第126話 ココロの庭
文字数 2,049文字
それが目的じゃないけれども、もしも草花を愛でたい気持ちで神社仏閣を訪れたひとがさ
ふっと神さまや仏さまに手を合わせたなら、とてもうれしいことだと思うな
「綺麗だね、シャム」
「うん。ほんとに」
モヤにはこういう感性がある
どういう感性かというと、映えを気にしない感性
映えじゃなく、草を草だなって観て、花を花だなって愛でて、太陽光の下ならば手のひらでまぶしさを和らげるだけで、翳っていれば涼しいねってにこっとできる子
ああ、子、なんて言い方したけど、こういう感性こそが大人の女性だよね
第二十七番札所 地蔵院 神峯寺
わたしとモヤは石段を昇る
石段の両隣には美しい日本庭園が続いていて、よく観たら小さな蜂が花に近づいては離れ、離れては近づいて、羽を眼に見えない振動のスピードで震わせて空中に静止している。
「シャムは写真とかいいの?」
「うん。お参りが終わってから」
「でも、蜂がいなくなっちゃうよ?」
「うん。だって、自然がいいから」
「ほんとだね」
ふふふ、っていつもより多い笑いで暗黙の了解を確認し合った
そしてわたしには思い出すシーンがあるんだ
・・・・・・・・・・・
「おねえさま。今年のお花見はどの桜を観ましょうか」
「そうだね。お橋の傍に並んでいる桜の内で一番綺麗に花を咲かせている樹に」
「かしこまりましたわ」
わたしはおねえさまのご機嫌を伺う。
だっておねえさまはこの国のすべての権限を神託を拠り所として継承なさる方だから。
「笑声、今から選びに行きますよ」
「桜花さま、何を拠り所として『一番綺麗』を選ぶのですか?」
「ふふふ。おねえさまと同じですよ。神さまにお選びいただくのです」
「はあ」
去年までわたしの侍従をやってくれていた楓は老衰で他界して、新しく採用した笑声はまだ三ヶ月だけどそれなりに頑張ってくれている。
まあしかしまだ5歳の女の子だからねえ。
「桜花さま、わたしは一番お美しく咲いているのは桜花さまだと思うのですよ」
「これ笑声。その歳で世辞を覚えるようでは正しい大人になれませんよ」
「よいのです。世辞などではないのですから。わたくしはほんとうのことを言う大人になるのです」
そう、まだ幼い笑声を侍従に拾ってきたのはこの『正直』さが天与のものだから。彼女の性根を処世として損をするという人間が多いけれどもそんなこと言うのは浅瀬でちゃわちゃわしたまま生涯を終える哀れな人間どもだよ。
「わあ、桜花さま。花が」
「うん。七分咲きといったところだね。選びどきだよ」
さて
絶対的に綺麗な桜を選ぶのはたやすいよ
綺麗でない桜など、ほぼないのだからさ
でもおねえさまのご所望は『一番』だよ
さてさて
「目移りしますねえ、桜花さま」
「一番『かわいい』のならすぐ選べるのにね」
「はい?」
「笑声」
「桜花さまこそ世辞を覚えては碌な大人になれませぬよ」
「いいのよ。わたしはもう数え十四の婆あだから」
まあこういう笑声との戯れがあるからこうして日暮らしできてるけど
「あ。桜花さま。あの桜の樹は?」
「どれ」
川縁に一本だけ離れて立ってる老桜
低い位置まで降りてきてくれている枝ぶりといい幹から根本にかけての明るい緑色の苔といい土から少し盛り上がるようにして張っている根そのものといい、重鎮感を眼にも観えるように出している
花びらは透き通るように薄く白くほんのり桜色で
「笑声。裏は?」
「え。桜花さま、裏とは?」
わたし自身が躊躇しないつもりで笑声の右手をきゅうと握って少し早足で歩き出した
笑声はわたしにだからというだけでなく、5歳の女の子なら年上の人間に手を引かれるのが安心するという心情でもって名前のとおり微笑しながら、桜花さま速い速い、と楽しそうに声に出して着いて来たけども日陰の側に回って別の声を上げた
「あう」
かわいらしい声と聞こえなくもないけども、泣かせてしまった
「うぅ…」
笑声とわたしは日陰側の桜の木肌をほとんどびしりと覆っている毛虫の群れを目を逸らさずに観つめる
「この桜、寿命だね」
「はい…」
桜は毛虫に覆われた側の根まで枯れ始めていて、この毛虫たちに害虫といういじめっ子がつける渾名のようなレッテルでも貼るとしたらこの桜は伐採して燃さないといけない
「でも笑声、でかしたよ。この桜が一番」
「え」
「おねえさまに推薦しましょう」
果たしておねえさまはこの桜の下で花見をしてくれた
甘茶をたててそうして桜の根元に茶をかけて飲ませてくださった
「桜花、笑声。ありがとう」
「はい」
「いいえ」
はい、は笑声 素直
いいえ、はわたし 謙遜
花見が終わると、毛虫をムシロに移らせてからそうして桜をねんごろに火葬に弔ってあげた
・・・・・・・・・・・・・・・
「モヤ。あなたのずっと昔の名前って知りたくない?」
「え。それって」
「笑声」
「へ」
「笑い声で笑声。モヤ」
なんだかこのお寺の庭を観て、ほうっ、と甘いため息を吐いていたモヤに、わたしはおねえさまと同じ声音で言った
