第275話 勝とうと思わないで 出世しようと思わないで

文字数 1,099文字

 負けるが勝ち

 わかっていてもなかなかにこういう気持ちにはなれない

 だからだよ

 負かしてくれるひとがいたらお礼言いなよ

「ゲンムは負けず嫌いだよね」
『否定はしない けど ミコだって相当な負けず嫌いだぞ?』
「わたしも否定しない けど負け続けてきた」
『ああわかるよ ミコならわたしが負ける時っていうのは有無を言わさず負かされるんだ ってことをわかってくれると嬉しい』

 わかるよ

 わかりすぎるぐらいわかるよ

 シャムと同じような状況に遭遇した

 ごめん 実体験し 実感した

『離せよ! こいつが悪いんだろうが!』
「ゲンム! 悔しいだろうけど我慢して!」

 ファミレスの順番待ちのシート

 ゲンムが台帳に名前を書きながら手が塞がってて手話ができないからわたしに向かって‘口で言った’んだ

「はろっ はんにん(後三人)」

 そしたらね そいつが言ったんだ

「きしょ」

 ゲンムはねえ こういう時に即座に怒る

「ほは!しよんーへいえはぃは(お前 きしょ なんて言えるのか!」

 ゲンムはその同年代ぐらいのその男子の襟首を掴んでぶんぶんと前後左右にゆすぶった

「きしょいからきしょいて言ったんだよ!何言ってるかわかんねんだんよ!」

 ゲンムは普通じゃないからぶんぶんゆするだけじゃなくて壁にその男子の背中を押しつけた

 連れの男子がその間に通報してたらしい

 警察が来たよ

「お願いします」

 と連れの男子がおまわりさんに言う

 ゲンムはそれでもやめなかったからわたしがゲンムに言った

「ゲンム こんなことで前科がついたら大損だよ」

 わたしの声に反応してくれた
 おとなしくなる彼女

 負けてくれた


 それからその場で事情を聞くおまわりさんたち

 交番まで行ってしまったら被害届とか法的にどうするとかいう話になってくるだろうからと気を遣ってくれたのかもしれない

 ゲンムは手話で言い分を伝える気持ちも失せるほどに怒っていたのでわたしが状況を説明する

 とその時に男子とそのツレが言った

「一方的にやられたんですよ こいつはされるがままになってました」

 若い方の警官がゲンムに訊く

「ほんとうですか?」

 ゲンムは潔かった

 何も言わず うん と頷いた

「罪じゃないんですか?」

 ぼそ ってつぶやくわたしの声に若い警官が反応する

「他に何があったんです」
「きしょ っていうのは罪じゃないんですか?」

 警官が男子に訊く

「きしょい っておっしゃったんですか?」
「はずみですよ」
「…」

 彼は年配の警官を伺う

 ゲンムのお父さんほどの年齢に観える警官がゆっくり言った

「罪ですよ」

 彼が繰り返す

「背中を押しつけられたことよりはるかに重い罪ですよ」

 男子はどうしてかかおが真っ赤に火照っていた
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