第87話 探偵物語のものがたり
文字数 3,235文字
「え。探偵、ですか?」
「そう。捨無 さん、どうかな?」
「…やってみます」
わたしの勤める事務所の上司である源田 さんが休職中の定期面談ということで言夢 の家の近くの喫茶店まで来てくれた。本来は給与の支払いが何割に減額されるとか有給休暇の利用をどうするかとか通勤用の公共交通機関の定期券の更新をどうするかとか労務面の事務確認のみが一般的で、業務そのものに関する話題は病状に差し障るので(というか普通は仕事そのものが発症の大きな原因なので)しないんだけど、源田さんの言った『探偵』というのはアルバイト的な業務の話だった。
「なになに?探偵!?」
おせっかいにも同席してくれていたゲンムがすぐに好奇心を示す。
「シャムの会社ってそんな仕事してんのか?」
会社…か
わたしの職場をそう呼んでいいとしたらほぼ全ての職業が仕事として成り立っちゃうだろうな。
わたしがぼうっとそんなこと考えてたら源田さんがゲンムにLINEで話しかけた。
「ゲンムさん。シャムさんはまだ療養中ですから気晴らし程度に期限もないマイペースなゲームみたいな仕事と考えてわたしがアレンジしてみたんです。もしよかったらゲンムさん、アルバイト料をお支払いしますのでシャムさんと一緒にやってみませんか?」
「や、やる!」
ということでわたしとゲンムは早速ゲンムのお父さんから借りたワゴンを路肩に停めて夕暮れの住宅街で張り込みをしている。
わざわざアンパンと紙パック牛乳をコンビニで買って。でもそうしたら『アンパンと牛乳は刑事だ!探偵じゃない!』と叱られてしまった。じゃあ探偵はなんなんだと訊くと、『出先でもドリップしたコーヒーをカップに注ぎ、香りを嗅いだジェスチャーをして口に含んだ途端に噴き出すんだ!』だって。
ゲンムはほんとうに女子高生の世代なんだろうか。
「シャム。動かんな」
「そりゃあドラマや映画みたいにはいかないよ。大体もしかしたらまだ仕事から戻ってないかもしれないし」
「いや。在宅中だってことは確認済みだ」
「え。ゲンム、どうやって?」
「ほら、あのLEDの街灯、丸い形してるだろ?」
「うん」
「朝、あのライトをスマホのカメラで撮影してさ。そんでそれを拡大補正したら、ライトの表面に湾曲した形だけど鮮明にターゲットが映ってた」
「うわ」
なんだかほんとのミステリ小説ぽいディテール。
「便座に座ってな。観たくないものまで鮮明に映り込んでしまってたがな」
思わずわたしは訊いてしまった。
「ゲンムは家族で暮らしてるからお父さんの、その…は観てるわけでしょ?」
「アホか!そんなの小説の単なるテンプレだ!」
まあとにかくセンターロックのマンションだから一階のエントランスから出てこない限りターゲットは中に居るということになる。そしてゲンムが在宅の確認をしたのが朝8:00ぐらいで今夕方の5:00だから9:00間びっちり張り込んでるわけだけど。
「ゲンム。こんなに急いで張り込みとかしなくてよかったのに。源田さんもヒマで天気のいい日に散歩がてら、って言ってくれたんだから。あ。ゲンム、もしかして」
「な、なんだよ」
「さては、楽しんでるな?」
「わ、悪いかよ!わたしは探偵になりたいんだよ!」
「え」
「松田優作の探偵物語っていうドラマが昔あってな。それがもう最高にかっこいいんだよ。だからわたしは支援学校卒業したら探偵事務所を開くんだよ!」
「アンパンへのダメ出しエピソードでうっすら分かってはいたけどそれって、真剣?」
