第92話 スルーするならスルスルするがいいよ!

文字数 3,425文字

 うつ病の原因は大まかにはわかってる
 長らく生きているとココロにもカラダにも垢が溜まるんだよね。

 そうして実は垢が溜まりやすい人間っていうのは潜在意識下で他人のために埃をかぶり汚泥をすする人間。

 埃をかぶり汚泥をすする人間は自己の無い人間らしい。

 ちゃんと自分の都合が悪いっていう状況を相手に伝えれば相手を恨むこともないからそういう人間はむしろ根性が曲がってるんだっていう人もいる。


 でも、わたしは誇りたい

 埃をかぶり汚泥をすする子たちを自己の無い人間って言えない人間であったことを

 自分自身がそういう子たちと同類の人間であったことを


 だってさ、わたしの恩人はさ

 『損な方、損な方を探して回りなさい』

 って、徹頭徹尾言い続けてたから

 潜在意識下でわたしやその子たちがが損な方を選び続けた結果、別のひとは得な方を自ら選ばずしてゲットしてるんだから

 単なる棚ボタなんだから

 さあ

 自己が無いのはどっち?


 これを繰り言ととるのなら、もう読まなくていいよ
 ほんとうのことだって思うひとだけ続きを読んでよ


 「努力」という言葉が全く誤って解釈されている世の中なのでここまで老人があふれかえって国の根幹を崩しかねない勢いになっている。

 自由努力などは努力とは呼ばない。努力と呼んで差し支えないのは次の事象に対する努力のみ

・ 罹災

・ 戦災

・ 闘病(ただし『一般人』としての闘病。VIP病人は除く)

・ 虐待

・ いじめ

・ 扶養義務履行(特に舅・姑に対する、あるいは長兄・長姉でない人間が、長兄・長姉・その子供たちの協力を全く得られずに単独で介護や看護といった扶養義務を果たさざるを得ない場合)

・ 奴隷



 スポーツに努力なんてないよ。

 そもそもそれぞれのスポーツが実際にはどういう行為を指すのかを見てみるといいよ。

 野球・・・固く丸めた玉を投げて棒で打って手袋で捕る遊び

 テニス・・網を張ったしゃもじのような形のものでゴムボールをぼんぼん打ち合う遊び

 サッカー・ゴムまりを足で「えい」と蹴とばして大きな四角い籠に入れる遊び

 バスケ・・ずいずいずっころばしごまみそずいよりもやや速いテンポでゴムまりを突いてアメンボみたいに床の上を走って底の抜けた籠にひょいっとゴムまりを通す遊び

 

 書き連ねればもっとあるけど、すべてのスポーツにおいて『努力』なんてないよ。

 努力だとか精進だとかでカモフラされる肉体やメンタルへの負荷は収入を上げるための投資行為でしかなく、むしろ勤め人や自営業者や職人の方がよほど才覚が必要で工夫と努力をしてるって思うよ。もっと大変なのは仕事をやった上で介護や看護をやってるひとたちだよね。更にその介護や看護をする相手が自分が直接扶養義務を負う人間じゃなくてさ、兄夫婦や姉夫婦が逃げていってしまって逃げ遅れた人間がやってる場合だよね。そしてそれを賞賛しないような世の中にしてしまっていることはとんでもないことじゃないかな?


 ずっと昔はさ…ごめん、ちょっと昔はさ、世間的に映えない『努力』をしている姑を抱える嫁や卑怯な兄夫婦に代わって献身的な介護をする末妹・末弟を賞賛してねぎらう雰囲気があったと思うんだよね。でも今は全然無いよね。

 理由はごく単純で、そういう人間を評価の対象にしちゃったらさ、一切そういうことをやっていない自分たちが評価されない対象に陥る可能性が高いから。

 だから介護や舅・姑との同居やらを回避している後ろめたさ・卑怯さを『難しい研究に没頭』やら『過酷なトレーニングに邁進』やらっていった適当な『価値観』やら『世界観』やらでごまかすために金メダルやらノーベル賞や芥川賞・直木賞やらといったものを価値あるものに仕立てようと必死になっている。ところでわたし『やら』って何回言ったっけ?

