第174話 生殺与奪は人間には決して許されぬ

文字数 1,435文字

 第六十五番札所 由霊山 慈尊院 三角寺

 伊予最後の札所

 わたしは助手席から左舷の風景を流れ過ぎ去らせ

 モヤはフロントグラスの数百メートル彼方をぼやりと観やる

 ふたりあわせて無言にて

 ただただギャランは疾駆した

 モヤはそいつを滅ぼさん

 故にはギャランを400(km/h)に

 われらの躯体も音速に

 ぶつかる互いの肉体は

 ただ仏敵を滅ぼさん

 その一心にて突き進み

 挙句成し遂げられたのは

 ただ修験者の死滅のみ

 修験者死したるその後は

 かの悪魔たるそやつめを

 生き延びさせたばかりなり

 あわれわれらの目論みは

 水あぶくへと消え去らん

 ああかの修験者あわれなり

 真の天寿を獲り去られ

 齢20歳のまつ毛にて

 目を閉じもせず棺桶に

 押し込まれたるその身かな

 憎し憎しは悪魔ばら

 分かりきってはいたものの

 またも姑息に生き延びる

 不思議不思議の恩人は

 ならぬかんにんするのこそ

 まことのかんにんとみなさんよ

 そう言いわれらを慰めた

 かんにんどおしの一生を

 そうかそうかと慰めた

 そのあわれなる修験者も

 海溝深度のお慈悲にて

 なにとぞ極楽浄土へと

 送り届けてくれまいか

 悪逆三昧なしたれど

 なにとぞ極楽往生を

 なにとぞ今世で本願を

 叶えさせてはくれないか

「シャム、どうしよう」
「…モヤはなにもどうすることはないよ」
「でも、修験者を死なせたのはわたし」
「…ちがうよ」
「ううんちがわない。シャムが修験者を『済度しよう』って言ってくれたのにわたしがギャランをぶつけて死なせてしまった」
「モヤ。じゃあさっきすれ違いですっ飛ぶみたいに対向車線を走って消えたレクサスは誰が運転してたと思うの」
「あの悪魔」

 ああそうか

 モヤは視えてしまったんだね

 バックシートから大股でスラックスの裾を袴の生地みたいに払いながら越えて運転席で血を吐いて死んでいる修験者の死体を助手席に引きずりたおして、そうして一切減速することなくレクサスをのりこなす部類の人間の常のように大得意で

 顔だけ渋ったフリをして

 でもこれだけは言わないと

 わたしはモヤに言わないと

「モヤ。なんぴとたりとも、自分の意思で何者かの生命を奪えた者はいなかった。今も昔も。さっきのモヤも」
「なぐさめないで」
「モヤ。なぐさめなんかじゃけしてない。わたしの無力な言葉などなんの足しにぞなろうもの。わたしがあなたに語るのはまことのなかのそのまこと。モヤよ慈悲あるモヤ嬢よ。あなたが人をころすなど、天地が割れてもけしてない。あなたはあなたの魂と、相談しながら生きてきた。それすなわちみ仏と是非を問いつつ生きてきた。だから憐れな修験者も、モヤの所為ではけしてない。モヤはまったくわるくない。もし悪しものがいるのなら。それは無慈悲の悪魔なり。だからモヤよよきモヤよ。どうかわたしのその前で。あなたの涙を流さんで。どんなに涙が綺麗でも。辛くて眺めて居られぬの」

 じゃあ、シャム

 わたしはどうすればいいの?

 どうすればこの罪から逃れられるの?

「約束するよモヤ」
「うぅ・・・」
「かの悪魔を滅ぼさん。それこそ娑婆の全員を、済度するのと同じこと」

 そうは言ってみたけれど

 滅ぼすためにいかにせん

 カルト教祖も救わんと

 テロリストさえも救わんと

 慈悲広大なみほとけに

 わたしごときの凡夫ばら

 意見することできようか

 敢然断然善善善

 善事を断行できようか

 それとも悪魔の奴ばらと

 同類にこそ堕ちるのか

「シャム」
「うん」
「讃岐に入るよ」

 そう

 弘法大師さまのご誕生の土地へと

 
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