第109話 火の無いところに立つ煙

文字数 2,401文字

 そんなことがあるんだろうか
 火種、っていうよね

 くすぶってたりパチパチいってたりゴウゴウと燃えてたり

 種、っていうぐらいだから、そもそもその種が無かったら火も煙も起こらないってこと?


「炎?」
「そう」

 端的なモヤの返答でわたしは空想してみた。

 ベトナムの仏難に抗って自らの法衣に炎をつけた僧侶のごとき?

 自らを蝋燭とみたてて灯火をはるかな時間にわたって点し続けた菩薩のごとき?

「お姑さんを火のついた棒で打ち据えてたお嫁さんの服が突然燃えたそうな」
「え?」

 内容はものすごく衝撃的で、なのにモヤが突然日本昔話のような語り口調になるってことは諸説あるってことなのかな?

「モヤ。じゃあそのお嫁さんはバチが当たってお遍路に来てた時に着物が自然発火したってこと?」
「まあそういうことらしいね。だからこの絵馬を奉納して罪を悔いた…そうな?」

 蒔かない種は生えない
 
 とても恐ろしいことのように聞こえるけれどもわたしはもっと恐ろしい本質を知ってる。

 第十六番札所 光耀山千寿院観音寺

「だとしたらそのお嫁さんは幸せだね」
「えっ?シャム?どういうこと?」
「だってモヤ。蒔いた種がどうならないと悲しい?」
「蒔いた種?業の話?」
「ううん。純粋に花の種の話」
「咲かないと悲しいかな」
「醜い花でも?」
「醜い花?醜い花って?…あ、食虫植物とか?」
「観るひとによっては綺麗だって思うと思うよ。そうじゃなくてね」
「ううん…降参!」
「咲いたのにスルーされる花」
「あ…そっか…」

 蒔かない種は咲かない
 咲いたならば刈り取らなくてはならない
 醜い花ならば

「シャム。つまりそのお嫁さんの花は即座に咲いて自分の悪業を自覚できたから改心しようって気付けた、ってこと?」
「うんそう。いちばん悲しいのは咲いたかどうかすら気づけないこと」
「なんとなくわかった」

 善き種が善き肥料と清らかな水とで善根を張ってすくすくすくと伸び伸びてゆきて大輪の鮮やかで見事な花を咲かせるのならばこんな楽なことはないだろう。

 大抵の場合は種がすぼんでいるか悪逆のパワーに漲った溌剌とした種でそれが毒々しい化学物質と汚染水とで培養されたならば途中で枯れ果てるか毒の花粉を撒き散らす姿だけは見映えのよい美しい花に育つか。

 枯れ果てたとてその枯れた花に切なさを観るひともいる。

 毒じみた悪逆の花でも幻惑されたり正しい咲き方に導こうと目をかける人もいる。

 でも、スルーされる花は、僻む。

 僻むから余計に美しく咲こうとするかヤケクソになって醜さを極めようとするか絶望して自ら枯れる道を選ぶか。

「おねえさんたち、こんにちは」
「「こんにちは」」

 モヤもわたしも反射で応答してしまった。
 
「おねえさんたち、きれいね」
「「…えっ」」
「花みたい」

 年齢は多分4歳ほど。
 光沢の無い赤のセーラーを着て靴はひとりで履けたのだろうかと思ってしまう足の甲の高さまでぴったりと測られた紺のヒール。

 黒目が大きくてまつ毛はナチュラルに濃い黒髪ショートの女の子。

 彼女はまだわたしたちと会話を続けようとする。

「おねえさんたち、自分がなんの花だって思う?」

 さっきの話を聴いていたんだろうか。
 躊躇しているように見えたけど、モヤが先に答えてくれた。

「さあ…花言葉とか知らないし」
「おねえちゃんは百合だね。白い百合。花言葉なんて意味ない」
「服装が白くて…わたしもヒールを履いてるから?」
「ううん。おねえさんの背中に生えてるの」

 生えてる
 咲いてるじゃなくて

「もうひとりのおねえさんはね、小菊。白の小菊」
「わたしがちいさいから?それともわたしも背中に生えてるから?」
「ううん。おねえさん、小菊をお庭で育ててたでしょ?」

 どうしてそれを

「それからおねえさんはその小菊を自分にあげてたよね」

 どうしてそこまで

「それからねえ、おねえさんはねえ…」
「もうやめて」
「やめたいけどやめられないの。おねえさんはねえ…」
「やめて!」

 わたしがこんな小さな女の子にほとんど怒鳴るように言ったことがよほど意外だったんだろうね。モヤがわたしを嗜めた。

「シャム、もう少し優しく叱ってあげなよ」
「え」

 モヤのこれまた意外な反応に、『え』と声を漏らしたのはわたしじゃなくてその女の子だった。

「白百合のおねえさん、邪魔しないで。わたしは白の小菊のおねえさんを助けてあげなきゃいけないの。だっておねえさんは自分が花を咲かせてるのに自分じゃない小菊ばっかり育ててたんだから」

 わたしがつい手を出しそうになるのをモヤが止めてくれた。

「シャム!事情はわからないけど、今この子を殴ったらたぶんもっとスルーされるよ!」

 モヤの手の力はほとんどこもってなかったから、わたしはわたしの意思でモヤの手を除けて女の子を拳で殴ろうと思えば殴れた。

 でもモヤがわたしも咲いていることを必死で気づかせようと…自分にもシャムは咲いてるって意識づけるように手を添えてくれたから、女の子を殴らずに、デッキ・シューズでアスファルトをこするようにして蹴った。

「ふふ。おねえさん、わたしもう行くね」
「まって。わたしの花は、燃えてるの?」
「うん。燃えてる。おねえさんの花は燃えてる。かわいそうに、燃えてるその原因がわからないんだよね」
「教えて。あなたは知ってるんでしょ!?」
「もう行くね」

 女の子がそう言った時、駐車場に停まっていた車から母親に呼ばれて、その子の体本体はその子とその子をこんな小さいうちからお遍路に連れてきてくれた家族との日常に戻って行った。

 その子の体から出てった『それ』がどうなったかはわたしにはわからなかった。

「シャム。言いたくないなら言わなくてもいいけど、どうして小菊を?」

 モヤは第六感もないだろうに思考と先達ドライバーとしての不思議な経験とだけで類推してわたしを気遣ってくれた。

 だからわたしはモヤの質問に対するストレートな答えだけした。

「きれいだから」


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