第82話 絵や写真が綺麗な本当の理由
文字数 1,866文字
これはわたしの私見だよ。
写真を撮るようになったのはね、今のうつ病で終焉を考えて一級河川に架かる大橋の上で今終わりにしようという瞬間を何度も重ねてある朝、橋のたもとの縁石にお尻を置いて(立っていることがとても辛くて周囲の目を気にする神経ももはやすり減っていた状態だったので)その場から数百年来の…おっと、ごめんね、つまりわたしの恩人と縁の深い方に連絡を取ってその週末に高齢を押してわざわざわたしの街まで遭いに来てくれた時のことでね。ふたつ言われたんだ。
① 景色を写真に撮りなさい
② きれいな緑色の地平線が観える
病院でね、最初診断書に記載された半月の「自宅療養を要す」という文言での休職開始のその日(なぜ半月かというと、実際はその10日ほど前に受診した際に「自分では気づいていないかもしれないが危険な状態です」とお医者さんから言われたんだけれども、その場でまず、『休職』というものをものすごく重たく・二度と帰って来られない泥土のように感じて呻いちゃってね、顔を覆っていたところお医者さんは「自分は医師の立場なので決定も強制もできないが休職を強く勧めます。このまま仕事を続けるとそれこそ更に致命的なミスを冒す可能性があるし、それよりももっと『重大な結果』を招く危険があります」
そこまで言われんだけど、その場では決めきれずに一旦病院を出てしばらく歩きながら考えて、事務所でもね、所長も源田 さんもわたしの身のことだけを心配して休ませてくれようとしてたんだけどわたしが決めきれずにね、最終的にその後しばらく置いて休職ってなったんだ。
その休職の最初の日、夕刻、街の坂を上り、その後急激に下がる、とても細い道の隙間から海と月が観えるポイントがあって、うつで頭が重く、「なんでこんなことになったんだろう」という気持ちのままで歩いて下りたんだ。
下りがけにスマホで月を撮って、下りた後は幹線道路(と言ってもほぼ走る車はこのエリアに二軒しかないうちの一軒のコンビニに来店するための車のみ)を横切って海へ続く舗装道路に入って、客車じゃなく貨車しか走らない工場の敷地内を通る単線の踏切(更に言うとその貨車が通る生きた単線の手前にはもう使われない死んだ線路が二組あって、踏切は生きた線路のためだけのものなのに幅が広く、閉じた後(遮断された後)通りきるのに時間がかかる線路なんだ。そうして両脇が工場敷地だからとても暗い線路の上を跨いで道路を歩いて川(括弧書きが多くてごめんね、その川っていうのは港に通じる河口付近の川で、小型のプレジャーボートが何艘か繋留されているそういう川なんだけどね)の縁石とアスファルトがポロポロする肩幅ほどしかない歩道で川に対して真正面に立った位置からちょうど川向こうを見上げる頭上のあたりに、月が、もう間もなく満月になろうとしている月があったんで、坂の上から見た時よりも数百メートルは月の方向に近づいたので大きく観える月をスマホのカメラで撮ったんだ。
ツイッターやインスタには、その場所から数キロメートルほど離れたこの街の中では美しいとされているポイントから極めて高性能のカメラで望遠を駆使して撮影されたフォロワーが10万人単位のカメラマンの方の確かに美しい空や景色がアップされているんだけど、わたしは負け惜しみでもなんでもなくそういう類の写真には文学的な感傷は特に感じなくて、フォロワー数よりもフォロー数の方が圧倒的に多い方が、辛い気持ちや泣きたい気持ちの時に粗い画像で撮った写真にこそシンパシーを抱いてしまうから、わたしもそういう写真が撮りたくて画面上の撮影ボタンをタップしたんだよね。
美しい
ただただ美しいんだ
それは間違いなくわたし自身のココロがどうにもやりきれない、そういうものだから先述した感傷によって幾倍にも増幅されたえこひいきの美しさかもしれないけど、それだけじゃないってやっぱり思うんだ。
月がわたしを慰めてくれている
わたしの写真の技量やカメラの性能がどうこうとかいうことでなく、わたしがそういうやり切れないココロで月を観たその瞬間、月みずからがわたしを慰めるために美しさを増した。
月影のその光の強さを増した
やさしさを増した
あたたかさを、増した
そうとしか考えられないんだよね。
