第219話 できないことをできないということはかっこいいことだ①

文字数 2,274文字

 一夜明けて宿はそのままでモヤ御用達の自動車整備工場に出かけた

 社長含め従業員2名の小さな個人事業主だったよ

「社長 よろしくお願いします」
「おおよく来たね そのひとたちは?」
「同行です」

 同行という言い方はお遍路的でこの社長は実は超長距離を運行するありとあらゆる職業ドライバーたちからそうまるでプロ野球の野手がバットをオーダーするようなあるいは刀鍛冶に一大事の時に使うひとふりを依頼するような感覚で絶対的な信頼を得ている業者だった

 正装している

「社長のツナギはいつ観ても洗濯が行き届いてますね」
「モヤちゃんありがとうよ なにせドライバーはもちろんお客様の大切な命をお預かりする乗り物だからね 身もココロも清めるつもりで身支度してるよ」

 そしてこれが従業員ふたりの工場だろうかと思うぐらいに大きな整備工場だった

 ううん 大きく感じられた

 実際はふたりでこなせる工程に見合ったスペースと設備しかないのだけれども整理整頓が見事になされていて床にも油汚れもなければほんとうにホコリひとつ落ちていないのではないかと思えるぐらいだった

「さて ギャラン 見事だよモヤちゃん」
「社長 ありがとうございます」
「?見事って?」
「ええと ミコさんでしたね マシンのメンテナンスはもちろん洗車もワックスがけも車内の清掃も完璧ですよ ラグジュアリーな乗り心地だったでしょう?」
「はい シートから伝わってくる振動はほとんどなくて香りまでセンスのよい純喫茶の店内のようでした それでいて走りは機敏で…時にワイルドで…最高の車だと思いました『まさにそのとおりだな』ゲンムもそう思う?」
「ちょちょ…全部社長のチューニングのおかげですよ」
「いや ガソリン車ではあるけれども燃油ではなくて清流の冷涼な水を燃料として走る神秘の車のようだよ」

 代車は利用せずわたしたちは車検の作業が終わるまで仕事を眺めながら待たせていただくことにした

 作業を開始してしばらくしてからレクサスが工場敷地内に入ってきた

「整備してくれや」

 レクサス本体のシルエットも降りてきたドライバーのそれもホンモノの暴力団のようだった

「お断りいたします」
「なに?どうしてだ 俺がヤクザだからか?」
「違います」
「ならどうしてだ」
「このレクサスはまっとうに働いて買った車ではないからです」
「ならやっぱり俺がずっとヤクザやってきたからって言ってるのと同じじゃねえか」
「いいえ あなたが今現在ヤクザだとか反社だとかいう問題ではありません あなたには改心するお気持ちが見受けられないからです」
「改心だと?」
「はい」
「俺が改心しそうにないと?」
「そうです」
「なぜわかる」
「『一目瞭然じゃねえか』あ!ゲンムの手話 訳しちゃった!」
「なんだこのガキ」
「お客様 話をさせていただいているのはこのわたくしです」
「じゃあわかったよ。改心したわ。ほれこれならいいだろうが?」
「いいえ」
「おまえ言ったじゃねえか改心したら整備するってよ」
「改心なさっておられません」
「なんでおまえに俺の心の中がわかるんだよ!」
「わかるんだよこの社長は」
「なんだおまえは」
「このギャランのオーナーだよ」
「ふ 何年前の車だよ? 車検なんか通さずに不法投棄でもしとけや」

 そのひとはモヤのギャランの左のドアを靴底がなんの皮革かわからないけどおそろしく固そうな革靴で蹴ったよ

「…決闘を申し込みます」
「はあ?狂ってんのかこの女。決闘?西部劇かオマエは!」
「狂ってんのはオマエだ!このギャランは四国八十八か所を千周万周繰り返してきたいわば神仏の車だ!職業的ドライバーを舐めるな!」
「ほう。ヤクザは金にもならんことをしないってオマエも知ってるだろうが」
「お客様」

 社長の言葉は丁寧だけど多分今この場にいる人間の中で一番恐ろしい性分の持ち主だってわたしにはすぐ分かったよ

「お客様 お受けなさい きっと改心できるでしょう お客様がお勝ちになられたら前からおっしゃっておられたコンサルタント契約を結ばせていただきます」

 なるほど

 このひと表面上はコンサルタント企業の社員なんだね で社長にコンサルタント料の名目で上納金を納めろってずっと嫌がらせをし続けてきてたということなんだね…

「まあいいや。ただ俺は素人だ。ハンデをくれよ」
「素人?」

 噛みつきそうになるモヤを手で静止しながら社長はヤクザさんとの話を続ける


「ふ。それでいいんだよ。ただし俺は素人だ。ハンデをくれ」
「と言いますと?」
「それだよ」

 そのひと整備で上がったばかりの軽四ワゴンを指差した

「その’有限会社 零細ビルメンテナンス‘ってロゴの入った軽四に乗れよ」
「お客様 この車は別のお客様からのご依頼で整備にお預かりしているものです どうぞ別のハンデを」
「ダメだ。断るならその’零細ビルメンテナンス‘って会社の玄関前にウチの新入社員を毎朝通わせるぞ」
「…」
「社長。大丈夫ですよ。わたしの運転技術と車に乗る時の禊のココロを知っておられるでしょう?レクサスとのレースごとき見事試運転として差し上げますよ」
「モヤちゃん ほんとうにいつもいつもご負担をおかけしますねえ」
「なにをおっしゃるんですか社長 社長の整備のお陰で大難を小難に小難を無難にしてこれまでの業務を勤めてこられたんです」
「おまえらキショい師弟愛ごっこしてんなよ。さっさとやるぞ」
「モヤ」
「なんだい?ミコ」
「わたしも乗せて」
「?ダメだよ 車重が増えて不利になる」
「ううん 絶対にそんなことにさせないから…ね?」
「? わかったよ」

 モヤもわたしの物言いに何かを感じてくれたみたい


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