第113話 さくら花 雫かがやく 逆光の うれし涙の しずくもきらり

文字数 1,191文字

 第二十番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺

 このお寺も鳥のご縁があって、二羽の鶴が黄金のお地蔵さまをお護りしていたことが縁起とのこと。

 わたしは今休職している職場での業務日誌の記載もそうだったけれども、文章ですべてを表現しようとしていた。

 実際和歌とはそういう芸術であり、五七五七七という短くしかも韻を踏んだリズムの中で繊細な風景や心象を表現し尽くそうというものであって、とても素晴らしい日本人のココロだと思う。

 けれども四国に来て弘法大師さまの足跡をまだ最初の県である徳島県を巡行している最中ではあるけれどもそれなりに踏ませていただいて感じたことがある。

 絵、がとても意味を持つ。

 弘法大師さまが命懸けで遣唐使船で唐へ渡り、唐へ渡った後も命懸けで密教を学んだその中で『曼荼羅』というものが密教の世界を理解するためにとても重要であることがわたしにもわかってきた。

 はなはだ繊細にして微妙な感覚を視覚的に描き理解する。
 
 そのために仏さまたちの曼荼羅で脳どころか脊髄に直接そのイメージをねじ込むんだろうと思う。

 たとえばわたしがうつ病になって橋の上で苦しみ歩きさまよい橋下を観て身投げすら決断しかけてさらには追い討ちをかけるように仕事での重大な不具合から楽しく生きることがほぼ絶望ならば生きることをとりあえず辞めてみようかと決断しかけた神社の境内の中で、それから少なからず危機を脱した今の状態でココロの中で詠んだ歌があったんだけど。

さくら花 雫かがやく 逆光の
うれし涙の しずくもきらり

 これに古典の授業のような訳文や解説文をつけることもひとつの方法ではあるだろうけれどもそれではまるで他人のココロの中を精神分析でもするような不遜で無粋でイメージを歪曲化すらしかねない行為のようにも思えるから、わたしはかわりに写真を撮った。

 大掛かりな一眼レフじゃないけどスマホで無意識のうちに無意識の寒桜を撮った

 寒桜の花弁の下側で花弁が面積大きく抱き抱えるようにして円のまま静止している雨露の雫を撮った

 その背後に、連峰の稜線を逆光で真っ黒にしかも太い輪郭線で縁取りしながら昇ってきたお日さまが、紙に針の穴を開けて直射日光を円くお日さまの形通りに濾過するあの手法と同じく、杉と松の大木が並び合うスポットの葉の木漏れ日としてやはりそのしずくの円とちょうど同じ大きさの日の珠雫となって輝くすがたを撮った

 きっとわかってくれると思うんだ

「シャム」
「うん」
「きれいね」

 モヤが言ってくれたそのひとことで、わたしのあの死ぬ直前までいった橋の上での尽き難い精神のココロの苦しみが少しずつ溶けてきたことを、よかったねほんとうによかったね、って称えてくれたように思うんだ

 曼荼羅の絵のように、その写真がわたしのココロも桜のココロも雫のココロもお日さまのココロも全部ぜんぶ言い尽くしてくれてるような

 そんな気がするのよ
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