第176話 宗教なんかじゃない

文字数 1,207文字

 その老爺は「宗教は恐ろしい」と言った

 自分の意見じゃないさ

 誰かの言った言葉をただ復唱しただけ

 それが証拠には一晩中吹雪いた冬の朝、こんなことを言った

「除雪車にぶつけられてもつまらんし」

 『つまらんし』という言い回しを彼は生涯にこの時を含めて三度しかしていない

 つまりは大雪の夜に常備菜を作りにきた末子は家の外に出た人間でありながら家事をしに来るのは当然のことであってその際月極駐車場がないほど辺鄙な場所であるゆえに非営利に使用されている学校の青空駐車場に停めざるをえずそうしていたところ夜明けでもあり吹雪なので真っ暗で空を見上げたら雪の落ちてくる様子が上空に吸い込まれるような錯覚ほどの降りになってきた際に除雪車が通って雪を放擲する際にその投げ放った雪の塊ではなく走行する除雪車がガリガリガリガリと駐車してある車のフロントバンパーから本体を削られたらつまらんということを言いたいようなのだけれども、自分の言葉ではないので気遣う気持ちというのが全く伝わって来ないというかそもそも気遣うココロなど認知症と一緒にスロウ・アウェイしたのだろうと考えざるを得ないのだけれどもその同じ口でそう言ったんだよ

「宗教は恐ろしい」

 でもわたしは特に彼のその言葉によって嘆いたりしない

 もとより宗教ではないから

 「宗教」なんていう狭い範囲の世界に恩人の歌を押し込めることなどできないから


 じゃあ何か


 『ほんとうのこと』だよ

 第六十七番札所 小松尾山 不動光院 大興寺

 以前も言ったけれども弘法大師さまがご幼少の頃にご自身が世のために尽くせる人間なのかどうか見極めるために神仏にココロの底から湧き出るような一点私心のないただご自身のまゴコロで試されてしまった

 果たして天女が

 お子とはいえ男子の体躯をその天女さまが、するりとお出ましになられてお掬い上げになられ、弘法大師さまの真ゴコロが証拠として長くこの地の稚児の輪として認識され続けている、そしてモヤの姿が消えた

 最初わたしは周囲を360°首を曲がるところまで曲げてそれ以上曲がらなかったら上体をコマのゆっくりとした回転に見立ててそのあとでモヤを発見した

「シャム、観て」

 モヤはアジサイの花の前に立っていた

 アジサイを紫陽花と表記するかそのまま『アジサイ』と表記するかでそのひとのパーソナルがわかるだろうと思う

 花をただ愛でる対象物としての花と観るか

 花も老いれば咲くことが却って人々を苦しめることがある

 魑魅魍魎という漢字は書けないがためにその価値があって、スラスラと書けたならばね

 愛でられるためだけに咲こうとする身勝手な花と同じ

 撮れば綺麗と褒めてもらえるアジサイをより綺麗に撮ろうというそのココロは

 綺麗でなく斬れい

 ノコギリで剪定しなければ隣家の庭にいる隣家の孫をアジサイが絡め取ってしまうかもしれないという虚構混じりのホンキが本能で気づかせてくれていた。

 大馬鹿者、だよ
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