第54話 とことんネガティブなエンターテイメントって

文字数 2,590文字

 日常が上手く回らなくなったら薬を飲めばいい。もちろん違法ドラッグとかそういうことじゃなくって、きちんと医者に行って抗うつ剤なり偏頭痛ならば脳の血管を収縮させる薬なり。

 でもそれって誰のための薬?

「あ」
蓮花(レンカ)

 随分久しぶりに蓮花に遭ったよ。
 橋の上じゃなくってメガ書店で(地元比)

捨無(シャム)さんも本屋に来ることあるんですね。でも、買えないし借りられないんでしょう?」
「本のウインドウ・ショッピング」

 実際中身の無い本でも装丁はとても美しいから寧ろ買えないし読めないことによって美しい幻想を抱いたまま最近のマーケット事情を知らずに済むのでいいのかもしれない。

「ずっと前にほら、あの文学賞獲った小説をさ、すごい評判だったから立ち読みしたんだけどさ」
「あ、立ち読みいけないんですよ」
「ごめん。でも3分で読めてしまったから」
「え。速すぎですよ」

 そんなこんなをやりとりしながらレンカとわたしは本屋の中をくるくると何周も何周もした。

「シャムさん。飽きないですね」
「うん。やっぱりリアル書店っていいよね」

 わたしは高校生の女の子がどんな本を読むのか訊きたくなった。

「わたし、一般的じゃないですよ」
「本を読もうなんて人は大概一般的じゃないでしょ」

 彼女が一番好きなのが内田百閒なんだって。

「どうして?」
「なんていうか、ちくちくするんですよ」
「?」
「もぞもぞするっていうのもあります」
「ええと・・・・・神経症的な?」
「的な」
「ふむう」

 わたしは関東大震災によってその作家が神経症が治ってしまったというエピソードが、極めて不謹慎なことだとは分かりながらも、分かってしまうことに朗らかさを感じるんだよ。

「シャムさん。最近のある文芸コンテストでは世の生き辛さを反映してか自虐性や加虐性の強い作品ばかり応募してきて選考にものすごく苦労したっていう話ですよ」
「自虐に加虐か。要はネガティブな小説ってことだよね」
「はい。でもシャムさん」
「?」
「ネガティブも度が過ぎたら却って痛快じゃないですかね」

 なので、ふたりして架空の小説のプロットを考えてみた。

「暴力団の娘なんてどうですかね」
「組長の?」
「はい。それで暴力団ですから刺青を入れられるんですよ」
「ああ、なるほど。何歳の時に?」
「うわ。シャムさん発想がさすがですね・・・小学生とかだと凄惨過ぎますから中学の時とかどうです?」
「いいね。じゃあ中一で12歳とか」
「いいですね。それでその娘は父親である組長の命令でひたすら対立する暴力団とか自分たちのビジネスの障害となる一般市民とかを殺すんですよ」
「殺す、の?」
「はい」
「中学生の女の子が?」
「はい」
「うーん」
「シャムさん。『人間の狂気を描くんだ』っぽい小説でひたすら殺戮を繰り返す内容のラノベやら異世界モノやら本来小説を生業としないエンタメの旗手?やらがそのテの小説を世に溢れさせてて飽きるほどですよ。それにくらべたらかわいいもんです」
「でも、振り切れるネガティブ小説を、って」
「だから、ホンモノを描くんです」
「ホンモノ?なに?レンカ?」
「ホンモノの悪逆を描くんです」

 レンカの感覚がすごくよく分かって。

 世の中悪を為すのにすら忖度してる人間ばかりだから。

 悪人の癖に大義名分を振りかざしてカモフラする。

 そうじゃないよね。

 悪は悪で、地獄に堕ちる覚悟でやってるんだよね、ってことを確認する小説が、もはや無くなってしまっているかもしれない。

 というか、小説だけの話じゃなくって、偉い人間のやること為すこと忖度してくれる人間・・・・俗に言うイエスマンや暗黙の了解を他人に強いる腰巾着や・・・・・・そういう人間でバリアで何重にもくるんで、善人のフリをしてる。

「せめて小説の中では悪人は悪人らしく、善人もそれなりに、っていう感じに振り切れたらいいですよね」
「ありますよ」

 その声に、えっ、とレンカとわたしは後を振り返る。

「ありますよ。そういう小説」

 そう言ってその女性スタッフさんは、わたしとレンカをバックヤードの奥の奥に引率してくれた。

 連れ込まれたのは到底売り物じゃないだろうという煤を被ったような黒ずんだハードカバーや、水に全体を何度も潜らせたんじゃないかというぶよぶよの文庫や、傷口に触れたら感染するんじゃないかというような船便で辺境の国から輸入された装丁そのものがひび割れたような事典みたいな本やらだった。

「これです」

 女性スタッフさんは、三列で10冊ずつ積み上がった赤々とした錆色の炎が表紙となった小説を掌で指し示した。

「入荷して発売する前夜に発禁になりました」
「えっ。発禁って・・・・発売禁止ってことですか?」
「どうして?表現が残虐だから?」
「いいえ。いえ、それもありますが違います」
「性描写があるから?」
「いいえ。作者はエロティックでセンティメンタルな描写に挑戦していますが性行為そのものを直接描写することだけは自らに封じています」
「じゃあなぜ」
「『ほんとうのこと』が書いてあるからです」
「ほんとうのこと?」
「ノンフィクション、ってことですか?訴訟の恐れがあるとか?」
「ノンフィクションっていうのは単なる現象の話でしょう?そうじゃなくて、本質の、絶対普遍の『ほんとうのこと』をマトモに真正面からホンキで書いてしまっているからです」

 わかる

 とてもよくわかる

『ほんとうのこと』が実現される世の中になったら困る人間がいる。

 忖度の温もりの中で生きたい人間

 悪人の癖に、あるいは厳しい対応をすることが本当の善なのだと詭弁を振るう人間。

 そいつらをすべて燃し尽くすようなほんとうの炎。

「お客さま」

 女性スタッフさんは、こう言った。

「発禁本ですので売れません。差し上げます」
「えっ」
「どうしてわたしたちに?」
「おふたりが『ホンモノ』だと思うからです」

 へえ・・・・・・
 この本屋、ホンキだね。

 あ、わたしが『本屋』って言ったのはこの書店て意味じゃなくてこのスタッフさん個人を差してのことだよ。

 本というものの本質を知り尽くした、プロ中のプロ。

 属性が『本屋』

「シャムさん、『本を買って読めない、借りて読めない』ならば、『貰って読む』のはアリでしょう?」

 ほんとだ

 ほんとにそうだ

 その作者にはなんの報酬もないかもしれないけど、わたしは是が非でもこの小説を読みたくなった。

「スタッフさん。タイトルは?」
「悪逆女王」
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