第104話 龍をいただく
文字数 2,084文字
「龍をいただくんだよ」
「えっ。龍を」
「うん」
「食べちゃうの?」
「バカお言いでないよー」
いただく=戴く
四国八十八ヶ所第十一番の札所、金剛山一乗院藤井寺で、大きな大きな雲龍を、本堂には入れなくて覗き見上げるような格好だけれども拝ませていただいた。
地元ご出身の日本画家がお描きになった、天をまさしく覆い尽くすように飛翔する雲龍だったよ。
「シャム。ちょっと本屋さんに寄ろうか」
藤井寺を出た後でモヤはギャランを走らせて徳島県内でも大きな書店に連れて行ってくれた。そこで画集を一冊買って書棚の中に埋もれているようなカフェで2人して絵を眺めた。
「仏教美術なんだね…モヤ、わたしが本代出そうか?」
「いいよいいよ。これも必要経費だから」
そう言いながらモヤは装丁からして美しい日本画の大判の画集を、紙に擦り傷ひとつつけないような慎重さで一枚一枚めくってくれた。
「シャム。絵心はある?」
「…描く方はないけど、観る方ならあるつもり」
「そっか。さっき雲龍の天井画から失礼する時、すごい名残惜しそうにしてたもんね」
「うん。モヤは?」
「わたしはね、実は絵を描いてる」
「えっすごい」
「って言ってもね、こういう美術系の絵じゃなくってね、まあ落書きっぽいイラストだね。タブレット使ってね」
「観たい」
モヤにしては意外なぐらいに照れながらスマホのアルバムを観せてくれた。
「わ…これって、もしかして日の女神さま?」
「うん。ちょっとアニメキャラっぽく描いてみたんだけど、まあ自己満自己満」
「ううんそんなことない」
ほんとにそんなことないよ。
だって、燦然としてるもん、後光が。
そしてね。
「かわいいね」
「え。女神さまだよ、シャム」
「かわいいかわいい」
「参ったなあ」
モヤもまんざらじゃなくって、でもほんとにかわいいんだよね、女神さま。モヤは多分わざと身の丈を低くして描いてるんだけど、それがまたたまらない。
それで天岩戸の前で踊ってるウズメがまたかわいい。
踊り子、っていうか、爪先でしゅるん、って回転するような踊り方は日本古来のものじゃないかもだからモヤのアレンジだろう。
「まあこういう神さまの絵とか観音さまの絵とかはお客さんにもウケがいいからね」
「かわいい。ねえ、モヤ」
「ん・ん?なに?」
「お遍路が終わるまでの間に、わたしに何か描いて?」
「う…ん…わたしの絵なんかでよければ」
「やった!」
一緒に眺めてるこの画集は、画集っていうよりも写真集だよね。
さっきの雲龍それ自身ではないんだけど、日本各地の別のお寺の天井画だとか、屏風絵だとか、さまざまな神仏が鮮やかな顔料で描かれたその絵を、やっぱり繊細な感性のカメラマンが厳かに写真に撮ってるんだ。それが全ページに満載されてるんだ。
その中でね、わたしはちょっとすごいものをみつけたんだよね。
「モヤ。これって、まさか、本当の血液じゃないよね」
「ああ。この地獄絵図だね」
一百三十六地獄といわれるそのバリエーションにとんだ責め苦のそれは掛け軸を三幅、吊るされるままに写した写真だった。
「血液を使ったら年月の間に茶色く変色するだろうから、顔料だよね」
「でもモヤ。鮮血にしか観えない」
わたしたちが前髪と前髪を触れ合わせるほどにしてその地獄の絵にのめり込んで顔をテーブルに落としていると、いつの間にか隣に白装束の老爺が立っていた。
「御絵伝じゃな」
その老爺はこれで人生五度目のお遍路だという。
老爺は四国お遍路だけでなく、日本全国の霊場を巡教者の如くに旅しながら余生を送っているのだと。
「北の地方に行って、霊峰と呼ばれる連峰に登山した時、その麓のお寺でやっぱり地獄の掛け軸を観た」
「この絵と同じものですか?」
「すまんね。わしゃあほとんど認知症みたいなもんだから記憶が定かでなくてね。あ、自分から認知症だって言う年寄りは認知症じゃないからそのへんよろしく」
それって自分で酔ってるって言う人は酔ってないんだって主張する論理と同じかな。
老爺は軽口を叩きながらわたしとモヤの相手をしばらくしてくれて、興味深い識見も授けてくれた。
「ホンモノの芸術とはすなわち無名だぜ」
無名だぜ…?
