第169話 武器聖人
文字数 1,588文字
誤字じゃないよ
武器聖人であってる
「シャム。どうして本屋に?」
「最強の武器があるから」
第六十番札所 石鈇山 福智院 横峰寺
第六十一番札所 栴檀山 教王院 香園寺
第六十二番札所 天養山 観音院 宝寿寺
三ヶ寺に参拝した後でわたしはモヤにわがままを言った
「なんでも揃う本屋に連れてって」
モヤは見事リクエストに応えてくれた
「どう?シャム。ここなら大概の本は揃うと思うよ。でもさ」
そうだよね
でもさだよね
「シャムは本を読むことが制限されてきたわけだから遠慮せずにどんどん読んでいいと思うんだけど…」
「ごめんねモヤ。それが叶うのならわたしは人生がここまで惨めにはならなかったと思う。本を読むことを制限されたその瞬間にああわたしはなんのために生きてるんだろうってホンキで思ったから」
「なら、なおさら」
「呪いよりも強い拘束力なの」
だからこういうまわりくどいことをせざるを得なかった
わたしが選んだ本をモヤに買ってもらう
わたしはお金を払うけどそれは本代として払うのではなくてチップとしてモヤに払う
モヤはチップの中からモヤ自身のためにその本を買う
「ええと…シャム。何ページ?」
「本文じゃないんだ。あとがきだよ」
そうして本を読めないなら
読んで貰えばいい
「え…と…『生きることは意味の実現である。ただ生きることはもちろんそれだけで尊い。だが人間の自由とは、生きることの意味を感じ、それを実現しようとすることだ。人間には楽々と過ごしたいという本能レベルでの欲求がある。仮に治癒不可能な病気の末期症状があらわれていたとしたならば、残りの日々を平穏にできるだけカラダにも精神にも負担なく暮らすことを望むのは決して悪いことではない。むしろ積極的によいことだろう。ココロの安寧を得れば周囲のひとにも幸せを残して死ねるだろう。だが』」
そこでモヤは止まった
「…『だが、“損なことを選び続けた”人間はそれがもはや習い性になっていて、人生の最期に“得なことを選ぶ”ことによってすべてが水泡に帰してしまうのではないかとおそれるそのココロもまた本能レベルの、渇望レベルの欲求なのだ。ココロからの欲求なのだ。わたしは今、眼はぶどう膜腫によって引き起こされた白内障によりほぼ失明の状態にあり、抗がん剤の副作用によって脊髄の芯からのダルさに見舞われ、喉から食道はがん細胞によってただれ食事は針の穴ほどの隙間から嚥下するしかなく、残念なことにわたしの耳は』」
チョウノちゃん…
「…『耳は、もはや音楽を聴くことができなくなってしまった。音楽を聴けぬ人生はわたしにとってココロの喜びの大半を奪われたような心地がしたものだったが、それでもなおわたしは、このわたしは、『損な方を選び続ける』ことを貫くことに生きる意味の実現を見出し、最期まで人間の自由を行使し続けて、天寿が来たその日には、喜んで死ぬことができるだろう。だからわたしは書く…小説を書く。この口が動く内は。口述筆記という武器によって、わたしは書くのだ!』…シャム…」
モヤはここなんにちか泣いてばかりだ
わたしといるたびないてばかりだ
ココロがとてもやさしいのだ
だからモヤがすきなのだ
「モヤ。これはね、本業は小説家ではないこのひとが学術書のあとがきとして書いた、その、絶筆」
「…くぅ、くぅ、くぅ、くぅ…」
「モヤ。わたしはね。過去世においてこれを読み、今世においてもこれを買って読んだ。でも、突然制限された。マーケットに流通する本を買って読むことも図書館へ行って借りて読むこともできなくなった。でも今こうして、モヤが読んでくれた。モヤ」
「うぅん、うぅぅぅん、うふ、くふん…」
本屋の医学書の英文の厚い茶の装丁に金文字の背表紙の本が並ぶブックシェルフの前で目を閉じて泣くモヤの右まぶたに
そっとキスした
「モヤ。一緒にいてくれる?」