「ああ。そんでな、事務所には革張りのソファを置いてな、そこにわたしは、どっか、と足を投げ出して座ってな。毎晩帽子を目深に被ってそこで寝るんだよ」
「…厨二病だなあ…」
「い、いいだろ別に!そんでわたしが探偵物語と違ってオリジナルなのはなあ、ソファの横にさりげなくドラムキットが置いてあるんだよ。そんで難事件にぶつかったらドラムを叩いて推理するんだよ!」
源田さん、ひょっとしたらゲンムのこのわたしすら知らなかった偏愛を察知してたんじゃ…
ゲンムの徹底ぶりはものすごくて、ゲンムのご両親が心配するから一旦帰ろうって言ったんだけどせっかくターゲットがそこに居るのが分かってるのに今更帰れないと言って車中泊することになった。
「シャム。ところでターゲットは何者なんだ」
「わからない。源田さんからはただ単に602号室に居る男がエントランスから出てきたところを写真に撮って、としか」
「顔もわからないのに?」
「それがねえ。出てきたら嫌でもわかるって源田さんが」
「よほど特徴がある顔ってことか?すごく面白い顔とか?」
「ゲンムの撮った写真でわからないの?」
画像を見せてもらったけど、さすがにLEDライトの表面に映った便所の中の写真では顔までは判別できなかった。
「じゃあ、拝顔してのお楽しみということで」
「ああ」
一応シートを倒して交代で仮眠はとってみたけどワクワクしどおしのゲンムは眠れないみたいでやたらとわたしに話しかけてくる。
手話の手の音がブンブンいうぐらいにはしゃいでるからこっちも眠れない。
「なあ、シャム」
「…なあに?…」
「わたしは将来探偵になるけど、シャムは将来なんになるんだ?」
「えっと。休職中ではあるけどまだクビにはなってないよ?」
「そうじゃない、職業の話じゃないんだ。どうなりたいのか、って話なんだ」
「どうなりたいか…?」
どうもこうもない。
なんとかなりたい。
その時だったよ。
「あ!来た!」
ゲンムがものすごい手の動きでわたしに手話で怒鳴りつけた。こういう時お互い無声で手話だと相手に気づかれなくて都合がいいね。
わたしはハイブリッドのワゴンを、エンジンに切り替わらないようにアクセルを慎重にゆっくりと踏み込んで、ほぼ夜明けのタイミングでエントランスから出てきた男の横にほぼ無音のモーター駆動で車を寄せる。
ゲンムがドアウインドウを静かに何回かに分けてdownのボタンを押して下げる。
男のほぼ真横に来た瞬間、スマホのシャッターを押した。
キャシュ!
シャッター音と同時に、ボ、とフラッシュがまたたいて。
わたしはその男のことを源田さんが言っていたとおり一発で認識した。
「しょ、所長!?」
「シャ、シャムさん!?」
「浮気男はこいつかあ!?」
とにかくわけがわからないけど、源田さんはわたしの唯一にして絶対の上司だ。
言いつけのままに所長の写真をLINEで送信した。5秒で返信が来た。
源田:シャムさん、お疲れ様。これで所長の潔白が証明されたわ
シャム:??マンションから出てきたんですよ?
「ここはわたしの自宅だ」
「えっ」
ゲンムが手話で所長に怒鳴りつける。
「愛人宅だろ!?」
所長はゲンムの迫力に思わずそれが手話であることを忘れて手話など知らないのに裏返った声で返事を返す。
「だ、誰が愛人宅だって!わたしは独身でここで一人暮らしだよ!」
源田さんから追加のLINEが入った。
源田:シャムさん。うちの会社では抜き打ちで社員の居住場所のチェックをするのよ。通勤手当の申請を誤魔化していないかってね
シャム:それを源田さんが?
