第93話 読書会を毒書界と解釈するなら

文字数 4,203文字

 本を自由に読めるってのは本当にうらやましいことだね。

 ってね、マーケットに流通する本を買うことも図書館で借りることもできないっていう不思議な状況に置かれた女子が昔居たみたいなんだけどね、ならばみんなが持ち寄ってくれた本をその場で読むのならどうだい、って催してくれたんだよね。

「「で?捨無(シャム)。誰なんだそのマーケットに流通する本を買いも借りるもできない奴ってのは」」
「わたし…(あぶないあぶない)の昔の知り合い」
言夢(ゲンム)ちゃんじゃなくてもびっくりするわよね。『本を読みなさい!』っていう人ならいるだろうけど読むな!っていうのはね」
「デモカンテン(観点)サン。ホンヲヨンデモイイコトバカリジャナイデスヨ」
超乃(チョウノ)ちゃん、読書のデメリットってなに?」
「ホンノキュウワリガナンノコウドウモウミダサナイホンデス」

 チョウノちゃんにしたらものすごく厳しい言い回しだな。でも真実でもある。わたし…の昔の知り合いが本を読むなと言われた理由も本ばかり読んでも現実世界で実際にそれを実行することのできる人間など皆無だからだということらしかった。
 もっとも知り合いに本を読むなと言った人間は本を読みもしないしいざ自分の大切な人が病に倒れたその瞬間に病院へ搬送することすら満足にいかなかった行動もしない人間ではあるのだけれども。

「ゲンム。この読書会の趣旨は?」
「本に書いてあることを実行する、だ」

 場所はこの街唯一のデパートとイベントスペースを挟んですぐ向かいにある老舗のカフェ『純喫茶アラン』

 アランの店内中央に位置する6人掛けの大テーブルだ。
 テーブルの真ん中に白い陶磁器の花瓶があってスプレーマム各色、黄色のリンドウ、それから白いかすみ草が生けられている。

 それぞれが持ち寄った本をテーブルに置く。
 全部小説だ。

「カンテンさん、それは?」
「『銃とわたし』。アフリカに単身赴任で駐在する零細商社の女子社員が現地事務所の所長として強盗やブローカーたちの用心棒が持っている銃と隣り合わせで送る日常を極めて淡白に綴った中編小説よ」

 カンテンさんにそんな趣味があったとは。

「あれ?でも待ってください。これ点字本じゃないですね?」
「ええそうよ」
「あの、ものすごく失礼かもしれないですけど、どうやって読むんですか?」
「あら、ゲンムちゃん。インクの痕跡を指でなぞれば活字の形がわかるでしょ?」

 …カンテンさんって、もしかして神の領域にいるんじゃ…?

「それでカンテンさん。この本の中の何を実行するんですか?」
「ふふ。ハードルが低いようにわざとこの本を選んだのよ」
「というと?」

 カンテンさんは文庫本のページを、だらっ、とめくる。一発でそのページに辿り着いた。

「ここよ」
「あの、付箋でも?」
「いいえ」

 これ以上訊くのが怖くなってきたので早速くだんの箇所について読み上げてもらった。

「『車を出す。今日はこのままマンションに帰って夕食の代わりにチョコを一欠片コーヒーに溶かして飲む。後は寝るだけだ』」

 人差し指は使わず、親指と中指とで文字をつまむようにして『読む』カンテンさんの音読されたパートを聴いて、なんだか美味しそうな気がしてきた。

 アランのマスターにチョコレートをオーダーする。

「売りモンじゃないんだけどな」

 そう文句を言いながらもなぜそんなメニューがこのゴリゴリの純喫茶店にあるんだろうっていうチョコレート・パフェ用の業務用板チョコを一欠片ずつ全員に配ってくれた。

「だからコーヒーを頼むように言ったんですね」

 ゲンムがカンテンさんに訊くとカンテンさんは無言で頷く。
 業務用コーヒーにマスターからもらったものを全員入れて、スプーンで攪拌した。

「うっ」

 言い出したカンテンさんが明らかに渋い表情をする。

「マスター、このチョコ」
「ああ。うちのやつはカカオ94%のやつだから」
「それでチョコ・パフェを?」
「そう。あ、そっか。このメンバー全員邪道だとかなんとか言ってパフェ頼んだことなかったっけ。うちのパフェはね、アイスの甘みだけが頼りの大人のパフェだからね」

 まあでも第一弾の『実行』としては無難なところだったろう。ただ、わたしたちがコーヒーへのチョコの投入を実行した後で、すぐその後のセクションを読み上げた。


「『道路上に倒され、3人の黒人男性に取り囲まれている1人の黒人女性。
 ワンピースの裾がはだけている。
 この状況で想像できるのは、強盗かレイプか。あるいはその両方か。』」
「…」
「…」
「…」

