第81話 ほんとうに人を救えるのって誰?

文字数 2,833文字

 それはわたしと言夢(ゲンム)が夕刻のショッピングモールにテナントとして入っている24時間営業のスーパーマーケットで買い物をしていた時のことだったんだけどね。

 辻説法に出遭ったんだよね。

捨無(シャム)。どうする?聴いてくか?」
「でも、ゲンムのお父さんとお母さん、晩御飯待ってるでしょ?」
「ああ。シャムのフライパンにオリーブオイルで焼く魚のな、焼き加減が絶妙なんだと」
「そこの女子ふたり!」

 まさしく大音声で怒鳴りつけられたよ。
 わたしらは手話でしゃべってるのにこう言われちゃった。

「黙らっしゃい!」

 まあ、音声を出していなくてもふたりで会話してたことには間違い無いけど、その目深に菅笠みたいなのを被って白の脚絆と上には黒の法衣を着てる年齢不詳の僧侶はね、身体が細い以外はすべてが太っとかったよね。

「夕餉と人生の一大事とどちらが大切か!」

 思わずゲンムが手話で答える。
 それをわたしが音声で同時通訳する。

「「まあ、人生の一大事だろうな!」」

 ゲンムの手クセそのもののでっかくて乱暴な声でこっちも怒鳴り返したら、僧侶の口元が笑った。目は見えないからもしかしたら笑ってないかもしれないけど。

「おもしろい女子どもだ。なら今日はひとつ某が人生の根源に係る話をしてやろう。皆のもの!タイムセールの惣菜を物色するヒマがあったら某の言葉を聴けい!」


 スーパーの店内でやってるから完全に営業妨害で警察に通報してもいいレベルだと思うけど、どうやら店長はこの迫力ともし邪魔だてしたら後で報復されるんじゃないかっていう恐怖心からか、とりあえず客の安全確保だけを最低限の使命として僧侶のするがままにさせている。

「では言うぞ!一度きりしか言わぬから死ぬ気で聴けい!」

 そう言ってから僧侶は極めて長い大説法を始めた。
 ジミー・ペイジがTHE FIRMのライブでバイオリンの弦を使ったギターソロを数十分にわたって演奏したぐらいの大演説を。

「たとえば、

 仏花・榊の仕替え

 家事全般:外界の『キャリア』を積むための仕事をサポートするなどという家事ではなく、家事そのものが重要な奉仕であるという認識の下での行動としての家事。

 前述『仏花・榊の仕替え』などはすべての根本であり、むしろこれなしに生活の糧を得るための外部での仕事も無事に行えないという感覚を持つことが必要だあ!

 分かっているとは思うが、単なる苦労話では何も感じない!

 その苦労の内容が『有無言わさずやらざるを得ない苦労』でないと意味がない!だから、スポーツや頭脳競技等のタイトルをいくつ取ろうとも自己の好きなことの反復練習という必然性のない努力には世間がどのように騒ごうともまったく魅力を感じない!そんなものは表層で一過性の努力でしかなく、ホンモノと呼べるのは戦災や罹災や闘病や不条理な犯罪被害やいじめ被害などの『辛酸』そのものが極めて高負荷な『努力』なのであって、その努力そのものを行った後でのたとえばスポーツや研究などでの『昇華』のごときものは単なる添え物でしかない!オリンピック等で優れた成績を残すなどといった部分にスポットを当ててしまうことは『辛酸』そのものが何者にも代えがたい『負荷価値』と『付加価値』を持っていることを詭弁で軽んじる行為とすら言える!

 更に言えば若いころの苦労は買ってでもしろというのは言い方が足りない!この言い方では年を取って報われたり成功したりすることが前提にあるように受け止められてしまう!

 そうではなくて、徹頭徹尾『辛酸』を選び続ける態度でないと意味がない!成功しそうになったら辛酸から遠ざかってしまうことを恐れて出世や金銭報酬だけでなく、精神的な満足感すら放棄し、徹底して辛酸をなめ続ける一生を送ることにこそ意義を見出さなくてはならない!

 なぜならそういう人間でないと人を救うことはできないからだあ!」

 どうしてだかわたしはこの僧侶に共感しかかっていることを恐れたんだ。

 だから、反論した。

「楽しいことや打ち込めることに力を注ぐのがどうしていけないの?それこそ無心で努力している姿が誰かのココロを救うこともあるんじゃないの?」
「ならば訊くぞ!」
「え、ええ」
「そなたは他者の成功を賞賛できるタイプの人間か!?」
「えっ!?」
「そなたは他人が成功するのをココロから祝福できる人間なのかあっ!?」

 えぐられた。

 ココロの奥のそのまた奥底を。


「聴けい!人々よ!

 成功した人間がその栄光を持って他人を励まし幸福にできるチャンスを与えるなどと思考する人間は、ほんとうの意味での辛酸を経験したことがない人間と思うぞよ!

 金メダル等で他人を励ますことができるなどとホンキで考えている人間がいるとしたら、ほんとうの意味で人間の深奥の深奥まで落ちつくした経験がないと言わざるを得ないぞよ!

 カウンセリング的な行動をも否定はしないし、自分自身僧侶である以上カウンセラー的な勤めも果たしはするがそれが単に外界のビジネス・業務的なカウンセリングでは全く意味がないぞっ!仕事やキャリアで苦労したなどという経験も、本当の人生の岐路となるようなたとえば国の重要施策の決定・断行や己が経営する会社の命運を左右するような決定・断行を行う場面ではなんの役にも立たないぞっ!

 本当にそういう場面でなんの忖度も躊躇も打算もなく決定し即行動できるのはなあ!

 ひとつ、戦争に遭った人間!

 ひとつ、いじめに遭った人間!

 ひとつ、災害に遭った人間!

 ひとつ、美的な印象を持たれない重篤で悪質な病気に罹患した人間!

 ひとつ、きわめて理不尽な犯罪被害の遺族となった人間!


 もっと列挙できるが、実はこういうひとたちよりも更に負荷価値も付加価値も大きい人間がいるっ!

 それは今言ったような事象によって死んでしまったひとたちだあっ!」

「うわ。すげえな」
「どうだあ!」

 ゲンムの手話のつぶやきを解したのか、僧侶は鉄杖を、ダム、とスーパーの人工大理石の上に突いた。
 ピシ、と抉り込まれヒビ割れる大理石。それでも店長は何も言えない。

「そのひとたちの死はな!

 それは戦死・事故死・殺害される・病死等を問わないのだ!

 自殺すら含まれるのだ!

 よく自殺は罪だとか自殺するぐらいなら逃げろとかいう人間がいるがなあ、口に蓋がしてないからといって人間ごときがよくそんなことが言えると思うぞよ!

 『自殺はダメだ』と言い切っていいのは神か仏かのみであって、人間ごときにそういうことを言い切る資格などないっ!

 むしろいじめを苦に自殺した子たちこそこの世でもっとも辛酸をなめつくした人間であろうし、負荷もその結果付加される価値ももっとも甚大で重いものであるだろう!

 そしてそういう人間の姿こそが、軽やかな成功でもって刹那的な救いもどきではなく、根本からの救いのヒントとなるであろう!」

 説法が終わって、まるで蓮の実のような形をしたその菅笠をとった僧侶の顔はね。

 わたしとそう見た目の年齢が違わない女子だった。
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