第100話 同じ布団で寝るのってあたたかい
文字数 2,011文字
当たり前だけど人間は寝なくちゃならない。
わたしは車で寝るのもそんなに抵抗感ないんだけど最低10日〜2週間近くは四国の旅を続けることを考えたらきちんきちんと休息を取るべきだ。
「すみませんねえ。あいにく満室で」
「構いませんよ。いい?シャム?」
「うん。大丈夫」
初めての夜だから初夜というのであって、初日の夜という意味ではないだろう。だからモヤとわたしが素泊まりの民宿で畳に布団を並べて敷いて共に一夜を過ごすのはいやらしい意味も何もない。
晩ごはんはどうしても徳島ラーメンを食べたいというわたしのために、一回湯を浴びた後だったけれどもわざわざギャランを出してくれて徳島を回る時の行きつけの店に連れて行ってくれた。
「モヤ。割り増し料金払うよ」
「いいのいいの。どうせわたしだって食事摂らなきゃいけないんだから」
モヤはラーメン屋に着くまでの間にひと語りしてくれた。
「シャム。冥土の土産って言葉知ってるでしょ?」
「うん。もちろん。あ、メイドのプレゼントとかって引っかけ問題じゃないよね?」
「中学生じゃないんだから。先月さ、92歳のおばあちゃんを四国一周コースに乗せたんだよね」
「92歳。すごいね」
「うん。それもさ、震災で亡くなったご主人が極楽往生できるように、って祈願を込めて回るって言われてね」
「極楽往生?じゃあ、そのご主人は今も迷ってるってこと?」
「そんなのは人間ごときのわたしには分からないけど、苦しみの中で亡くなった人は死んでも死に切れないってことがあるんじゃないの?だからその震災未亡人さんはさ、ご主人がより確実によきところで過ごせるよう、祈願を立てられたんだと」
「ふうん」
愛と情を超えた夫婦関係、ってこういう感じかな。
「それでさ、お寺参りの最中はもう真剣。手を合わせてるその瞬間にこのおばあちゃんが召されてしまうんじゃないかってぐらいに神々しいお顔でさ。そのかわり三度の食事は美味いものが食べたいっておっしゃってさ。食べるもの何から何まで『冥土の土産さね』って言われてな」
「そっか…」
そういえば大家さんもとにかく料理を美味しく作ろうって手のかけようがすごかったな…どうしてるかな…
「でね、貸切コースでわたしは三度の食事全てそのおばあちゃんとご一緒だったんだけどさ、ある朝喫茶店でモーニングを食べたんだよね。まあジャムトーストとコーヒー、それからあんころ餅がついてんだけどさ」
「あんころ餅。かわいい」
「モーニング頼んであんころ餅も食べ終わった後でさ。またぱらぱらってメニューをめくるんだよね。して、『モヤちゃんよ。これ食べないかい?』って指差すんだよ」
「なにだったの?」
「チョコダブルパフェ」
「うわっ」
大袈裟じゃなくってわたしはほんとに驚いて声出したんだよね。でもびっくり、っていう感じの驚きじゃなくて『いいなあ!』って感じの驚きだったね。
「一度でいいから朝っぱらからそういう贅沢してみたかったんだって。ほら、震災でご主人が亡くなっただけでなくってさ、息子さんご夫婦も仕事を見つけるために別の土地に移らなきゃならなくてさ。経済的にもほんとに慎ましく暮らしてこられたらしいから」
「美味しかった?」
「いやもう。美味いなんてもんじゃないね。もうほとんど無理やりにわたしもお付き合いさせられたけど、なんて言うのかなあ…こう、ほんとに幸せ、って感じだったな。朝からチョコダブルパフェなんてさ」
「背徳の味かぁ」
わたしも食べたかったな。
「だけどね」
やっぱりこれはお遍路の旅だ。
「そのおばあちゃんを部屋に送って行った後でフロントから電話があってさ。午前2時ぐらいだったな」
覚悟して聴いた。
「わたしは先達タクシードライバーだ。お客さまとお遍路の旅を共にする同志だ。ルームフォンでフロントに電話があったんだと。『ちょっと、苦しい。すみませんが救急車を』って」
「うん」
「スタッフさんが駆けつけてドアを開けたら胸を右手で、きゅーっ、って揉むような姿勢のままでベッドに仰向けになってしばらくは苦しんでいたらしい。それでまず救急車を呼んで、救急車が来たらわたしに病院まで同乗してほしいと。でもわたしが部屋に入った時はもう動いてなかったな」
「お顔は」
「うん…口を半開きにして、目は開いたままで…ああ、苦しみながら息絶えたのかな、って。こういうことを言っていいのかどうかわからないけど、震災で津波に呑まれて亡くなった方たちの多くはこんなお顔だったんじゃないかと」
わたしはそんなに泣く方じゃないと思ってるけど、目をつぶってみたら、瞼の奥に涙の温度がゆっくり伝わってきた。
「シャム。お遍路はまだ半分ぐらいでおばあちゃんは道半ばだったよ。でもね、わたしごときはおばあちゃんの極楽往生はわからないけど、どうにかして極楽に行っていてほしいよ。ご主人ともども。それから、息子さんご夫婦やお孫さんたちの平穏無事を心から祈ってるよ」
