第107話 シャイニー・アンハッピー・ピープル

文字数 2,929文字

 ロンドンブーツを履いた修験者の襲撃からギャランで離脱して、わたしたちは十三番の札所で老爺と別れた。

 今モヤとわたしがいるのは十四番の札所
 盛寿山延命院常楽寺

 56億7千万年先まで衆生の救済をお考えくださる弥勒菩薩さまがご本尊。

 モヤの身の上を聴いた。

「わたしこの施設出身なんだ」
「え」
「施設出た後暴走族だったとかその辺のことはちょっと割愛させてもらうけど、わたしはいわゆる『赤ちゃんポスト』に入れられてた子供なんだよね」
「ああ…病院なんかに置かれた子育てできなくなった赤ちゃんを置いて行くって言う…」
「わたしが入れられてたポストは京都の病院だったんだけどね。仏縁、ってあるんだよね。高野山の、まあわたしの恩人っていう人がさ…その時はまだ若い修行中のお坊さんだったんだけどね。その人の紹介で四国のこの施設にお世話になることになったんだよね」

 戦災孤児のための施設としてスタートした建物があった。

「モヤの恩人さんって、男のひと?」
「うんそうだよ。その人が仏門に入った理由はね…」

 モヤがそこまで話したところで電柱の突端で、ガス、って音がした。
 ふたりして見上げるとトンビが突端の尖端の面積が狭い部分に爪を丸めるようにして留まっていた。留まったままで羽をなんどかファサファサとはばたかせた。

「殺されたんだ」

 …誰を?

 わたしが目でモヤにそう尋ねると小さくて掠れた声で返ってきた。

「奥さんと赤ちゃんを」

 幼稚園へ向かう女の子とその子とぴったり寄り添って手を繋いで歩いていた母親が、減速ではなくって加速してくる車に跳ねられた。

 青信号の横断歩道のほぼ中央地点で。

 制限速度40km/hの通園・通学路をそのハイブリッド車は85km/hで加速しながら突進して来て、その母子と、それから集団登校をしている小学生の一列渋滞の子たちを跳ねた。

「即死したのはその人の娘さんと奥さんの二人だけ。残りの小学生たちは三日間苦しんで死んだり、足を切断したりして、まだ10代ですらないのに人生の辛酸を一どきに味わった。その人はね、わたしが小学六年生になった時にLINEでこう言ったよ。『妻と娘は苦しまずに死んだ分、まだよかった。苦しみ抜いて死んだ子や四肢の一部を失った子たちのことを思うと仏門に入る以外に生きる道はなかったんです』って」
「…そう…」
「追伸でね、『自殺せずに』って」

 トンビは最初は一羽だったんだけど、モヤが話してくれている間に別の電柱に一羽ずつ、七羽まで増えていた。

「その人はね、わたしを捨てた親に名乗り出るよう病院のアカウントがツイートしたのを観て、親ではないが助けたい、って病院まで法衣のまま来てくれたんだって。それでね、仏心ではなく我執です、って言って、引き取り先を一生懸命になって…」
「仏心だよ」
「わたしもそう思う」
「…モヤ。その人の娘さんと奥さんを殺したドライバーは?」
「スピードと同じ85歳の高齢者。男だよ。その老爺と老婆が夫婦で絶対老人施設には入らないって意地張ってて在宅介護を続けててね。上の兄たちは全然実家に寄り付かなかったんだけど地元で結婚してた一番したの娘がもう結婚して舅姑と子供もいるのに実家の両親の在宅介護のためにほぼ同居状態でさ」
「悲惨だね」
「でね。その老爺はさ、娘が認知症の検査をなだめすかして受けさせてもね、医者の前では急に頑張って認知症じゃないふりをしてさ」
「え。ちょっと待って。認知症だったの?」
「わからない。けど、事故を起こした後、急に自分から認知症の検査受けて、それで認知症だって認められてさ」
「ええっ…」
「判断能力なしで執行猶予がついたよ」

 その老爺が報いを受ければよいとかそういう気持ちじゃなくって、決してそんな気持ちじゃなくって。

 死ねばいいのに、って思った。

「じゃあモヤ。もし娘さんが認知症の検査を受けさせた時に素直に認知症だって認めてたら…」
「車を運転してアクセルとブレーキを踏み間違えて人を殺すこともなかっただろうね」

 モヤはわたしにスマホのメモ帳を見せてくれた。

「シャム。わたし、運がいい人は善根を積んだから運がいいんだとは思わない。ううん、絶対に思いたくないんだよ」
「うん」
「だから、これを、書いては消し消しては書いてをずっと続けてるんだ」
「読んでいい?」
「うん。シャムに読んでほしい」

・・・・・・・・

 私論
 されどおそらくは事実

 運の悪い人間がひどい目に遭うのはどういうことかというと「逃げていない」ことが原因と考えられる。

 例示してみると

☆コピー機が詰まる
 ・コピーを誰かの代わりにとってあげている頻度が高い。

 ・実は既に調子が悪くなっていたのに「あ、まずい」と他の人はスルーしている。

 ・あなたはスルーできずに対処している。

☆シュレッダーがいっぱいになる

 ・前の人が無理やり屑を圧縮して次の人が必然的に詰まるようになっている。

 ・あなたはいっぱいになってきたらきちんと処理している。


☆介護をひとりで引き受けている

 ・兄弟姉妹等が自己実現のために一生懸命になっていて介護をスルーしている。

 ・そもそも介護される側が自分の自己実現のために一生懸命になっていて介護する人間の自己実現や実生活を無視している。

 ・介護される側が「自分は別に介護は必要ないのだけど」と老いや寿命があることを認めようとしない。

 ・あなたは見るに見かねて対応を続けている。


☆いじめに遭う

 ・自分以外の誰かがいじめに遭っていることを潜在的に見過ごすことができない。

「別の子がいじめられているのはつらい。いじめる側がいじめそのものをやめないのならば代わりに自分がいじめられた方がマシだ」と考えてしまう。

★まとめ

 つまり、「運が悪い」のではなく、自分の夢を「人助け」と勝手に自己弁護して責任感が無く義務をすら履行しようとせずにしない人たちのワリを食っているだけである。

 こうなってくると運がいい悪いという問題ではなく、その人間の全人格の問題であり、災難を逃れている人間はその災難や手間を未然に引き受けている人たちの『お情け』で死亡せず生きているに過ぎない。

 わたしに施設を紹介してくれたその僧侶が「損な方へ回りなさい」と言うのはまさにワリを食うこと自体が最上の「奉仕」であり、これを突き詰めていくとこの世でもっとも尊敬されるべき人間は成功して賞賛される人間ではなく、戦災や震災や闘病や虐待やいじめや犯罪被害などで辛酸を経験したり命を落としたりする人たちのことである。

「自分の好きなこと」で努力したり成功したりすることがダメなわけではなくて、そういう人たちは前述の辛酸と死に直面する人たちよりも下位に位置し、その人たちの『お情け』で生き延びて好きなことをしていられるに過ぎないということを分かった上で自分の好きなことを最優先してやりたいようにやっててくださいという意味だ。

 そういう自分の世界観で世の本当の実相を観えないようにすることを、なんとかして止めたい。

・・・・・・・・・・・・・

 読み終えてからわたしは動けなかった。

 先達ドライバーであり、細心の注意と準備と謙虚なココロで運転という仕事に従事するモヤを、なんだかとても羨ましく感じた。

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