ものすごく不遜かもしれないけど数万いいねを貰うよりも、数少ないわたしのフォロワーさんと、それから月そのものが、わたしが撮ったその景色に対して、『良いね』、って言ってくれてるような、そんな気分なんだ。
写真を撮るようになったのはね、今のうつ病で終焉を考えて一級河川に架かる大橋の上で今終わりにしようという瞬間を何度も重ねてある朝、橋のたもとの縁石にお尻を置いて(立っていることがとても辛くて周囲の目を気にする神経ももはやすり減っていた状態だったので)その場から数百年来の…おっと、ごめんね、つまりわたしの恩人と縁の深い方に連絡を取ってその週末に高齢を押してわざわざわたしの街まで遭いに来てくれた時のことでね。ふたつ言われたんだ。
① 景色を写真に撮りなさい
② きれいな緑色の地平線が観える
病院でね、最初診断書に記載された半月の「自宅療養を要す」という文言での休職開始のその日(なぜ半月かというと、実際はその10日ほど前に受診した際に「自分では気づいていないかもしれないが危険な状態です」とお医者さんから言われたんだけれども、その場でまず、『休職』というものをものすごく重たく・二度と帰って来られない泥土のように感じて呻いちゃってね、顔を覆っていたところお医者さんは「自分は医師の立場なので決定も強制もできないが休職を強く勧めます。このまま仕事を続けるとそれこそ更に致命的なミスを冒す可能性があるし、それよりももっと『重大な結果』を招く危険があります」
そこまで言われんだけど、その場では決めきれずに一旦病院を出てしばらく歩きながら考えて、事務所でもね、所長も
その休職の最初の日、夕刻、街の坂を上り、その後急激に下がる、とても細い道の隙間から海と月が観えるポイントがあって、うつで頭が重く、「なんでこんなことになったんだろう」という気持ちのままで歩いて下りたんだ。
下りがけにスマホで月を撮って、下りた後は幹線道路(と言ってもほぼ走る車はこのエリアに二軒しかないうちの一軒のコンビニに来店するための車のみ)を横切って海へ続く舗装道路に入って、客車じゃなく貨車しか走らない工場の敷地内を通る単線の踏切(更に言うとその貨車が通る生きた単線の手前にはもう使われない死んだ線路が二組あって、踏切は生きた線路のためだけのものなのに幅が広く、閉じた後(遮断された後)通りきるのに時間がかかる線路なんだ。そうして両脇が工場敷地だからとても暗い線路の上を跨いで道路を歩いて川(括弧書きが多くてごめんね、その川っていうのは港に通じる河口付近の川で、小型のプレジャーボートが何艘か繋留されているそういう川なんだけどね)の縁石とアスファルトがポロポロする肩幅ほどしかない歩道で川に対して真正面に立った位置からちょうど川向こうを見上げる頭上のあたりに、月が、もう間もなく満月になろうとしている月があったんで、坂の上から見た時よりも数百メートルは月の方向に近づいたので大きく観える月をスマホのカメラで撮ったんだ。
ツイッターやインスタには、その場所から数キロメートルほど離れたこの街の中では美しいとされているポイントから極めて高性能のカメラで望遠を駆使して撮影されたフォロワーが10万人単位のカメラマンの方の確かに美しい空や景色がアップされているんだけど、わたしは負け惜しみでもなんでもなくそういう類の写真には文学的な感傷は特に感じなくて、フォロワー数よりもフォロー数の方が圧倒的に多い方が、辛い気持ちや泣きたい気持ちの時に粗い画像で撮った写真にこそシンパシーを抱いてしまうから、わたしもそういう写真が撮りたくて画面上の撮影ボタンをタップしたんだよね。
美しい
ただただ美しいんだ
それは間違いなくわたし自身のココロがどうにもやりきれない、そういうものだから先述した感傷によって幾倍にも増幅されたえこひいきの美しさかもしれないけど、それだけじゃないってやっぱり思うんだ。
月がわたしを慰めてくれている
わたしの写真の技量やカメラの性能がどうこうとかいうことでなく、わたしがそういうやり切れないココロで月を観たその瞬間、月みずからがわたしを慰めるために美しさを増した。
月影のその光の強さを増した
やさしさを増した
あたたかさを、増した
そうとしか考えられないんだよね。
ものすごく不遜かもしれないけど数万いいねを貰うよりも、数少ないわたしのフォロワーさんと、それから月そのものが、わたしが撮ったその景色に対して、『良いね』、って言ってくれてるような、そんな気分なんだ。