第75話 わたしたちの街を見下ろしてみた

文字数 2,133文字

 わたしはうつの辛さから逃れるためにしばらく旅に出ることにしたんだ。
 といってもどこか遠くの地に行くわけじゃない。
 わたしを迎え入れてくれたのは言夢(ゲンム)のご両親。

ゲンム:父上、母上、長のご無沙汰でした。しばらくこいつを置いてやって欲しいのですが。
母:あら、ゲンムちゃん。お友達に『こいつ』なんて言い方しちゃダメよ。
父:そうだぞ。捨無(シャム)さんに謝りなさい。
ゲンム:は、はい。シャム、悪かったな。
母:これ!ゲンムちゃん!
シャム:お母さん、いいんです。ゲンムは言葉は乱暴でもわたしにいつもとてもやさしくしてくれます。わたしはとてもゲンムが好きです。ですのでゲンムのお父さんとお母さんのこともとても好きになりました。
父:シャムさん。気兼ねせずにゆっくり過ごしてください。
シャム:ありがとうございます。
母:そうよシャムさん。ゲンムちゃんの姉のつもりでね。
ゲンム:は、母上!なぜシャムが姉なのですか!?

こういうことでわたしは県内にあるゲンムの実家でしばらく過ごさせてもらうことになった。ゲンムもこの機会に里帰りしてご両親に親孝行の真似事をするのだという。

ゲンムのご両親は健常者で普段は手話でゲンムとやりとりしているのだけれども、手話の使えないわたしのためにLINEでの会話に付き合ってくださっているわけなんだ。

ゲンム:さて、シャム。ウチの家事は厳しいぞ?覚悟しろよ
シャム:うん。ご厄介になるんだからうんと奉仕させてもらうね
ゲンム:おっと、体とココロと相談しながらな。基本わたしも炊事洗濯ひととおりのことはできるから無理せずにな
シャム:ありがとう、ゲンム。ところでわたしゲンムの料理って食べたことないんだけど
ゲンム:ま、まあそのうちな!わたしの母上の料理は天才的だからしばらくはそれを味わってくれ

ゲンムが料理が苦手だというのはこのやりとりでなんとなくわかる。
そしてお母さんはわたしがかえって気を遣わないように軽いお手伝いをやらせてくれる。

母:シャムさん、ポテトサラダと肉じゃがを作り置きするからジャガイモの下ごしらえお願いね。
シャム:はい、お母さん。レンジを使っても大丈夫ですか?
母:あら、さすが慣れてるわね、シャムさん。主婦力が高いわねえ。
ゲンム:は、母上!わ、わたしにもなにか言いつけてください!
母:はいはい

お母さんはいつもゲンムに笑顔で接する
いいよね、こういうお母さん。

父:シャムさん。古い型のワゴンで申し訳ないんですが
シャム:いいえ、とても丁寧に整備しておられて快適です
ゲンム:シャム、運転大丈夫なのか?
シャム:うん、大丈夫。仕事でアポの時間が区切られてるようなのだと焦燥感でしんどいけど助手席に乗せるのがゲンムなら全然別に
ゲンム:へっ。どうせわたしは気遣いいらずの女だよ

わたしが運転してゲンムとふたりで県内を走った。

目的地は山の上のキャンプ場。
そのキャンプ場の上がね、芝生がずっと続く急斜面になってて、その上に駐車場がある。そこから車に乗ったままでもいいし、降りてゆっくりと座れる屋根付きのベンチと木のテーブルがあるんだ。

わたしとゲンムは車を降りてその展望広場のテーブルに向かい合って座った。そうして互いが体を少し横に向けると斜面の緑、その下のテントがいくつも張られたキャンプ場の広場を経て、平野が続いていた。

ああ・・・・・

平野の色は緑色。
田んぼや畑や草と木々の公園や。
そうしてその緑に黄色が混じる。

雲のすき間から平たい波板みたいにして地上まで届く日の照光がね、当たっている部分だけ満度に明るい黄金(こがね)色になってるんだ。

ゲンム:・・・・・・・・・
シャム:・・・・・・・・・・
ゲンム:・・・・・・・・
シャム:・・・・・・・・・
ゲンム:・・・・・・シャム、運転疲れたろう
シャム:平気だよ
ゲンム:無理するなよ。ただ起きてるだけで辛いのはなんとなくわかるから
シャム:ありがとう・・・・・
ゲンム:シャム。もう頑張るなよ。じゅうぶんさ。お前はほんとうに頑張り続けてきたよ
シャム:ありがとう。絶対に人を労ったりしないゲンムからそう言われるとわたし本当に頑張ったのかな、って気持ちになる
ゲンム:お前は!・・・・・いや、贔屓目抜き、掛け値なしにシャムは頑張ったよ。今はゆっくり休め
シャム:うん・・・・・・・・

隣を見るとやっぱり車でここまで登ってきた父子(おやこ)がいる。小学校低学年ぐらいの男の子がカンバス生地を張ったチェアを広げようとするけれどもなかなかかちっと固定できない。

「お父さん!これ、すっごく固いよ!」
「ほう。そうか」
「うわっ!かったい!よっ!はっ!」

男の子は何度もチャレンジする。
でも決して困った顔をしない。
その父親も自ら手を貸すこともしない。

シャム:小学生の男の子さえ頑張ってるなあ・・・・
ゲンム:シャム・・・・命令だ
シャム:え?
ゲンム:頑張るな!
シャム:ええ?
ゲンム:頑張るな!頑張るな!シャー・ム!
シャム:ふ。なにそれ
ゲンム:フレー・じゃない、フレー・じゃない、シャー・ム!

「あははは!」

わたしは思わず声に出して笑って、その後であわててLINEにも『あははは!』って打った。

「あれえ?あのおねえちゃん、何がおかしいのかな?」

男の子がそう言うと父親が答えた。

「友達と一緒に来られて楽しいのさ」
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