第102話 涅槃に花を

文字数 2,826文字

 どうしてだろう。
 モヤが隣で寝息をたてているだけでココロの安寧が得られたような気がする。
 
 わたしが今服用している抗うつ剤には睡眠導入作用もあるけど休職した後もずっと早朝覚醒が続いている。

 眠れない、っていうよりも眠るのがダメなんじゃないか、っていう感覚。
 わたしが多分他のひとよりも色々なことの経験がたくさんあるこの人生において、さまざまな立場、さまざまな性格、さまざまな性癖、さまざまな趣味嗜好をわたしの属性として装備したり外したりしてきたけど、早朝覚醒だけは生涯の友みたいにしてぴったりと共に生きてきている。

 ひどいいじめに遭った女子という属性だった時代には、特に早朝覚醒の度合いがひどくなって、早く寝ようが遅く寝ようが水分を摂取しないようにしようがカフェインを一切排除しようが2時間弱で測ったように目が覚めて、そのまま二度と眠ってはいけないような気持ちの夜が何年も続いた。

 でも、本当にわたしにダメージを与えたのはいじめや早朝覚醒の心身へのダメージじゃなかった。

『アンタ何時間寝た?』
『お母さん。わたし多分1時間半か2時間ぐらい』
『わたしは1時間しか寝てないよ!わたしの方が精神科行きたいわよ!』

 どうしたかったんだろう。
 自分が一番苦労してて一番活躍しているって言いたかったんだろうか。

 そうしてその時の『お母さん』は、紙の分厚い電話帳で精神科のあるクリニックをほんとうに検索し始めた。

 だから、さ。
 『お母さん』の『自己申告』の睡眠時間より長く眠ることも許されない。
 
 許してよ。
 誰でもいいから、わたしを許して。

「シャム、おはよう。よく眠れた?」
「うん。ぐっすりと。モヤは?」
「わたしも。この民宿のシーツの冷やっこさ、サイコー。ついでのシャムの脚の温度もサイコー」
「いつでもどうぞ」
「ホンキにしちゃうよ?」

 素泊まりの民宿なのでチェックアウトしたあと、朝ごはんをどこかで食べようとギャランで少しドライブした。コンビニで何か買うのでもいいんだけど、なんとなく日本の朝ごはんを食べたいな、って感じて。

 そしたらモヤが喫茶店なのに出汁まきたまごとか筑前煮を食べられるモーニングがあるお店に連れて行ってくれて、和食に合うフルーティーなコーヒーもマスターが推して出してくれた。

 長い早朝覚醒の日々が途切れそうな今日は、おやすみになる仏さまを拝みに行く。

「シャム。白蛇って観たことある?」
「うんある」
「えっ!すごいね!」

 九番の札所、正覚山 菩提院 法輪寺

 わたしが里山の麓に住んでいた時代の、同居していた家族にとっては庭にいる蛇は害獣という認識で流しの勝手口からするすると土間に入ってこようとした時には殺虫剤のスプレー缶をふしゅーと吹きかけた上で『コラ!コラ!』って追い払ってたけど、里山のご神木の枝に伝っていた白蛇を観たわたしは同行していた家族にこう言ったんだ。

 神さまのお遣いだね

「へえ。弘法大師さまもこの法輪寺で白蛇をご覧になったんだって。それで涅槃に入られるお釈迦さまをお彫りになられてこのお寺を開かれたんだって」
「ねえ、モヤ。専門家としての意見を聴かせて」
「ええ?わたしが何の専門家?」
「モヤは先達ドライバーだもの。仏法を」
「未だ凡夫の身ですが。シャムのご所望ならばココロを込めて」
「お釈迦さまはその世にあってはご長寿で80歳を過ぎておられたんだよね?」
「うん。そうだよ」
「ご自身を老いたる身だとご自覚なさってたのかな?」

 訊いてしまった。
 けれども、これはほんとうにほんとうにわたし自身が知りたいこと。

 どうしてもどうしても知りたいこと。

「シャム。ほんとのこと言うとわたしには答える自信がない。わたしごときが語れることじゃない、って思う。でも、そもそもお釈迦さまが出家なさったのはそこがスタート地点のはず。答えるね」
「うん。お願いします」

 モヤは素足に履いてる白のヒールをきゅっと揃えてそれから胸の前あたりでかわいらしく合掌した。

 モヤはスレンダーでとても背が高くて更にヒールで女子としては極限までの身長に嵩上げしてるけれどもその姿は木彫りの仏を思わせる。

 頭からすっぽりとヴェールのような絹をかぶった観音様のような柔らかさと暖かさを感じさせる。

 わたしの腿に素足の火照った爪先をすべりこませてきた夕べの熱のような。
 熱いほどの足裏をわたしの冷た過ぎるふくらはぎに押し当ててきた布団の上での出来事のような。

 そうしてモヤはゆっくりと目を閉じて、合掌の手のひらはそのままの位置に置いたままで肩をゆっくり左右にゆらした。

 智慧を得るためなんだろうね。

「シャム」
「はい」

 モヤの目は閉じていた時間の分だけ二重が深くなっていて。

「ボケてることをなんていう?」
「えっ」
「『ありがたくなってる』って言ったりするでしょ?」
「ああ…」

 ほんとだ。そういえばそうだ。

「うん。『ありがたくなって』って、穏やかになるって感じで…」
「親戚が小さな赤ちゃんを連れてお盆とかお正月に本家に遊びに来た時、足が短くて肌着に隠れてお化けちゃんみたいになってて、母親の腕に抱かれてお眠むになった時にさ、『あらあらこの子、ありがた〜くなっとるわ』ってみんなして構うでしょ?」
「うん」

 そういう光景はわたしの人生で何度か観た。
 
 赤ちゃんが構われて注目が赤ちゃんに集中するのをその時は本家の子であったわたしが普段ほとんどやらない人生ゲームなんかを持ち出してきて伯父ちゃんとか年長の従姉妹とかの前で気をひこうとするんだけど、赤ちゃんの『ありがた〜い』おねむのお顔には全く歯が立たなかった。

「モヤ。その時ね、わたしがそのお母さんから言いつかったの。『シャムちゃん。赤ちゃんを寝かせる座ぶとん出して来てくれる?』って」
「ふふ。座ぶとん。ふふ。かわいい…」
「でね、その座ぶとんがね、胡麻塩みたいな模様のやつでね。一枚で足りるの。それぐらい赤ちゃんは小さいの。でね、起きないようにその親戚の若いお母さんがね、そうっと座ぶとんの対角線上に…つまりへりとへりに頭とお化けちゃんみたいになってる足を合わせてね。でね、夏ならばタオルケットをちょん、ってお腹にかけてあげて、冬ならば毛布をとんとん、って首のあたりがすうすうしないようにしてあげてね」
「うんうんうん」
「でね、眠っちゃったらね…お呼ばれしてる大人たちの目を盗んで…ほおずりするの」
「うんうん。わかるよわかるよ」
「あっ、その時の赤ちゃんのほっぺって、夏も冬も、とってもあったかかった。モヤの足裏みたいに」
「はいはいはい。で?」
「赤ちゃん、ありがた〜くなって、すやすやすやって眠ってた」
「それだよ!シャム!」
「えっ」
「お釈迦さまはきっと、その赤ちゃんのような『ありがた〜い境地』になられて、それで横になられておやすみになったんだよ。『赤ちゃんの境地』かな」
「境地。赤ちゃんが」
「そうだよ。きっとそうだよ」

 ふふ。

 お釈迦さま、かわいい。
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