第71話 ココロ楽しき時遠からず

文字数 3,092文字

 波のおと
 嵐のおともしずまりて
 日かげのどけき 大海の原

「ねえあなた」
「はい」

 呼び止められたのはわたしと同じ歳ぐらいでわたしよりも少女っぽい印象を受ける子だった。なんで少女っぽいのに同じ歳ぐらいかって思ったかというとタバコを吸ってたから。

「おとぎ話大会やってみない?」
「おとぎ話?」
「結構リアルなやつだよ」

 そう言って多分市販の銘柄の中でも相当きついと思われるタバコを彼女はシーッ、と肺まで吸い込んで、鼻腔から煙を出した。

 郊外のカフェが併設されてる本屋さんの前だったけれどわたしたちは中に入り、カフェじゃなくて書棚の側面に置かれている閲覧用の椅子に座って小さな声で話をした。

「わたしはテイル。言っとくけど『尾っぽ』のテイルじゃないよ。『物語』のテイルだからね」
「分かった。わたしは捨無(シャム)
「シャム?」
「捨てること無し、でシャム」

 物語のテーマは決まっててね。『苦から楽へ』

「じゃあ先攻はわたしね」

 テイルは足を組んで、本屋さんの店内だから吸ってないけどタバコを吸う真似をした。

「遠い遠い異世界の話。ある自分に都合よく創られた都合のよいルールで運営されてる世界観程度の物差しで測れる国があったとさ」

 ・・・・・・・・・・・・・・

 主人公の顔を覗き込むとそれってテイルなんだよね。で、テイルは『ウツムキ』っていうキャラで、どうしてだかわたしが『ポジト』っていう男の子役。テイルは中二病のリアル中二男子であるポジトくんが居住するセルにいきなり押しかけ女房としてやって来る女神キャラ。

「ポジトくぅん。一緒にいいコトしない?」
「えっ。なになに?」
「やってみれば分かるよぉ」

 ポジトのスキルはどんなものを観ても感情をポジティブに変換すること。
 それでウツムキのスキルは相手が持っているポジティブエネルギーを吸収して吸い殻をネガティブエネルギーに変換し再注入すること。

 ポジティブエネルギー吸収の方法は口唇を隙間なく密着させて空気が漏れたり入り込んだりしないようにし、脳内から染み出してくるセロトニンとドーパミンを鼻腔の上っ面にある目の周辺あたりの隙間から吸い込むこと。

 そして吸った側が今度は脳じゃなくて『ココロ』っていう、位置関係が未だに特定できていない人間の部位に物質としてはセロトニンとドーパミンの微細な粉末状の混合物を循環させ、『幸福感』を吸収した後に排気される『ゲスガス』をココロに張りめぐらされた毛細血管に溶かして体内を循環させ、肺に至った時に再度ゲスガスに変換し直してやっぱりぴったりと合わせた口唇を通じて相手の肺に吹き込む。吹き込まれた方は肺からそのネガティブな、希死念慮すら引き起こすゲスガスをたっぷりと毛細血管に浸透させて体内を巡らせてココロに流し込み、絶望感に浸ることになるんだ。

「ウ、ウツムキちゃん。こ、これって、キス?」
「そうだよぉ、ポジトくん」

 人体断面図で示したならばそのメカニズムを容易に理解できるんだけど、中二男子であるポジトが表面上は『キス』としか見えないこの行為に魅力を感じないはずがなかった。

「し、したいよ」
「じゃあ、しよ?」

 そう言ってウツムキの方からまずは尖った唇の先っぽをポジトの唇の端ぐらいに触れさせる。そのあとゆっくりと中心の方にスライドさせて行って彼の(あ、わたしか)の唇の尖った先端を内側から広げるようにして舌じゃなくてその尖った先端そのもので空間を開けていき、残りの口唇全体を密着させる。