 どういうシチュエーションでこのハードな内容になるのだろうか。

「「じゃあ次はわたしだな。わたしのはな、『醜い花』っていうこれも中編小説だ。じゃあ早速読み上げるぞ」」

 ゲンムが手話で、わたしがカンテンさんのために同時発声で言うと、ゲンムもページをだだっ、と繰ってページ番号を目視しながら該当の箇所を開いた。

「「『モヤが僕の首筋に手を当てる。
彼女は手の肌までも美人だった。
こういう病気の時でなければ正直理性を保てるかどうかわからない。

「あと、腋の下にもあるんだよね」
「そ、それはやめろ・・・」
「いーや。やめない。ほれっ!」

 モヤが僕のTシャツをまさぐって腋の下に手を突っ込んだ瞬間。

 ドアがガチャ、っと開いてセエノの立つ姿が見えた。
 そして、すぐまたバタン、と閉まった。
 タタタタ、とセエノの駆ける足音。

「あ、ちょっとセエノ!」』」」

「ゲ、ゲンム…大丈夫…?」
「だ、だだだだ大丈夫」

 手話がうろたえている。
 とはいえゲンムの手話を同時発声していたわたしもこのエロティックな描写にかなり精神的にやられてしまった。

「ふふ。ゲンムちゃんはこういう経験まだないの?」
「なななな」
「なーななななーななななーなななーななな、ななななー?」
「レイ・チャールズ?」

 カンテンさんがそう言うようにわたしの方でR&B風に補正して発声してあげたけど、次の瞬間、チョウノちゃんがまさかのことを言った。

「シャムサントゲンムサンデヤッテミテクダサイ」
「ななななななな!?」
「「シャ、シャムとわたしが!?」」
「チチチチチョウノちゃん!?どうしてゲンムとわたしが!?」
「オフタリトモイツモナカガトテモイイデスカラ」

 チョウノちゃんの笑みの性質が
 変わった

「掟だから」

 カンテンさんも容赦がない。
 まるで闇鍋で一度箸をつけたらそれがたとえ限りなく食べ物の範疇の辺境にある食材であったとしても嚥下しなくてはならない掟と同じように扱ってくる。

「じゃ、じゃあ。シャムはどっちがいい?」
「え?」
「ヤ、ヤる方とヤられる方。違うか。熱で寝込んでるところに恋人未満の女子の親友が先にやって来てて腋のリンパにその美人らしい冷たい手を突っ込まれて冷やされる男子と、突っ込む女子と」
「うーーーん」
「わ、わたしはな…」

 ゲンムが明らかはっきり顔を赤くして俯きながら手話する。

「「わたしは、シャムに、ふ、触れられたい…」」

 カンテンさんのためにわたしも同時発声をして、そのあと瞬間に近いぐらいの短い時間で考えた。

『ゲンムの腋に手を突っ込むってことは腋だけピンポイントで狙って触ることが極めて困難だと観念せざるを得ないだろう。さっきの小説の描写通りだとしたら、ゲンムの胸に触れないわけにはいかないだろう。これでゲンムの胸が小さければさっきの男子側の役回りのようにこちらも罪悪感を持たず、且つ触られるゲンムも過剰な意識に悩まされることもないだろう。だが、ゲンムは胸が大きい。身長はわたしよりも低くて顔も園児かと見紛うぐらいの童顔のクセに胸は彼女の日常生活上の上半身の動きに相当の制限を加えるほどの大きさだ。そうだな…』

「無理」

 思考経路は凄まじく長かったけれども判断までに費やした秒数は恐らく半秒に見たないほどで、だから余計にゲンムを傷つけたのかもしれない。

「わたしじゃ、嫌か?」

 さすがにこの手話は同時通訳できなかった。
 けれども見えないはずのカンテンさんが場の空気を肌で感じてわたしに助け舟を出してくれた。

「登場人物は3人だったわよね」

 わたしが『モヤ』と呼ばれる女子を演じ、男子を触り終えた後に親友である『セエノ』を引き止めるシーンから。
 ゲンムは『セエノ!』とわたしに呼ばれるけれどもそのまま、たたた、と走っていくシーンをこの喫茶店の中でやった。

「じゃあ次はシャムちゃんね」
「すみません」

 わたしは言った。

「本を、持ってないんです」
「え?どうして?」
「…」

 みんなわかってくれた。
 
 つまり、それがわたしなんだと。

「じゃあ、最後はチョウノちゃん」
「ハイ。『タマシイトケルナツノゴゴ』デス」
「えと。『魂溶ける夏の午後』でいいのかな?」
「チガイマス。タイトルガカタカナナンデス。『タマシイトケルナツノゴゴ』ナンデス」


 チョウノちゃんは自分の番が待ちきれなかったほどみたいで、自分で持っている電子書籍用のタブレットをかわいらしい人差し指でスワイプする。


「ソノヒトハジュンパクノフクヲキテイタ。
 マナツダケレドモナガソデ。
 シロイブラウス。
 シロイスソノナガイパンツ。
 シロノクルブシヨリウエマデノソックス。
 シロイスニーカー。ヒモモシロ。

 シロノ、ソフトハット」

「死装束だな」

 ゲンムがつぶやいた。
 全身白のいでたちで、真夏の日の下を歩く女性。
 その女性と一緒にウォーキングをすることになる中学生男子。彼はランニングが本分だが、この日はこの女性に付き従って歩く。

 年の差のある、淡い、恋にも達しないときめき。

「それで、この部分を?」

 カンテンさんが、やっぱり小説の中のキャラのように静かにチョウノちゃんに訊くと、チョウノちゃんは、ハイ、と首肯しながらわたしを観た。

「シャムサンニ、キテホシインデス」

 チョウノちゃんは自分のおばあちゃんが四国にお遍路に行った時の装束をわたしに持ってきてくれていた。

 ソフトハットだけは、チョウノちゃんの所有。

「ワア…」

 チョウノちゃんがわたしの足のつま先からソフトハットの頭頂部の縫い合わせの部分まで隙間なく見上げる。

「カワイイデス!」
「死装束がか?」
「ハイ!」

 ゲンムの棘ある言葉にも、チョウノちゃんは死装束とはっきり自分でも認識した上で、にこっ、と答えた。

 そうして、わたしに告げた。

「シャムサン。シコクニイッテミルベキデス」
「四国…」
「ハイ。シコクへ」

 四国か。

 ココロが漆黒のわたしがか…

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