源田:え、ええ…まあ…
「シャムさん」
所長がもういいだろうという感じで源田さんからのLINEを見ながらわたしに白状してくれた。
「源田さんはウチの会社の取締役だ」
「えっ」
わたしは、ぽけー、と所長を見つめる。ゲンムも同じ間隔で見つめる。そしてわたしは思わず訊く。
「で、でも、所長は『所長』じゃないですか!?源田さんは『主任』ですよ!?」
「いや、彼女の方が職階は上だ。というか経営サイドだからね。こういう監査・管理業務も兼務しておられるのさ」
「で、でも、どうして取締役なのにこんな小さな営業所に?しかも管理職でなくプレーヤーとして」
「シャムさん。顧客サービスの最前線の現場をこそ経営者が詰めねばならない職場だとは思わないか?」
「はあ…」
ゲンムがわたしに言った。
「シャム。前言撤回するよ。こんな面白い会社、辞めちゃダメだ」
「そう。
「…やってみます」
わたしの勤める事務所の上司である
「なになに?探偵!?」
おせっかいにも同席してくれていたゲンムがすぐに好奇心を示す。
「シャムの会社ってそんな仕事してんのか?」
会社…か
わたしの職場をそう呼んでいいとしたらほぼ全ての職業が仕事として成り立っちゃうだろうな。
わたしがぼうっとそんなこと考えてたら源田さんがゲンムにLINEで話しかけた。
「ゲンムさん。シャムさんはまだ療養中ですから気晴らし程度に期限もないマイペースなゲームみたいな仕事と考えてわたしがアレンジしてみたんです。もしよかったらゲンムさん、アルバイト料をお支払いしますのでシャムさんと一緒にやってみませんか?」
「や、やる!」
ということでわたしとゲンムは早速ゲンムのお父さんから借りたワゴンを路肩に停めて夕暮れの住宅街で張り込みをしている。
わざわざアンパンと紙パック牛乳をコンビニで買って。でもそうしたら『アンパンと牛乳は刑事だ!探偵じゃない!』と叱られてしまった。じゃあ探偵はなんなんだと訊くと、『出先でもドリップしたコーヒーをカップに注ぎ、香りを嗅いだジェスチャーをして口に含んだ途端に噴き出すんだ!』だって。
ゲンムはほんとうに女子高生の世代なんだろうか。
「シャム。動かんな」
「そりゃあドラマや映画みたいにはいかないよ。大体もしかしたらまだ仕事から戻ってないかもしれないし」
「いや。在宅中だってことは確認済みだ」
「え。ゲンム、どうやって?」
「ほら、あのLEDの街灯、丸い形してるだろ?」
「うん」
「朝、あのライトをスマホのカメラで撮影してさ。そんでそれを拡大補正したら、ライトの表面に湾曲した形だけど鮮明にターゲットが映ってた」
「うわ」
なんだかほんとのミステリ小説ぽいディテール。
「便座に座ってな。観たくないものまで鮮明に映り込んでしまってたがな」
思わずわたしは訊いてしまった。
「ゲンムは家族で暮らしてるからお父さんの、その…は観てるわけでしょ?」
「アホか!そんなの小説の単なるテンプレだ!」
まあとにかくセンターロックのマンションだから一階のエントランスから出てこない限りターゲットは中に居るということになる。そしてゲンムが在宅の確認をしたのが朝8:00ぐらいで今夕方の5:00だから9:00間びっちり張り込んでるわけだけど。
「ゲンム。こんなに急いで張り込みとかしなくてよかったのに。源田さんもヒマで天気のいい日に散歩がてら、って言ってくれたんだから。あ。ゲンム、もしかして」
「な、なんだよ」
「さては、楽しんでるな?」
「わ、悪いかよ!わたしは探偵になりたいんだよ!」
「え」
「松田優作の探偵物語っていうドラマが昔あってな。それがもう最高にかっこいいんだよ。だからわたしは支援学校卒業したら探偵事務所を開くんだよ!」
「アンパンへのダメ出しエピソードでうっすら分かってはいたけどそれって、真剣?」
「ああ。そんでな、事務所には革張りのソファを置いてな、そこにわたしは、どっか、と足を投げ出して座ってな。毎晩帽子を目深に被ってそこで寝るんだよ」
「…厨二病だなあ…」
「い、いいだろ別に!そんでわたしが探偵物語と違ってオリジナルなのはなあ、ソファの横にさりげなくドラムキットが置いてあるんだよ。そんで難事件にぶつかったらドラムを叩いて推理するんだよ!」