「おじさん。それって作品が主役だからって意味?」
モヤがそう訊くと老爺は数段上の解答をしてくれた。
「ホンモノの芸術とは神仏に奉納するものだからだぜ」
なるほど
確かにそうだ
「西洋の宗教画と同じような意味ですか?」
「違うね。西洋の宗教画は絵そのものに神を見出そうとするだろう。けれども日本画のそれはあくまでも神さまにご覧いただくために描く絵だ。人間が鑑賞するためじゃない」
「はい」
「はい」
わたしとモヤはふたりして脱帽した。
現に彼が北の地方で観た地獄の掛け軸の作者は旅の絵師で、自らの印も署名も絵にほどこさずにそのお寺に奉納してまた旅に出たのだという。
「わたしもそうありたい」
「お嬢ちゃん」
彼はわたしの顔を、わたしらがテーブルに腰掛けるその位置よりも低いぐらいの身長から、顎のラインがすっきりしないようなアングルで見上げてわたしに言った。
「お嬢ちゃん。アナタ、只のお人じゃないね」
「えっ。龍を」
「うん」
「食べちゃうの?」
「バカお言いでないよー」
いただく=戴く
四国八十八ヶ所第十一番の札所、金剛山一乗院藤井寺で、大きな大きな雲龍を、本堂には入れなくて覗き見上げるような格好だけれども拝ませていただいた。
地元ご出身の日本画家がお描きになった、天をまさしく覆い尽くすように飛翔する雲龍だったよ。
「シャム。ちょっと本屋さんに寄ろうか」
藤井寺を出た後でモヤはギャランを走らせて徳島県内でも大きな書店に連れて行ってくれた。そこで画集を一冊買って書棚の中に埋もれているようなカフェで2人して絵を眺めた。
「仏教美術なんだね…モヤ、わたしが本代出そうか?」
「いいよいいよ。これも必要経費だから」
そう言いながらモヤは装丁からして美しい日本画の大判の画集を、紙に擦り傷ひとつつけないような慎重さで一枚一枚めくってくれた。
「シャム。絵心はある?」
「…描く方はないけど、観る方ならあるつもり」
「そっか。さっき雲龍の天井画から失礼する時、すごい名残惜しそうにしてたもんね」
「うん。モヤは?」
「わたしはね、実は絵を描いてる」
「えっすごい」
「って言ってもね、こういう美術系の絵じゃなくってね、まあ落書きっぽいイラストだね。タブレット使ってね」
「観たい」
モヤにしては意外なぐらいに照れながらスマホのアルバムを観せてくれた。
「わ…これって、もしかして日の女神さま?」
「うん。ちょっとアニメキャラっぽく描いてみたんだけど、まあ自己満自己満」
「ううんそんなことない」
ほんとにそんなことないよ。
だって、燦然としてるもん、後光が。
そしてね。
「かわいいね」
「え。女神さまだよ、シャム」
「かわいいかわいい」
「参ったなあ」
モヤもまんざらじゃなくって、でもほんとにかわいいんだよね、女神さま。モヤは多分わざと身の丈を低くして描いてるんだけど、それがまたたまらない。
それで天岩戸の前で踊ってるウズメがまたかわいい。
踊り子、っていうか、爪先でしゅるん、って回転するような踊り方は日本古来のものじゃないかもだからモヤのアレンジだろう。
「まあこういう神さまの絵とか観音さまの絵とかはお客さんにもウケがいいからね」
「かわいい。ねえ、モヤ」
「ん・ん?なに?」
「お遍路が終わるまでの間に、わたしに何か描いて?」
「う…ん…わたしの絵なんかでよければ」
「やった!」
一緒に眺めてるこの画集は、画集っていうよりも写真集だよね。
さっきの雲龍それ自身ではないんだけど、日本各地の別のお寺の天井画だとか、屏風絵だとか、さまざまな神仏が鮮やかな顔料で描かれたその絵を、やっぱり繊細な感性のカメラマンが厳かに写真に撮ってるんだ。それが全ページに満載されてるんだ。
その中でね、わたしはちょっとすごいものをみつけたんだよね。
「モヤ。これって、まさか、本当の血液じゃないよね」
「ああ。この地獄絵図だね」
一百三十六地獄といわれるそのバリエーションにとんだ責め苦のそれは掛け軸を三幅、吊るされるままに写した写真だった。
「血液を使ったら年月の間に茶色く変色するだろうから、顔料だよね」
「でもモヤ。鮮血にしか観えない」
わたしたちが前髪と前髪を触れ合わせるほどにしてその地獄の絵にのめり込んで顔をテーブルに落としていると、いつの間にか隣に白装束の老爺が立っていた。
「御絵伝じゃな」
その老爺はこれで人生五度目のお遍路だという。
老爺は四国お遍路だけでなく、日本全国の霊場を巡教者の如くに旅しながら余生を送っているのだと。
「北の地方に行って、霊峰と呼ばれる連峰に登山した時、その麓のお寺でやっぱり地獄の掛け軸を観た」
「この絵と同じものですか?」
「すまんね。わしゃあほとんど認知症みたいなもんだから記憶が定かでなくてね。あ、自分から認知症だって言う年寄りは認知症じゃないからそのへんよろしく」
それって自分で酔ってるって言う人は酔ってないんだって主張する論理と同じかな。
老爺は軽口を叩きながらわたしとモヤの相手をしばらくしてくれて、興味深い識見も授けてくれた。
「ホンモノの芸術とはすなわち無名だぜ」
無名だぜ…?
「おじさん。それって作品が主役だからって意味?」
モヤがそう訊くと老爺は数段上の解答をしてくれた。
「ホンモノの芸術とは神仏に奉納するものだからだぜ」
なるほど
確かにそうだ
「西洋の宗教画と同じような意味ですか?」
「違うね。西洋の宗教画は絵そのものに神を見出そうとするだろう。けれども日本画のそれはあくまでも神さまにご覧いただくために描く絵だ。人間が鑑賞するためじゃない」
「はい」
「はい」
わたしとモヤはふたりして脱帽した。
現に彼が北の地方で観た地獄の掛け軸の作者は旅の絵師で、自らの印も署名も絵にほどこさずにそのお寺に奉納してまた旅に出たのだという。
「わたしもそうありたい」
「お嬢ちゃん」
彼はわたしの顔を、わたしらがテーブルに腰掛けるその位置よりも低いぐらいの身長から、顎のラインがすっきりしないようなアングルで見上げてわたしに言った。
「お嬢ちゃん。アナタ、只のお人じゃないね」