

 僻みと取られてもいいよ

 妬みと取られてもいいよ

 嫉みととられようが

 言いがかりととられようが

 これが1ミリもわからない人間には

 そもそも幸福になる資格がない

「だからなんだね」
「うん多分」

 わたしもまだ断言はできないけれども、ある程度は事実

 ある程度はそれこそが救済かもね

「炎魔帳につけ漏れ無いのは、自ら『損な方』を選び続けたひとの、その回数」
「そうだよ」
「悪事や善行だけでなく、そもそも得を『選ばない』その回数」
「そうだよ」

 子供みたいな単純な例ととらないでね

 電車の中で最初から立ってるひと

 最初から『座席を得る』ことをそもそも選ばないひと

 おそらくそのひとは、戦争が起きて食糧の配給があればなんとなく列の最後尾についてしまい

 それどころか遅れて来たひとに『どうぞ』と声をかけて譲るのですらなく、『あ、そういえばちょっと用足しがあったんだった』と思い出したようなそぶりでその場を離れて遅れて来たひとが気兼ねなく自分のいた順番に並べるように仕向けて、そうしてずっと時間が経ってからまた最後尾に戻って並ぶ

「観ておる・聴いておる・知っておる。そもそも善どころか悪どころかハナから全てを明け渡している人間をね」

 漏らさずつける






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