源田さん、ひょっとしたらゲンムのこのわたしすら知らなかった偏愛を察知してたんじゃ…
ゲンムの徹底ぶりはものすごくて、ゲンムのご両親が心配するから一旦帰ろうって言ったんだけどせっかくターゲットがそこに居るのが分かってるのに今更帰れないと言って車中泊することになった。
「シャム。ところでターゲットは何者なんだ」
「わからない。源田さんからはただ単に602号室に居る男がエントランスから出てきたところを写真に撮って、としか」
「顔もわからないのに?」
「それがねえ。出てきたら嫌でもわかるって源田さんが」
「よほど特徴がある顔ってことか?すごく面白い顔とか?」
「ゲンムの撮った写真でわからないの?」
画像を見せてもらったけど、さすがにLEDライトの表面に映った便所の中の写真では顔までは判別できなかった。
「じゃあ、拝顔してのお楽しみということで」
「ああ」
一応シートを倒して交代で仮眠はとってみたけどワクワクしどおしのゲンムは眠れないみたいでやたらとわたしに話しかけてくる。
手話の手の音がブンブンいうぐらいにはしゃいでるからこっちも眠れない。
「なあ、シャム」
「…なあに?…」
「わたしは将来探偵になるけど、シャムは将来なんになるんだ?」
「えっと。休職中ではあるけどまだクビにはなってないよ?」
「そうじゃない、職業の話じゃないんだ。どうなりたいのか、って話なんだ」
「どうなりたいか…?」
どうもこうもない。
なんとかなりたい。
その時だったよ。
「あ!来た!」
ゲンムがものすごい手の動きでわたしに手話で怒鳴りつけた。こういう時お互い無声で手話だと相手に気づかれなくて都合がいいね。
わたしはハイブリッドのワゴンを、エンジンに切り替わらないようにアクセルを慎重にゆっくりと踏み込んで、ほぼ夜明けのタイミングでエントランスから出てきた男の横にほぼ無音のモーター駆動で車を寄せる。
ゲンムがドアウインドウを静かに何回かに分けてdownのボタンを押して下げる。
男のほぼ真横に来た瞬間、スマホのシャッターを押した。
キャシュ!
シャッター音と同時に、ボ、とフラッシュがまたたいて。
わたしはその男のことを源田さんが言っていたとおり一発で認識した。
「しょ、所長!?」
「シャ、シャムさん!?」
「浮気男はこいつかあ!?」
とにかくわけがわからないけど、源田さんはわたしの唯一にして絶対の上司だ。
言いつけのままに所長の写真をLINEで送信した。5秒で返信が来た。
源田:シャムさん、お疲れ様。これで所長の潔白が証明されたわ
シャム:??マンションから出てきたんですよ?
「ここはわたしの自宅だ」
「えっ」
ゲンムが手話で所長に怒鳴りつける。
「愛人宅だろ!?」
所長はゲンムの迫力に思わずそれが手話であることを忘れて手話など知らないのに裏返った声で返事を返す。
「だ、誰が愛人宅だって!わたしは独身でここで一人暮らしだよ!」
源田さんから追加のLINEが入った。
源田:シャムさん。うちの会社では抜き打ちで社員の居住場所のチェックをするのよ。通勤手当の申請を誤魔化していないかってね
シャム:それを源田さんが?
源田:え、ええ…まあ…
「シャムさん」
所長がもういいだろうという感じで源田さんからのLINEを見ながらわたしに白状してくれた。
「源田さんはウチの会社の取締役だ」
「えっ」
わたしは、ぽけー、と所長を見つめる。ゲンムも同じ間隔で見つめる。そしてわたしは思わず訊く。
「で、でも、所長は『所長』じゃないですか!?源田さんは『主任』ですよ!?」
「いや、彼女の方が職階は上だ。というか経営サイドだからね。こういう監査・管理業務も兼務しておられるのさ」
「で、でも、どうして取締役なのにこんな小さな営業所に?しかも管理職でなくプレーヤーとして」
「シャムさん。顧客サービスの最前線の現場をこそ経営者が詰めねばならない職場だとは思わないか?」
「はあ…」
ゲンムがわたしに言った。
「シャム。前言撤回するよ。こんな面白い会社、辞めちゃダメだ」