第66話 努力が必ず報われるなら悪事も必ず報いを受けるはずでしょ?

文字数 1,077文字

 オリンピックが盛況らしいけれどもわたしは気分が沈み込んでいてとても楽しく観戦することなどできない。知ろうとしなくても様々なメディアに結果が出てくるのでそれでいいと思う。

 でも、『努力の人』がメダルを逃したことに関してはわたしはとても悲しく思った。そのひとは単なる競技者としての努力なんかじゃなくて、『辛酸』を舐め尽くしてきた選手だったので。

『努力は必ず報われる』

 この言葉そのものは間違っていると思わない。ただ、スパンを短く捉え過ぎなところが気にかかるだけだ。

 わたしの過去世・・・・・いや、失言だったね。わたしのまあこれまでの人生を思い起こしてもこんなことを言う人間が何人もいた。

「おじいちゃんが頭が良かったから」

 とか、

「儂が親の言うことを聞いて孝行してきたから孫が成功した」

 とか

 そういう親祖父母が為した善事のおかげで成功しているという孫と祖父のやりとりを見ているうちに、努力の効果が現れるのは実は今すぐではなく、来世だったりすることもあるのではないだろうかと思い至る。

 これと反対に、先祖が悪事を為したことによって報いを受けている子孫もあるっていうことをわたしはやっぱり聞いて来た。それは例えば御神木を切り倒してしまったというような恐ろしい悪事だったりする。

 この長期的なスパンでわたしが疑問に思うことはこんなことだ。

「幸せな人は嬉しくて余計に徳を積む好循環で不幸な人はよりやさぐれて悪循環に陥りやすいよね。ならば永遠に幸せな人と不幸な人は固定化されてしまわないかな」

 実際は不幸な境遇にあっても努力し続けるってことなんだろうけど。

 でもそう考えると短期的な努力が好まれるのが今の時代で、スポーツやら研究やらの努力はその類だろう。

 そしてそこに『努力は必ず報われる』という言葉も巧みに織り込まれる。

 でも、さっきの長いスパンの話と同様に照らし合わせればね。

『悪業も必ずその報いを受ける』ということとセットでなくてはならないと思う。

 どうだろうか。

 たとえばいじめをした子達は、全員その後の短期的な人生で報いを受けているだろうか。

 汚職をした政治家がその悪事の報いを受けているだろうか。

 世の流れや理というものが原理原則通りにいかないことはあるだろうからわたしは仕方ないと思うこともあるけれど、強い立場の人間が競争原理を維持するためには『努力は(人生程度の短期スパンでも)必ず認められる』ということにしておいた方が施策上も有利だと思う。

 でも少なくともこれだけは守って欲しい。

「悪業の報いを逃げ続けている人間が、努力は必ず報われるなどと言うな」
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