 そうして、ウツムキは吸って吐いた。

「うぅぅぅ」

 ポジト(わたし)はゆっくりとでも浸透度合いは深く最初は脳の表面が皮膜で覆われるような感覚になった後で背中と胸の震えが止まらなくなった。

「ほらほらポジトくん。早くスキルを使わないと死にたくなっちゃうよ?」

 たまらずわたしは能力を解放する。
 はやくポジティブに変えるものを見つけないと。

「・・・・・・・治った」
「あらぁ?ポジトくぅん。何を観てポジティブに戻れたのぉ?」
「蚊」

 ・・・・・・・・・・・・・・

「なにこれ」
「どう?面白くなかった?」
「テイル。全くセンスないよ」
「じゃあ次、シャムの番ね」

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 苦しみしかない異世界に生まれたのは『スィン』
 どうやらわたしのキャラみたいだ。

 反対に楽しみしかない異世界に生まれたのが『ウィン』
 顔がやっぱりテイルだった。

 スィンとウィンはそれぞれ異なる異世界、あ、いやどっちも異世界なんだけど異世界同士が異なってるって設定ね。どうでもいいけど。

 スィンがいる苦世界は大地がすべてコケ類の繊毛みたいなので覆われててその繊毛みたいなのが微細なトゲで返しが付いてるから刺さるとトゲ抜きでも絶対に抜けなくて皮膚と肉の隙間に入れ墨みたいに残っちゃうような一事が万事辛苦の世界。

 反対にウィンがいる楽世界はどんな下手くそなコントも爆笑できるような幸福に満ち溢れた世界。

 今般それぞれの異世界が渡り廊下で通じ合って友好通商条約を締結し、苦と楽をトレードすることになったんだ。
 その交渉団の苦世界側の代表がスィンで楽世界側の代表がウィンということで。

「スィンちゃぁん。苦の九点セットもっと安くできなぁい?」
「ウィン。これ以上ディスカウントしたら関税を撤廃しただけじゃ追いつかない」
「ケチねえ」
「苦の九点セットなんて誰がどんな時に使うんだ」
「ふふふ。富裕層が『不幸ごっこ』する時に決まってるじゃない」
「不幸ごっこ?」
「そうよぉ。楽世界じゃ全員幸福なんだけどその幸福にも上品中品下品(じょうぼんちゅうぼんげぼん)とあってね、上品(じょうぼん)のスーパー幸福パーソンがね、ほら、持ってるスマホを側溝にわざと落としてコンクリの出っ張りの所にうまく引っかかったやつを身をかがめて回収できたら不幸中の幸いみたいなスリルを味わえるじゃない?そういうのをやりたがってるのよぉ」

 どういう神経してるんだ。

「ウィン。そっちこそどうなんだ。楽のワンデイ・キットは増産体制に入ったのか?」
「新工場の稼働がもうすぐだから来月には供給量を増やせるわ。でも苦世界の人間も物好きよねぇ。一日使い捨てのワンデイ・キットじゃなくて、多少コスト高にはなるけど一回使用したら永遠に幸福感が持続するパーマネント・キットの輸入を解禁した方がいいと思うけどね」
「分かってて言ってるんだろ、ウィン」
「なぁにぃ?幸不幸は相対的なものだからたとえば一日置きに味わった方が幸福を噛み締められるからっていう意味ぐらいの話でしょ?」
「トボケるな、ウィン」

 スィンは核心を言った。

「何しても永遠に幸福を感じるから楽世界の人民は文句も言わずに独裁政権に投票し続けてるじゃないか」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

「バレたか」
「テイル。おとぎ話を広める理由って洗脳?」
「ううん。洗脳っていうよりは諦観を持たせることかな。諦めそのものは悪いことじゃないでしょ?」

 わたしはテイルの詭弁のほつれを見つけ出して的確に突くことはできないでそのまま彼女を本屋さんから見送ってしまった。

 残されたわたしは何かわたし自身のココロを楽しくする本を書棚のウィンドウ・ショッピングをして探してみるけど、どれも全部同じことの繰り返しみたいなタイトルばっかり。

 ぺら、と三分ほどで完読してみても何もココロに残らない。

「シャム」
「えっ」

 いつの間にかテイルが戻ってきていてわたしの耳たぶに彼女の口唇の先端が触れるぐらいに近づけてわたしの耳孔に熱い息を流しながらその息が激しくて鼓膜が、ガサ、と音を立てるぐらいの吐息を混ぜたつぶやきをした。

「無いなら自分で書けばいい」

 それは、そうだ。
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