第60話 子供の方が正しく且つ現実的な具体策を見出せる

文字数 1,478文字

 よく見極めないと

『現実策』という言葉が実は現実的でもなんでも無い場合が多々あって、それを時間切れを理由に結果的に押し通されてしまうケースが世の中にはホント多いよね。

「は、早くしてください!こっちは死にそうなんです!」
「そう言ってもね、こっちは大金を損しそうなんですよ」
「お、お金と命とどっちが大切なんですか!?」
「決まってるでしょ。経済合理性って言うのは要は損得勘定なんですよ。私に取ってはカネですよ」

 こういう会話は色んなケースに当てはまると思う。たとえば親が自分の子供に介護をさせる場合、その介護する側の生活を無視して介護される側こそが主人公で最も尊重されるべき存在であるということを頑として譲らずに退院の期限が切れるタイムリミットまですべての決断を持ち越して有無を言わさずに言うことをきかせる場合とか。

 いちいち列挙はしないけど、多分わたしの命とかわたしの尊厳なんてものも大きな社会の流れの中ではこんなもんだろうって思うよ。

 だからとても寂しくて、子供の頃に読んだ本をもう一度思い出してみた。

 その本はね、単に『ココロがすべてだ』って言う曖昧なものじゃなくって世を生きるための極めて現実的な方策をいくつも書いてくれてたよ。

 ・友達同士信頼の基本は約束を守ることである。約束とはすなわち社会においては契約である。

 ・本当の意味での合理性とは金銭のみならず根源的な『ほんとうのこと』を実現することである。だからこそ『正義』というものが価値あるものとなる。『ほんとうのこと』を実現しようとしない正義ならば、それは不義とイコールである。

 こう言ったことをね、ものすごく分かりやすい言葉で、分かりやすい実例を挙げて書いてた本だったんだ。

 子供の頃、まだわたしが本を買ったり図書館で借りたりできた時の、児童書だよ。

 ベートーベンの伝記を読んだ時は、本当に彼の交響曲を生のオーケストラで、ズガン!、という音圧で聴かされたかのような迫力と高揚感を感じたよ。
 この伝記を読むことによって、希望なんていう単純なものじゃなくって、ホンキのエンタメこそが世を救い得る手法だっていうことに気づいて音楽や創作に臨む子供たちが大勢いただろうって思うもん。

 偽物のエンターテイナーたちは虚構を現実とすり替えようとする。適当なものを現実にしてしまえば自分たちにとって都合がよいから。

 自分たちが神になれるから。

 でも、ほんとうのエンターテイナーならばそんなことはしないと思う。

 本気で、ほんとうのことを現実にしようと創作に取り組むと思う。

 わたしが子供の頃に読んだ、児童書や理想に燃えた伝記の中の人物たちや。
 でもそれは決して偉い人を描く書籍じゃなくって、ホンキで友達との友情を作り上げたり、弱き人を救おうと奔走したり、そういう人たちを、負けた人たちすらを書いた本だったんだ。

 そんなことを思ってうつの辛さを感じてたらね、ああ、あの子供の時の大きな志をわたしは維持できてないんだろうか、もうずっとこのままで生涯を終えるんだろうかってね、寂しくなっちゃった。

 でも、こんなことも考える。

 ほんとうの親ならば、他人の子たちとの公平性を担保するために、自分の子には決して依怙贔屓などせず、むしろ厳格過ぎるぐらい厳格に対応するだろう。

 ならば今のわたしの境遇が客観的に見て不遇なものだったとしたら、それはわたしの恩人がわたしのことを実の子のように考えてくださって、決して他者からズルしているなどと口撃されないように、敢えて厳しい状況に置いてくださっているのかもしれないとも思ったりしている。
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