第145話 自分に都合のよい時は

文字数 2,852文字

 第四十一番札所 稲荷山 護国院 龍光寺

 わたしは言わなくてはいけない

 神さまも仏さまも、決して人間の都合のよい時にだけ『利用』するような態度をとってはいけないと

「モヤ。わたしはモヤのことがとても大切だから言うんだよ。聴いてね」
「もちろん」
「これはわたしが過去世の中で何度も経験した話。その最たる事例」

 里山があってね

 その山の材木を使って家の増築をしようとした一家があったんだ

 昔のことだからその木材を自分の持っている山から切り出したんだけどね

 切ってしまった
 
 ご神木を

「シャム。ご神木っていうのは認識できるようにしめ縄をされているとかそういう木のこと?」
「ううん。もちろんそういう状態の場合もあるけど、山の神様がね、その樹をお住まいにしてる、っていうそういう樹だったんだ」

 わたしはモヤのココロの中にもわたしのイメージを流し込むつもりで語ったよ

「どうぞ、お入り」

 そのおばあさんは優しく子供に語りかけた

 その子供は気を病んでいるという
 自分が自分でないような、自分の魂がまるで自分の体の肉体を離れて浮遊しているような感覚になるのだという

 両親がそのおばあさんの前に連れてきたのだけれども、父親が着くなりおばあさんにこう言った

「私らが何か悪いことをしましたでしょうか?」

 するとおばあさんは火鉢にもたれかかるようにしてにっこり笑いなさってこう言った

「わたしが理由を語ってあげるから、良いか悪いか、おまん、考えてみなされ」


 おばあさんはゆっくりと、けれども澱みなく噛んで含めるように父親と母親に語って聴かせた

「おまん、樹を切ったやろ」
「は、はい」
 
 父親はとぼけたフリをして言った

「その樹にお住まいだった山の神さまが突然寝床が無くなってしまって大変お困りなんだよ」
「そ、そうなんですか…」
「なぜ切った」
「た、建て増しするためです」
「そうか」

 おばあさんはとても優しいお顔だけれども、口調は毅然としている

「さて、山の神様はどうしてお困りだとお思いか」
「ね、寝る場所がなくなって休めないからではないですか」
「たわけが」

 さっ、と父親・母親の顔色が変わる

 子供は合点しながらも受け入れようとしない顔で

「わらべよ。神さまはなぜお困りか」
「や、休めなくて辛いからですか」
「ばかもんが」

 とうとう子供も病気のそれでなくて、心の底から色が失せた

「神さまはその樹から熱量をお摂りになっておられたのじゃ、この道理もわからぬ愚か者共が」

 おばあさんの話によると、その見事な大樹は根から大地と地中深いところから湧き出る温かなエネルギーをその幹、枝、葉、芽、花、実、種子を通じて神様に神通力を途切れることなく補給し給い続け、神様がこの地に住む遍く人間どもや動物どもや虫・細菌・植物・ゲジゲジやら毛虫やら道端の石に及ぶまで護ってくださっていたのに、その大事な補給タワーであった大樹をこの親子たちが切り倒してしまったことにより、神さまが大願を果たすのに支障をきたしたからだ

「さあそういうことじゃ。どうだ、悪いと反省するか」
「で、ですが」

 父親がオロオロの声ながらも

「し、知らずにやったことです」
「この卑怯者が!」

 一転おばあさんの顔が怒り心頭に発した

「知らねば何をやってもよいのか!」

 おばあさんはけれども怒りをすぐ解いた

 また優しく語り出した

「おまんは仕事をする勤め人であろう」
「は、はい」
「仕事をする力を出すために食事もしよう。風呂も入ろう。寝もしよう」
「え、ええ」
「働くための源たる動力源を得て心身を休めるためのおまんの家を、ある晩突然に戦車で踏み潰されたらなんとする」
「こ、困ります」
「そうであろうが」
「で、ですが…神さまとはとても寛容なのではないのですか?」
「おまんが家を潰されてなお苦しまずに平気でおれるのならおまんの言い分通りとするが…やってみるか?」
「え?」
「おまんの家を、一夜のうちに塵芥にしてみるか?」

 本能で父親は感じた

 これはほんとうのことだと

「も、申し訳ありませんでした!」
「わかったか」
「は、はい!」
「ほんとうにわかったのか」
「は、はい!申し訳ございませんでした!」

 父親・母親とも理性ではなく本能のレベルで頭を下げ、畳に額をこすりつけた

「わたしが神さまに別の樹にお移りいただくようお話してみる」

 そういって、おばあさんは手を合わせて、何秒かしてこう言った

「さ、神様は新しいご神木をお受け入れくださった。おまんら」
「は、はい」
「山の中腹に反るぐらい真っ直ぐな杉の樹がおわす。そこへお移りいただいた。これから毎月その樹へ出かけ、塩をまき、お神酒を根元にかけ、餅をお供えするのだ。よいな」
「は、はい!」
「しかとつたえたぞよ」

 親たちはそうして毎月お神酒とお餅をお供えに山に出かけた

 そうするとご神徳か、よいことがいくつか続くようになった

 もっとも

 それは父親・母親と気を病んでいた子供にとってだけの話だったのだけれども

 子供の下に今度は生まれないはずだった子供が、そのおばあさんの『命のやり取りさえする』そのココロでもって、娑婆に生まれた

 その後から生まれた子供は、家族とは関係のないところで不幸だった

 家の外でずっといじめに遭っていて、親たちはそれを知らぬはずはなかったのだが、知らなかったのでどうすることもできなかったとずっと後で言うことになるんだけれどもそれはまた別の折りの話として

 父親・母親・最初の子供たちの間でよいことが続くうちに、両親も歳をとる

 歳をとって山を登ることが困難になる

「山は誰が行くの?」
「大丈夫だ。神様は寛容だから家にいて山の方を向かって拝むだけでわかってくださる」

 後から生まれた子が訊くと、両親はそううそぶいた

 後から生まれた子は、それがだんだん言い訳だと悟るようになった

 言い訳とは、つまりは自分に『都合のよい解釈』だ

 幸福の鍵はよい解釈をすることだと言うひとがたまにいるけれども、決して間違ってはいけない

 よい解釈でことを済まそうとする時それは大抵の場合『都合のよい解釈』でしかない

 果たしておばあさんが表面上は娑婆にいなくなってしまった後はその父親・母親は山へは行かなくなり

 山は荒れて

 神様はご自身のココロの慰めとなるものがどんどん減っていってしまった

 人間なら嘆いてもよくて

 神様には嘆くなという

 そんな身勝手な話はない

 人間とは何様なのだ、ってわたしは悲しくなったね

「それでどうなったの?」
「モヤ。後に生まれた子供が結局はお酒とお餅を供えに行くようになった。両親は自分の都合のよい解釈をその後から生まれた子供に打ち砕かれるような気すらしたので、後からの子供に、お前がそんなことをしたってもともと神さまは父さん・母さん・兄さんを許してくださっているのだ、と」
「虫がよすぎるんじゃないかな」
「実は、それはわたしにもわからない。でもそうじゃないよね」
「うん」
「わからないからしない、っていうんじゃ、知らなかったから樹を切ったのは仕方ないって言い訳する人間と同じだから」
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