第11話 泥棒(3) Thief

文字数 1,059文字

 アゴ男までは直線距離でおよそ二十メートル。だが、人が多い。
「いけいけバンバン!!」アオピルが、無責任にサオリを鼓舞する。
「すいません! ちょと、どいてくださーい」
 人が多い中を、サオリは小さい体で徐々に近づいていく。
「なんだなんだ?」
 人の流れに逆らって無理矢理通ろうとしている少女に押された人たちは、ちょっと嫌な気分になっている。その違和感が空気として届いたのだろう。何度目かの振り向きで目が合う。
ーー気づかれた。
 アゴ男は、浅黒い顔をさらに赤くした。歩く速度が速まるプロレスラーのように大柄なアゴ男だ。強引に人を押しのけて進めば、サオリの前には道ができる。
 ロビーを出てすぐに、サオリはアゴ男に追いついた。
ーーすいませんでした、と言って無事に返してくれるのならば、アタピも大ごとにするつもりはない。
 サオリは、後ろからアゴ男の二の腕を軽く叩いた。男は無視する。サオリは何度も腕をたたく。
「なんだよ。しつけーな」
 アゴ男は、サオリの手を払いながら怒鳴る。
「あの、バッグを返してください」
「知らねーよ」
 アゴ男は振り返りもせず、大きな体格をいかし、強引に武道館の出口へと急ぐ。
「私、見たんです。あなたがジャンバーの下に隠しているバッグ。ちゃんと盗まれた人にも確認しました」
「見間違いじゃねーの?」
「じゃ、ありません。ジャンバーの下を見せてください」
「しつけーな。なんもねーよ」
「サオリ、なめられてんじゃなーい」シロピルが笑う。
ーーそう。アタピ、なめられてる。いつも他の人と同じ言葉を口から出しても、アタピの体型や顔を見た途端になめられるんだ。もうバッグを取り戻すには、大ごとにして多数の大人を味方につけるしかない。そのうちにタマネギおばさんもきっと追いついてくる。
 サオリはアゴ男のジャンバーをめくってバッグを見ようとした。だが、アゴ男が大きく手を振り払う。サオリは手を引っ込めた。
「触んじゃねーって言ってんだろ!!
 アゴ男は歩みを止めず、いかつい形相でサオリの方を振り返り、殴り掛からんばかりの大声で怒鳴った。周りの人たちも気がついたのだろう。みんなが歩みを遅くしてサオリたちを見る。タマネギおばさんが追いつくまでもうすぐだ。
 だが、アゴ男の行く手を遮る人混みも今の怒声で減ってしまった。君子危うきに近寄らず。誰も危ない大男には近づきたくない。このままではタマネギおばさんが追いつく前に、アゴ男は出口に到着する。
 ドン。
 順調に逃げていたアゴ男は歩みを止めた。君子ではない誰かが、アゴ男の前に立ちはだかったのだ。
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