四国に来てよかった。
わたしは車で寝るのもそんなに抵抗感ないんだけど最低10日〜2週間近くは四国の旅を続けることを考えたらきちんきちんと休息を取るべきだ。
「すみませんねえ。あいにく満室で」
「構いませんよ。いい?シャム?」
「うん。大丈夫」
初めての夜だから初夜というのであって、初日の夜という意味ではないだろう。だからモヤとわたしが素泊まりの民宿で畳に布団を並べて敷いて共に一夜を過ごすのはいやらしい意味も何もない。
晩ごはんはどうしても徳島ラーメンを食べたいというわたしのために、一回湯を浴びた後だったけれどもわざわざギャランを出してくれて徳島を回る時の行きつけの店に連れて行ってくれた。
「モヤ。割り増し料金払うよ」
「いいのいいの。どうせわたしだって食事摂らなきゃいけないんだから」
モヤはラーメン屋に着くまでの間にひと語りしてくれた。
「シャム。冥土の土産って言葉知ってるでしょ?」
「うん。もちろん。あ、メイドのプレゼントとかって引っかけ問題じゃないよね?」
「中学生じゃないんだから。先月さ、92歳のおばあちゃんを四国一周コースに乗せたんだよね」
「92歳。すごいね」
「うん。それもさ、震災で亡くなったご主人が極楽往生できるように、って祈願を込めて回るって言われてね」
「極楽往生?じゃあ、そのご主人は今も迷ってるってこと?」
「そんなのは人間ごときのわたしには分からないけど、苦しみの中で亡くなった人は死んでも死に切れないってことがあるんじゃないの?だからその震災未亡人さんはさ、ご主人がより確実によきところで過ごせるよう、祈願を立てられたんだと」
「ふうん」
愛と情を超えた夫婦関係、ってこういう感じかな。
「それでさ、お寺参りの最中はもう真剣。手を合わせてるその瞬間にこのおばあちゃんが召されてしまうんじゃないかってぐらいに神々しいお顔でさ。そのかわり三度の食事は美味いものが食べたいっておっしゃってさ。食べるもの何から何まで『冥土の土産さね』って言われてな」
「そっか…」
そういえば大家さんもとにかく料理を美味しく作ろうって手のかけようがすごかったな…どうしてるかな…
「でね、貸切コースでわたしは三度の食事全てそのおばあちゃんとご一緒だったんだけどさ、ある朝喫茶店でモーニングを食べたんだよね。まあジャムトーストとコーヒー、それからあんころ餅がついてんだけどさ」
「あんころ餅。かわいい」
「モーニング頼んであんころ餅も食べ終わった後でさ。またぱらぱらってメニューをめくるんだよね。して、『モヤちゃんよ。これ食べないかい?』って指差すんだよ」
「なにだったの?」
「チョコダブルパフェ」
「うわっ」
大袈裟じゃなくってわたしはほんとに驚いて声出したんだよね。でもびっくり、っていう感じの驚きじゃなくて『いいなあ!』って感じの驚きだったね。
「一度でいいから朝っぱらからそういう贅沢してみたかったんだって。ほら、震災でご主人が亡くなっただけでなくってさ、息子さんご夫婦も仕事を見つけるために別の土地に移らなきゃならなくてさ。経済的にもほんとに慎ましく暮らしてこられたらしいから」
「美味しかった?」
「いやもう。美味いなんてもんじゃないね。もうほとんど無理やりにわたしもお付き合いさせられたけど、なんて言うのかなあ…こう、ほんとに幸せ、って感じだったな。朝からチョコダブルパフェなんてさ」
「背徳の味かぁ」
わたしも食べたかったな。
「だけどね」
やっぱりこれはお遍路の旅だ。
「そのおばあちゃんを部屋に送って行った後でフロントから電話があってさ。午前2時ぐらいだったな」
覚悟して聴いた。
「わたしは先達タクシードライバーだ。お客さまとお遍路の旅を共にする同志だ。ルームフォンでフロントに電話があったんだと。『ちょっと、苦しい。すみませんが救急車を』って」
「うん」
「スタッフさんが駆けつけてドアを開けたら胸を右手で、きゅーっ、って揉むような姿勢のままでベッドに仰向けになってしばらくは苦しんでいたらしい。それでまず救急車を呼んで、救急車が来たらわたしに病院まで同乗してほしいと。でもわたしが部屋に入った時はもう動いてなかったな」
「お顔は」
「うん…口を半開きにして、目は開いたままで…ああ、苦しみながら息絶えたのかな、って。こういうことを言っていいのかどうかわからないけど、震災で津波に呑まれて亡くなった方たちの多くはこんなお顔だったんじゃないかと」
わたしはそんなに泣く方じゃないと思ってるけど、目をつぶってみたら、瞼の奥に涙の温度がゆっくり伝わってきた。
「シャム。お遍路はまだ半分ぐらいでおばあちゃんは道半ばだったよ。でもね、わたしごときはおばあちゃんの極楽往生はわからないけど、どうにかして極楽に行っていてほしいよ。ご主人ともども。それから、息子さんご夫婦やお孫さんたちの平穏無事を心から祈ってるよ」
四国に来てよかった。