第139話 フラッシング バッキング

文字数 2,108文字

「母が死んだよ」
「えっ」

 今夜の宿に向かう夕刻、ギャランの中でわたしは第六感通信でやりとりしているメールアドレスに枯れ落ちた牡丹の花の写真を受信した

 モヤが左ウインカーを点滅させて路肩に車を寄せる

「シャム!今夜の飛行機、間に合うかな!?」
「モヤ、安心して」

 背の高いモヤは白のハイヒールを履いた細いふくらはぎをフロアマットに余り気味に立てて、けれども無理に猫背にしてわたしに目線を合わせてくれる

 わたしはつぶやく

「過去世で母だったひとだから」

 でもわたしは今世でもずっとそのひとをフォローしていた
 なぜならわたしはそのひとに過去世において借りがあるから

 今世で返しきっておけないと、また次の世に持ち越してしまう

 それって互いに不幸なことだから

「わたしの生まれたその日にそのひとは亡くなった。産婦人科医が姑に『お嫁さんとお孫さんの両方を救うことは無理です。選んでください』って言って、姑はほんとは孫さえ無事ならよいと思って即答しようとしたけれども母の実家の実母もその場にいたからさすがに遠慮して答えられずにいた。そうしたら母親がね」
「うん」
「『わたしはいいです』って」

 それでわたしのその母はね、段々と息を細くしていったよ

 多分、わざと

 そうしたらね、血の気も引いていって、医師が気がついた時にはもう脈もなかったって

 わたしを娑婆に出すために、自殺したんだ母親は

「だからモヤ。わたしはその時の借りを今返したいのよ」
「どうやって?」
「こうやって」

 わたしは小説を書くために携行していたコンパクトキーボードをスマホとペアリングさせて膝の上にスマホとキーボードを置いて、高速タイピングした

 小説執筆用のアプリにテキストをベタ打ちで叩き込んで、そうしてその後、便せんもなかったからモヤが持ってたお客さんに渡すための白紙の領収書の裏面に、ダーク・ブルーのインクのフリクションで自筆で書き殴った

 以下、全文

・・・・・・・・・・・・・

○○ ●●(母の名前)に対して扶養義務をお持ちのご長男とその奥さま

突然お手紙を差し上げ、ご不審に思われるかもしれません

わたしは生前お母さまにひとかたならぬお世話を受け、なんとかして恩義に報いたいと思っていましたところ、とうとう朝顔の露が花弁や葉から転げ落ちるがごとく、今日の日を迎えてしまいました

心痛のことと思います

ただ、あなたがたご夫婦が、故人に対してじゅうぶんとは言えない介護しかできなかったことを今さら責め申し上げたりはいたしません

現代の世の疲弊があなたがたご夫婦にも災いしたということに考えておきます

ただ、あなたがたが、こうまでして故人が守りたかったあなたがたの家のご仏壇・神棚・お墓を、『仕舞おう』としておられることが誠に残念でなりません

そのことについては私が色々言うよりもわたしの恩人が書いたお念仏の歌を同封します

何もココロに響かなければ捨ててよいと思います

わたしの恩人は、長屋にココロの病のひとたちを住まわせて、彼女・彼らが夜中に暴れると、「そうかそうか」と慰めてまわった、そういうひとです

親でもなく夫婦でもなく、どんな人間でもほんとうに「捨てない」ひとがいるとしたら
それはこのひとだけです

よく考えてみたら、自分の都合のよい部分だけ拾ってほんとうに大事な部分を好き勝手に捨てているのは、人間の側のような気がします

彼女は彼女の生まれた地方の民謡がとても好きだったそうです
この歌もその民謡の節に合わせて誰もがわかるようにと作った歌だそうです

恩人と故人の故郷は別々ですが、親子とか兄弟とか夫婦とかいうことでなく、いつかあなたがたご夫婦の御母堂・お姑さまである故人の地方のその民謡に合わせて幾晩も繰り広げられるその祭りを観に行って、どうぞあなたがた自身が『捨てない』ことを選びますように

以下、歌、です

一つとや
一声称うる念仏は 落とさぬ親のお姿と、ほんに今まで知らなんだ

二つとや
不可称不可説不可思議の 功徳固めたお六字と、ほんに今まで知らなんだ

三つとや
弥陀と衆生の相談は 六字にまとめてあることを、ほんに今まで知らなんだ

四つとや
万の神もみ佛も 六字にまとめてあることを、ほんに今まで知らなんだ

五つとや
いつも六字で報謝する その念仏は親さまと、ほんに今まで知らなんだ

六つとや
無始よりこのかた離れずに 守り通しの六字とは、ほんに今まで知らなんだ

七つとや
永の迷いをお六字にからめ取られて往生と、ほんに今まで知らなんだ

八つとや
役にも立たぬ気を眺め 聞こえましますお六字を、ほんに今まで知らなんだ

九つとや
光明施主のお手柄も 六字ひとつにあることを、ほんに今まで知らなんだ

十とや
称うる六字のそのままが 頼め救うの呼び声と、ほんに今まで知らなんだ

・・・・・・・・・・・・・

「モヤ」
「はい」
「郵便局へ」
「はい」

 モヤがわたしの意図を完全に察してくれて、現金書留で過去世のわたしの母親に向けた香典とこの手紙を添えて発送するために、営業時間ギリギリの郵便局へと急いでくれた

 車中でモヤは言ったよ

「シャム、さっきのお歌を、わたしにも教えて」
「もちろん。あなたに教えずして誰に教えるの」

 そうよ

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