 本当はそうではなくて、メダルやら賞やらにふらふらせずに現実に糞尿を垂れて愚痴をこぼし自分が老人であるのに老人の集団に入ろうとせずデイサービスを逃げ続ける親どもや舅・姑にフィジカルでもメンタルでも直接接触せざるを得ず、自分の収入が家計の重要な要素になっているにも関わらず『ここが誰の家と思ってんの?』と自分たちの年金をこれまでの成果のように誇る老人たちをこそ喝破していわれない不遇に埋もれている人たちを慰める必要があるんじゃないかな?


 はっきり言って。


 年金とは老人が好き勝手に使える収入じゃなくてさ、自分たちを介護せざるを得ない状況に置かれている子や孫の介護負担を少しでも軽減するためのものであってさ、日本昔話に出てくるような年寄りに敬意を払い優しく接する忠孝を旨とする人間がいたならば、その人間に年金を直接支給すべきだと思うんだけど(もっとも、尊敬されるべき老人は今の日本にはほぼいないと思うからそういう忠孝を旨とするような人間も出てこないかもしれないけど)

 そうしないと老人が自分たちの洒落や嗜好に走るために金銭を使うか、研究者として海外に留学しようとか博士課程を出ようとかスポーツで身を立てたいとか自分の店を持ちたいとかいう親族の内の現実をスキップしてファンタジーだけ求める孫たちにばっかり年金を注いで脆弱な心身しか持たない我が身をまったく棚に上げて自分自身が本当に介護なしじゃどうにもならなくなった時には年金の貯蓄もなく国の財政にすがるのに『国が悪い!』って愚痴をこぼすの、卑怯じゃないかな?


  わかっているから

  黙っている

  金になるから

  映えを評価する

 自分の気分でいいねをしたりディスったりするくせに本当にダメなものにはダメと言わず、さっき言ったほんとうの意味での忠孝の精神の塊のようなひとたちのことは永遠にスルーして存在すら認めようとしない。

 その時にとっても都合がいい言葉が『世界観』や『価値観』だよね。



 忖度で決まる程度の『世界観』なんて下水溝に捨てるべきだよ。

 さっき言ったほんとうの意味での忠孝の精神の塊のような人たちのように稀有な『これより他に何もない絶対的な価値』があるのに間違った多様性や自分で勝手に決めることのできる『価値観』程度で光が当たるはずの人間を埋もれさせ続けている。


 多様性を都合よく利用しようとするマイノリティのフリをした寄ってたかってのマジョリティたちが本当の意味での忠孝の精神の塊のような真にレアなマイノリティのひとたちをね、駆逐してるよね。


 誰か反論できるならして欲しい。

 だって、わたしだってそうあってほしくないから。

 そうあってほしくないけどそうとしか見えないから。


 本来エンターテイメントの場においてだけは真理を追究したり絶対的価値を追い求める姿勢こそがエンターテイナーであり、芸術家と呼ばれるものだったはずなのに。

 現実の場において、『絶対的価値』の実現が一筋縄ではいかないからこそエンターテイメントの場で忠孝の精神の塊のような人間たちを尊称し慰め励まし、現実世界にそういう人間を少しでも増やそうというのがエンターテイメントの使命だったはずなのに。

 好きなものに打ち込む程度の『努力』や『昇華』といったカネに直結しそうな媒体や不幸な境遇を描くにしても共感を得やすいテンプレをのみ打ち出して、真に現実の娑婆において辛酸をなめて地団太踏んで嘆きもうダメだと毎秒絶望し続けているほんとうの意味での忠孝の精神の塊のようなひとたちを徹頭徹尾スルーし続け埋もれさせ続けようとして、芸術の現場やエンタメの現場自身がプッシュ通知のごとく異世界○○や○○令嬢や○○スキルの○○といった象徴的なタイトルのエンタメを流し続けている。

 エンターテイメントの場において、忠孝の精神の塊のような『芸術家』が孤軍奮闘してきた例はあるけど、まさしく「自分の都合のよい時は彼是いうて出入りする」って言葉の通り、素晴らしいってほんとは思ってるクセに好きだと言ったら自分も奇異な目で見られかねないからその芸術家を三十年間メディアが放ってきた例がある。

 放るならまだしも、メディアはその芸術家を茶化し続けてきてたんだよね。

 そういうエンタメの現場にはこう言いたいよね。


 『過酷』って言葉を使わないで。

 『真摯』っていう言葉を使わないで。


 映えない過酷な義務を避けて真摯なひとたちを茶化し続けてきたあなたたちが。



 その言葉を使っていいのは、ほんとうにホンキの中二病で損な方損な方を探し求めて実際に歩き続けていた人間だけだ。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み