第80話 壊れることが怖いのさ
文字数 2,417文字
とても美しいものの一部分がほんの少しだけ欠けた場合にさ、ものすごく惜しむひとっているよね。
というかほぼ全員そうかもしれないよね。
わたしの顔が世間のひとたちからどんな評価を受けているかってことは訊いても多分本音を言わないからわからないだろうしどんなに自分を客観的に観たところでどこか手加減が入ってしまうだろうから自己評価もできないし。
だからわたしの顔が美醜でいったらどちらよりなのか、いや醜いのは醜いでわかってるけれどもどの程度のレベルの醜さなのかってことをどうやったらほんとうに知ることができるかな。
あ。
そういえば一人いた。
「ね。言夢 」
「なんだよ、捨無 」
「わたし、きれい?」
「はあ?ちょっとまて。それってずうっと昔の都市伝説的なホラー話の『○裂け女』ってやつのセリフじゃないのか?」
「?○には何が入るの?わたし世情にうとくて」
「…『股裂け女』」
「うそ?」
「うそ」
こんなふざけた応答をするゲンムだけど実は支援学校の学生なんだよね。
そして支援学校に通うために入っていたアパートをしばらく空けてわたしを実家に招いてくれたのはわたしに付き合って学校をサボってるわけじゃなくて、ボランティア休暇なんだよね。
うつ病患者の看護、っていうボランティアの。
健常者であるはずのわたしを、障害者と呼ばれるはずのゲンムがボランティアで看護してくれてる。
バッチリ学校の単位として認定されるらしいし。
「で?なんで突然容姿を気にするようなこと言うんだよ?」
ゲンムの面倒臭そうな手話に、ほんとは二人だから声に出して喋ってもいいんだけど、20:00過ぎで仕事の勉強なんかをやってるビジネスパーソンが大勢いるカフェで無粋な話を聞かせるのも気がひけたからわたしも手話で応答した。
「老いて朽ちてゆくのが怖いの」
「…あん?」
相変わらず暴力的な手話だな。
わたしも最近はゲンムの手クセがなんとなく分かってきたから乱暴に答えたよ。
「老いてボケて傍若無人に振る舞うようなばあちゃんになるのが耐えられないんだよ!」
声を一切出してないのにわたしの手話に周囲のビジネスパーソンたちが一斉に振り向いた。ゲンムは冷静だったな。
「そうか。だから今現在まだ老いてなくてきれいかどうか確認したいんだな?」
「…うん」
「シミがある」
ああ来たか、って感じだったけど、予想以上にゲンムの観察眼を思い知らされることになるとは。
「シャム。シャムの右ほおと顎関節の付け根あたりにあるそのシミだけどさ、ここ2、3日で少し広がったぞ」
「えっ」
「なんだ。鏡観てないのか?他人のわたしに言われる前に自分で気付きなよ」
驚いた。
わたしの右眼の目尻のあたりにはもっと大きなシミがある。そっちを指摘されるものとばかり思ってた。あるいはそのシミのすぐ脇にある目尻のシワを、大して笑いもしないから笑い皺などできようはずのないわたしにしてとても深いクレバスのようだとでも指摘されると思ってたから、とりあえず先回りして言ってみた。
シミの方を。
「ゲンム。わたしのこっちの大きなシミ、気になるでしょう?」
「ああ、気になる」
「そうだよね。醜いよね」
「なに言ってんだ、シャム」
「え?」
「そっちのシミはかわいいぞ」
どういうセンスだろうか。それともまさかお世辞だろうか。ゲンムだけはこの世の誰に対しても世辞だけは言ったり思ったりしないだろうと勝手に解釈してたけれどもそれでもわたしのうつ病を悪化させないためにそんなことを言うんだろうか。
「大きいシミはいいんだよ。だってその形、日本のどっか北の方の透明度がすごく高い湖の形ってさ、そんなんじゃなかったっけ?」
知らない、そんなの。
でもゲンムはホンキみたいで続けてこう言ったよ。
「それにそのシミの色がシャムの本当の色かもしれないだろ」
「どういうこと?」