「うん。一緒にいたい」
武器聖人であってる
「シャム。どうして本屋に?」
「最強の武器があるから」
第六十番札所 石鈇山 福智院 横峰寺
第六十一番札所 栴檀山 教王院 香園寺
第六十二番札所 天養山 観音院 宝寿寺
三ヶ寺に参拝した後でわたしはモヤにわがままを言った
「なんでも揃う本屋に連れてって」
モヤは見事リクエストに応えてくれた
「どう?シャム。ここなら大概の本は揃うと思うよ。でもさ」
そうだよね
でもさだよね
「シャムは本を読むことが制限されてきたわけだから遠慮せずにどんどん読んでいいと思うんだけど…」
「ごめんねモヤ。それが叶うのならわたしは人生がここまで惨めにはならなかったと思う。本を読むことを制限されたその瞬間にああわたしはなんのために生きてるんだろうってホンキで思ったから」
「なら、なおさら」
「呪いよりも強い拘束力なの」
だからこういうまわりくどいことをせざるを得なかった
わたしが選んだ本をモヤに買ってもらう
わたしはお金を払うけどそれは本代として払うのではなくてチップとしてモヤに払う
モヤはチップの中からモヤ自身のためにその本を買う
「ええと…シャム。何ページ?」
「本文じゃないんだ。あとがきだよ」
そうして本を読めないなら
読んで貰えばいい
「え…と…『生きることは意味の実現である。ただ生きることはもちろんそれだけで尊い。だが人間の自由とは、生きることの意味を感じ、それを実現しようとすることだ。人間には楽々と過ごしたいという本能レベルでの欲求がある。仮に治癒不可能な病気の末期症状があらわれていたとしたならば、残りの日々を平穏にできるだけカラダにも精神にも負担なく暮らすことを望むのは決して悪いことではない。むしろ積極的によいことだろう。ココロの安寧を得れば周囲のひとにも幸せを残して死ねるだろう。だが』」
そこでモヤは止まった
「…『だが、“損なことを選び続けた”人間はそれがもはや習い性になっていて、人生の最期に“得なことを選ぶ”ことによってすべてが水泡に帰してしまうのではないかとおそれるそのココロもまた本能レベルの、渇望レベルの欲求なのだ。ココロからの欲求なのだ。わたしは今、眼はぶどう膜腫によって引き起こされた白内障によりほぼ失明の状態にあり、抗がん剤の副作用によって脊髄の芯からのダルさに見舞われ、喉から食道はがん細胞によってただれ食事は針の穴ほどの隙間から嚥下するしかなく、残念なことにわたしの耳は』」
チョウノちゃん…
「…『耳は、もはや音楽を聴くことができなくなってしまった。音楽を聴けぬ人生はわたしにとってココロの喜びの大半を奪われたような心地がしたものだったが、それでもなおわたしは、このわたしは、『損な方を選び続ける』ことを貫くことに生きる意味の実現を見出し、最期まで人間の自由を行使し続けて、天寿が来たその日には、喜んで死ぬことができるだろう。だからわたしは書く…小説を書く。この口が動く内は。口述筆記という武器によって、わたしは書くのだ!』…シャム…」
モヤはここなんにちか泣いてばかりだ
わたしといるたびないてばかりだ
ココロがとてもやさしいのだ
だからモヤがすきなのだ
「モヤ。これはね、本業は小説家ではないこのひとが学術書のあとがきとして書いた、その、絶筆」
「…くぅ、くぅ、くぅ、くぅ…」
「モヤ。わたしはね。過去世においてこれを読み、今世においてもこれを買って読んだ。でも、突然制限された。マーケットに流通する本を買って読むことも図書館へ行って借りて読むこともできなくなった。でも今こうして、モヤが読んでくれた。モヤ」
「うぅん、うぅぅぅん、うふ、くふん…」
本屋の医学書の英文の厚い茶の装丁に金文字の背表紙の本が並ぶブックシェルフの前で目を閉じて泣くモヤの右まぶたに
そっとキスした
「モヤ。一緒にいてくれる?」
「うん。一緒にいたい」