「ありがとう」
「?…はい」
ふふ
モヤは、今の世でも、かわいい
ふっと神さまや仏さまに手を合わせたなら、とてもうれしいことだと思うな
「綺麗だね、シャム」
「うん。ほんとに」
モヤにはこういう感性がある
どういう感性かというと、映えを気にしない感性
映えじゃなく、草を草だなって観て、花を花だなって愛でて、太陽光の下ならば手のひらでまぶしさを和らげるだけで、翳っていれば涼しいねってにこっとできる子
ああ、子、なんて言い方したけど、こういう感性こそが大人の女性だよね
第二十七番札所 地蔵院 神峯寺
わたしとモヤは石段を昇る
石段の両隣には美しい日本庭園が続いていて、よく観たら小さな蜂が花に近づいては離れ、離れては近づいて、羽を眼に見えない振動のスピードで震わせて空中に静止している。
「シャムは写真とかいいの?」
「うん。お参りが終わってから」
「でも、蜂がいなくなっちゃうよ?」
「うん。だって、自然がいいから」
「ほんとだね」
ふふふ、っていつもより多い笑いで暗黙の了解を確認し合った
そしてわたしには思い出すシーンがあるんだ
・・・・・・・・・・・
「おねえさま。今年のお花見はどの桜を観ましょうか」
「そうだね。お橋の傍に並んでいる桜の内で一番綺麗に花を咲かせている樹に」
「かしこまりましたわ」
わたしはおねえさまのご機嫌を伺う。
だっておねえさまはこの国のすべての権限を神託を拠り所として継承なさる方だから。
「笑声、今から選びに行きますよ」
「桜花さま、何を拠り所として『一番綺麗』を選ぶのですか?」
「ふふふ。おねえさまと同じですよ。神さまにお選びいただくのです」
「はあ」
去年までわたしの侍従をやってくれていた楓は老衰で他界して、新しく採用した笑声はまだ三ヶ月だけどそれなりに頑張ってくれている。
まあしかしまだ5歳の女の子だからねえ。
「桜花さま、わたしは一番お美しく咲いているのは桜花さまだと思うのですよ」
「これ笑声。その歳で世辞を覚えるようでは正しい大人になれませんよ」
「よいのです。世辞などではないのですから。わたくしはほんとうのことを言う大人になるのです」
そう、まだ幼い笑声を侍従に拾ってきたのはこの『正直』さが天与のものだから。彼女の性根を処世として損をするという人間が多いけれどもそんなこと言うのは浅瀬でちゃわちゃわしたまま生涯を終える哀れな人間どもだよ。
「わあ、桜花さま。花が」
「うん。七分咲きといったところだね。選びどきだよ」
さて
絶対的に綺麗な桜を選ぶのはたやすいよ
綺麗でない桜など、ほぼないのだからさ
でもおねえさまのご所望は『一番』だよ
さてさて
「目移りしますねえ、桜花さま」
「一番『かわいい』のならすぐ選べるのにね」
「はい?」
「笑声」
「桜花さまこそ世辞を覚えては碌な大人になれませぬよ」
「いいのよ。わたしはもう数え十四の婆あだから」
まあこういう笑声との戯れがあるからこうして日暮らしできてるけど
「あ。桜花さま。あの桜の樹は?」
「どれ」
川縁に一本だけ離れて立ってる老桜
低い位置まで降りてきてくれている枝ぶりといい幹から根本にかけての明るい緑色の苔といい土から少し盛り上がるようにして張っている根そのものといい、重鎮感を眼にも観えるように出している
花びらは透き通るように薄く白くほんのり桜色で
「笑声。裏は?」
「え。桜花さま、裏とは?」
わたし自身が躊躇しないつもりで笑声の右手をきゅうと握って少し早足で歩き出した
笑声はわたしにだからというだけでなく、5歳の女の子なら年上の人間に手を引かれるのが安心するという心情でもって名前のとおり微笑しながら、桜花さま速い速い、と楽しそうに声に出して着いて来たけども日陰の側に回って別の声を上げた
「あう」
かわいらしい声と聞こえなくもないけども、泣かせてしまった
「うぅ…」
笑声とわたしは日陰側の桜の木肌をほとんどびしりと覆っている毛虫の群れを目を逸らさずに観つめる
「この桜、寿命だね」
「はい…」
桜は毛虫に覆われた側の根まで枯れ始めていて、この毛虫たちに害虫といういじめっ子がつける渾名のようなレッテルでも貼るとしたらこの桜は伐採して燃さないといけない
「でも笑声、でかしたよ。この桜が一番」
「え」
「おねえさまに推薦しましょう」
果たしておねえさまはこの桜の下で花見をしてくれた
甘茶をたててそうして桜の根元に茶をかけて飲ませてくださった
「桜花、笑声。ありがとう」
「はい」
「いいえ」
はい、は笑声 素直
いいえ、はわたし 謙遜
花見が終わると、毛虫をムシロに移らせてからそうして桜をねんごろに火葬に弔ってあげた
・・・・・・・・・・・・・・・
「モヤ。あなたのずっと昔の名前って知りたくない?」
「え。それって」
「笑声」
「へ」
「笑い声で笑声。モヤ」
なんだかこのお寺の庭を観て、ほうっ、と甘いため息を吐いていたモヤに、わたしはおねえさまと同じ声音で言った
「ありがとう」
「?…はい」
ふふ
モヤは、今の世でも、かわいい