「少しずつシャムが熟成していってさ、そうしたらその落ち着いたダークな色の肌の方にさ、全身が染まっていくんだとしたらその方が自然じゃないか?」
「びっくり」
「なんだよ、『びっくり』って」
「だって、それって花が枯れるみたいにくすんで茶色くなっていく感覚みたいじゃない」
「なに言ってんだよ。『くすむ』ってなんだよ」
「それは…色が暗くなること?」
「おいおい。じゃあ訊くけどさ。暗い色って言うんなら漆ってくすんでるか?」
「漆って・・・漆器とか?」
「ああそうだよ。たとえばわたしのお父さんはな」
「またびっくり」
「なんでだよ」
「ゲンムがお父さんのこと『お父さん』って呼ぶなんて」
「なんだよそれは。『オヤジ!』とかでも呼んでると思ってたのかよ」
「ううん。たとえば『オイ!』とか『テメエ!』とか呼んでるのかと」
「わたしをなんだと思ってんだよ。そんなことはどうでもいいんだよ。わたしのお父さんがな、黒の漆塗りの箸を使ってんだけどな」
「うん」
「その箸の漆がな、剥がれないんだよ。何年経っても。毎日洗っても」
「うそ」
「これはほんとだよ。なんと値段は三万円だ」
「お箸一膳が?」
「ああそうだ。でもな、わたしがその箸の職人をすごいと思うのはそれだけじゃないんだ。持ち手のところからずうっと漆塗りで見事なまでの肌触りなんだけどな、尖端の部分は漆が塗ってないんだよ」
「?」
「つまりな。食べ物をつまむその肝腎カナメの部分はな、コーティングなしの木の地肌が剥き出しなのさ」
「ああっ!」
「そうだよ。びっくりするのはここだろうが。シャム。ほんとうに肝腎カナメの部分は傷つこうが汚れようがまったく気にかける必要のない剥き出しじゃないとダメなのさ。だからシャムのその面積の大きいシミはシャムのビューティ・ポイントさ」
ああ。
ゲンムって、すごい。
すごい感性の子だな。
そういう感性をはぐくむような生活をしてるお父さんもお母さんも、素敵だな…
もっとずっとこの家族と一緒にいたいな。
「さあシャム。今度はわかってんだろうな」
「?なに?」
「わたし、きれいか?」
というかほぼ全員そうかもしれないよね。
わたしの顔が世間のひとたちからどんな評価を受けているかってことは訊いても多分本音を言わないからわからないだろうしどんなに自分を客観的に観たところでどこか手加減が入ってしまうだろうから自己評価もできないし。
だからわたしの顔が美醜でいったらどちらよりなのか、いや醜いのは醜いでわかってるけれどもどの程度のレベルの醜さなのかってことをどうやったらほんとうに知ることができるかな。
あ。
そういえば一人いた。
「ね。
「なんだよ、
「わたし、きれい?」
「はあ?ちょっとまて。それってずうっと昔の都市伝説的なホラー話の『○裂け女』ってやつのセリフじゃないのか?」
「?○には何が入るの?わたし世情にうとくて」
「…『股裂け女』」
「うそ?」
「うそ」
こんなふざけた応答をするゲンムだけど実は支援学校の学生なんだよね。
そして支援学校に通うために入っていたアパートをしばらく空けてわたしを実家に招いてくれたのはわたしに付き合って学校をサボってるわけじゃなくて、ボランティア休暇なんだよね。
うつ病患者の看護、っていうボランティアの。
健常者であるはずのわたしを、障害者と呼ばれるはずのゲンムがボランティアで看護してくれてる。
バッチリ学校の単位として認定されるらしいし。
「で?なんで突然容姿を気にするようなこと言うんだよ?」
ゲンムの面倒臭そうな手話に、ほんとは二人だから声に出して喋ってもいいんだけど、20:00過ぎで仕事の勉強なんかをやってるビジネスパーソンが大勢いるカフェで無粋な話を聞かせるのも気がひけたからわたしも手話で応答した。
「老いて朽ちてゆくのが怖いの」
「…あん?」
相変わらず暴力的な手話だな。
わたしも最近はゲンムの手クセがなんとなく分かってきたから乱暴に答えたよ。
