第230話 和して和して和しつくすよ

文字数 1,289文字

 高野山は山自体がお寺

 モヤとゲンムとわたしはとうとうこのお山のお土をわたしたちのこのかわいらしい…ごめんねでもこの日のために昨日の夜から足裏も足指もお風呂できれいに磨いてツヤツヤになるほどに清浄にしておいたの

 そのかわいらしいあんよで

 お山のお土を踏んだよ

 やわらかな落ち葉の感触

 カサカサして乾いたのやしっとりとお土のその下の地下水のしみてくる清水で潤ったのやミミズや微生物が細かく微粒にまでしてくれた形状となったのや

 あんよの裏に感じ

 足の親指を ぴん と上向きに反らして

 反るぐらい真っ直ぐに反らして 歩いて

 弘法大師さまが虚空蔵求聞持法を成し遂げられて宇宙と空と海と山河と大地と鳥獣虫草木鉱石とご一体となられて

 ココロは遥か億千万光年へ飛びけれども実は戻っている

 表と裏

 裏と表

 男と女

 女と男

 神さまと仏さま

 仏さまと神さま

 善と悪

 悪と善

 苦と楽

 楽と苦

 分け隔てできないよ

 お大師さまはこの奥の院で今もすべてのものの長久をお祈りくださっている

 ううんそれは祈りじゃない

 ほんとうにわたしたちと一緒に行動してくださっているんだ

 お遍路さんは同行ふたりでまさしくその通りのことを徒歩やランニングや自転車やバイクや車で八十八ヶ所を回るそのなかで得心していく

 そうして自分の『持ち場』にそれを持ち帰る

 仕事するひと

 闘病するひと

 看護や介護をするひと

 おうちの神仏に参るひと

 みんなみんなほんとうに弘法大師さまの『ご実体』と一緒に地に足着けて日々を歩んでいる

 だからね シャムもね わたしたちと一緒に結願したんだよ

 ううんそれはシャムがココロの中に生きているっていうエンタメがよく表現するそういうこととも違って

 ほんとうに一緒にいる

 わたしが幼稚園でいじめられている子を慰めれば わたしは同時にシャムを慰め

 シャムがうつ病で苦しむひとの背中を撫でようと思えばゲンムがそのままほんとうに娑婆でうつ病に苦しむ誰かの背を撫でて

 生まれてから不遇しかないと嘆き苦しみ這うようにして四国に来られた方をモヤがギャランに乗せれば シャムも極楽浄土のセグウェイのような球の形をした車でどこまでも楽々と移動できて

 悪心で他人も自分をも苦しめるひとがお不動さまの縄で絡め取られて剣でその悪心を断ち切っていただければ改心して悪も善も善も悪も溶け合って微妙な エンタメ風に言えば胸のあたりがくすぐったくなるようなあの嬉しさに

  和す

「ねえモヤ ゲンム シャムの恩人がね その歌でね ‘うれしい’ っていうのを‘嬉しい’ じゃなくって ‘喜しい’ って書いてたんだって『へえ シャムのココロがミコにそう言ってるのか?』うんそうだよ わたし幼稚園でそもそも漢字を習ってないけどでもシャムの言うことが感覚的にわかるんだよ‘喜しい’って書けばそれはよろこぶことでもあるもんね」
「ミコ うれしいね」
「うん うれしいよ モヤだいすき ゲンムだいすき『あわわわわ』」
「あわわわわ」

 ゲンムもモヤも照れ隠しでやっぱりエンタメ風の表現で‘あわわわわ’ なんて言ったけどならばわたしはこう返したんだよ

「あ和和和和」
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