第50話 メランコリック・トランキライザー

文字数 1,718文字

 敗れし兵士を負け犬と呼ぶことは容易(たやす)いけれど、ならばわたしはキミに問おう

 キミは何に勝ったっていうのさ?

「朝と夕とどちらが飲みやすいですか?」
「夕方」

 このやりとりに何か深い意味があるわけじゃないだろう。けれどもわたしのとてもセンティメンタルな脳内演出によればメランコリー親和型というのはとても文学的で懐かしさと切なさを誘う表現ではあるんだ。

 メランコリーは直訳すると『憂鬱』や『うつ病』っていう意味だからまさしくわたしの

の状況に極めて漸近していたろうと思う。

 そして、アンケートの項目には『希死念慮』という四文字熟語(?)が並んでいて、『死にたくなる時はあるけれども本当に死のうとはしないだろうと思う』なんていう選択肢が上から二番目にあったりする。

 死にたくなる時はあるけれども本当に死のうとはしないだろうと思う、ってなに?

 もし死にたくなる気持ちがその瞬間最大値をわずか0.1秒の間に記録したのだとしたら、本当に死のうとはしないだろうと思う、なんていう曖昧な意思よりも遥かに強固な意思として死んじゃうんじゃないの?

 その瞬間が大橋のど真ん中の辺りにある、わざわざ欄干を前に半月状に突き出して、下の水位が下がった状態の中洲のあたりが丁度わたしが身をせり出して15mほど真下にその中程度の大きさの石でほぼ揃えられている河原石にダイビングしたらどうなるかな。

 映画や漫画だと、完全に欄干の上に立って、そうして両手を左右水平に広げて足首を軸にして前方に、ふうっ、と倒れ込むようにして落下していく。

 けれどもわたしはそれが怖くて欄干の上に腰掛ける

 怖いけれども足をプラプラさせる

 今日に限ってサンダルばきだったので、右足のを落としてみた

 見事に真下に

 見事に真下にソールと河原が平行のままに距離が縮まっていって

 河原石にパシン、って水面にぺたんこのお腹を打つみたいにほんとうに真っ平に落ちたよ

 さあ、気持ちわかってくれるでしょ

 左足のサンダルをそのままにしておけるほどわたしは強固な意思の持ち主じゃない

 ほら、わかるでしょ?

 スマホを持ってたらどうしてか海に投げ捨てたくなってしまうようなあの感覚が

 だから左足のサンダルも右とおんなじにして真下に落としたら、気持ちよく、パシン、て音がしたよ

 さあわたし本体はどういうのがいいのかな?

 ここへ来て脳を使って思考する

 ほんとうのわたしは思考する仕事じゃなくって、錯誤する仕事を常とするはずの人間なんだけどな

 そう子供の頃からずうっと思ってたのに、いつの間にかあんな風になってさ

 それを思い出したらこう言ってた。

『やーめた』

 そう言ってわたしは背中から大橋の歩道側に倒れ込むように真似だけして歩道に足から着地してね

 歩道の地肌は丸砂利をコンクリートで固めたやつだからね、足裏にその刺激を少し性的刺激みたいな気持ちよさで感じながらね

 裸足で大橋の上を歩いたんだよね

「死にたいと思うことは?」
「あります」

 わたしは医師の一問一答に端的に答える

 それからこう付け加えた

「でも多分ほんとうには死なないと思います」

 医師はわたしにトランキライザーをくれた

 ううん、正確には医師がくれるわけじゃなくって、医師はわたしにそのトランキライザーの種類をなんだかコンパクトな英英辞典みたいなすり減った表紙の本を開いて錠剤の説明をする

「これは薬の商品名で、薬そのものの名前はこれで、処方箋そっちの方で書いとくからね」

 だから薬を実務としてくれるのは薬局。もっというとフランチャイズのドラッグストアの処方部門

「ジェネリックでもいいですか」
「どうでもいいです」

 そう答えるわたしに薬剤師が言ったのはね、

「今回は気分が塞ぎ込むということで。お見舞い申し上げます」
「・・・・・・どうも。恐れ入ります」

 そうしてわたしはやっぱり歩いて帰るその道の途中でね、こう感じたんだ。

『死にたいと思うことは?』って訊いてわたしの答えが『でも本当には死なないと思います』っていうなんの根拠もないその言葉だけをカルテに書き残して後はわたしの自己責任だと割り切って次の患者の診察に移る。

 そうでないと医者は勤まらないのかもしれないとは思ったよ

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