「老いてボケて傍若無人に振る舞うようなばあちゃんになるのが耐えられないんだよ!」
声を一切出してないのにわたしの手話に周囲のビジネスパーソンたちが一斉に振り向いた。ゲンムは冷静だったな。
「そうか。だから今現在まだ老いてなくてきれいかどうか確認したいんだな?」
「…うん」
「シミがある」
ああ来たか、って感じだったけど、予想以上にゲンムの観察眼を思い知らされることになるとは。
「シャム。シャムの右ほおと顎関節の付け根あたりにあるそのシミだけどさ、ここ2、3日で少し広がったぞ」
「えっ」
「なんだ。鏡観てないのか?他人のわたしに言われる前に自分で気付きなよ」
驚いた。
わたしの右眼の目尻のあたりにはもっと大きなシミがある。そっちを指摘されるものとばかり思ってた。あるいはそのシミのすぐ脇にある目尻のシワを、大して笑いもしないから笑い皺などできようはずのないわたしにしてとても深いクレバスのようだとでも指摘されると思ってたから、とりあえず先回りして言ってみた。
シミの方を。
「ゲンム。わたしのこっちの大きなシミ、気になるでしょう?」
「ああ、気になる」
「そうだよね。醜いよね」
「なに言ってんだ、シャム」
「え?」
「そっちのシミはかわいいぞ」
どういうセンスだろうか。それともまさかお世辞だろうか。ゲンムだけはこの世の誰に対しても世辞だけは言ったり思ったりしないだろうと勝手に解釈してたけれどもそれでもわたしのうつ病を悪化させないためにそんなことを言うんだろうか。
「大きいシミはいいんだよ。だってその形、日本のどっか北の方の透明度がすごく高い湖の形ってさ、そんなんじゃなかったっけ?」
知らない、そんなの。
でもゲンムはホンキみたいで続けてこう言ったよ。
「それにそのシミの色がシャムの本当の色かもしれないだろ」
「どういうこと?」
「少しずつシャムが熟成していってさ、そうしたらその落ち着いたダークな色の肌の方にさ、全身が染まっていくんだとしたらその方が自然じゃないか?」
「びっくり」
「なんだよ、『びっくり』って」
「だって、それって花が枯れるみたいにくすんで茶色くなっていく感覚みたいじゃない」
「なに言ってんだよ。『くすむ』ってなんだよ」
「それは…色が暗くなること?」
「おいおい。じゃあ訊くけどさ。暗い色って言うんなら漆ってくすんでるか?」
「漆って・・・漆器とか?」
「ああそうだよ。たとえばわたしのお父さんはな」
「またびっくり」
「なんでだよ」
「ゲンムがお父さんのこと『お父さん』って呼ぶなんて」
「なんだよそれは。『オヤジ!』とかでも呼んでると思ってたのかよ」
「ううん。たとえば『オイ!』とか『テメエ!』とか呼んでるのかと」
「わたしをなんだと思ってんだよ。そんなことはどうでもいいんだよ。わたしのお父さんがな、黒の漆塗りの箸を使ってんだけどな」
「うん」
「その箸の漆がな、剥がれないんだよ。何年経っても。毎日洗っても」
「うそ」
「これはほんとだよ。なんと値段は三万円だ」
「お箸一膳が?」
「ああそうだ。でもな、わたしがその箸の職人をすごいと思うのはそれだけじゃないんだ。持ち手のところからずうっと漆塗りで見事なまでの肌触りなんだけどな、尖端の部分は漆が塗ってないんだよ」
「?」
「つまりな。食べ物をつまむその肝腎カナメの部分はな、コーティングなしの木の地肌が剥き出しなのさ」
「ああっ!」
「そうだよ。びっくりするのはここだろうが。シャム。ほんとうに肝腎カナメの部分は傷つこうが汚れようがまったく気にかける必要のない剥き出しじゃないとダメなのさ。だからシャムのその面積の大きいシミはシャムのビューティ・ポイントさ」
ああ。
ゲンムって、すごい。
すごい感性の子だな。
そういう感性をはぐくむような生活をしてるお父さんもお母さんも、素敵だな…
もっとずっとこの家族と一緒にいたいな。
「さあシャム。今度はわかってんだろうな」
「?なに?」
「わたし、きれいか?」