第23話 感想戦(1) Post Mortem

文字数 1,986文字

 試合は終わった。
 残り40秒になってから、ミサオは、我武者羅に竹刀を振り続けた。
 が、力のベクトルは、アイゼンによってずらされ続けた。
 戦っている気がしない。
 全てが噛み合わない。
 刻一刻と過ぎていく時間の中、ミサオは、右に左に、幻のようにあしらわれ続ける。まるで、妖精と踊っているかのようだった。
 観客からは、ミサオが一方的に攻め続けているように見えたかもしれない。
 だが、後3分あっても、ミサオは、攻撃を当てられる気がしなかった。

「勝者。赤。フジワラノアイゼン!!

 三年ぶりに自分に上がらない審判の旗。
 コーチ陣の叫び。
 ファンたちの悲痛な声。
 周りの全てから、自分の未熟さを見透かされているようだ。
ーー恥ずかしい。
 ミサオは、面をはずしたくなかった。
「お互いに礼」
 礼をした後は、面をはずして控え室に戻るのが通例だ。だが、アイゼンは、ミサオに握手を求めてきた。
 小手を脱いで握手をする。
 アイゼンは、面越しに顔を近づけてきた。いい香りがする。
「桐生さん。本当に強かったです。ありがとうございました」
 ミサオは、負けた言い訳をしたかった。相手にも。そして自分にも。
 だが、習慣という魔物が脳を支配している。「勝って感謝、負けて感謝」。もし真剣だったら、自分は殺されていた。それなのに、救ってもらえたのだ。対戦相手に感謝を忘れてはならない。
 そんな武士道精神が先に出た。
「こちらこそありがとう」それしか口から出てこなかった。
 面の奥には、アイゼンの整った容姿が見える。上気した肌は、暗闇の中に光る女性の未知なる性を感じさせる。ミサオは、心臓の高まりを止めることができなかった。試合の興奮でもない。サオリにたいする興奮とも違う。
ーー心臓の高まりには、幾つのパターンがあるのだろうか。
 たった30分間に、人生で味わったことのない感情をいくつも味わった。
 パニック。
 頭の中が真っ白だ。
 ミサオは、コーチに引っ張られるようにして、試合場を後にした。
「かっこよかったよー」
「次は期待してるー」
「運が悪かっただけだよー」
 観客の応援も、コーチの励ましも、ミサオの耳には入ってこなかった。
 ただ、闇をなくすためだけの蛍光灯に照らされて歩く。
 ただ、目的地まで向かわせるためだけの無機質な通路を歩く。
 ただ、体の記憶による自動運転で歩く。
ーー……。……。……!! あ。
 時間が経つと、精神の一部が戻ってくる。
 こうなればミサオは一流だ。徐々に自分の精神を取り戻し始める。
ーー負けた。負けた、のか? いや、負けたのだろう。
 失敗した時には逃げてはいけない。原因を追求しなくてはいけない。それが次回の勝ちに繋がる唯一の方法だ。
ーーなぜ負けた? 俺の方が強いはずなのに。
 失った記憶を取り戻し、ミサオはイヤイヤながら、今回の試合を振り返ってみた。
ーーアイゼンは、他の選手とは違う動きだった。やりづらかった。だが、自分のイメージを大きく超えてはいない。スピードも他の選手並み。力は男と比べれば劣っていた。確かに先読みは優れていた。よく俺を研究もしていた。だからといって、負けるような要素は全くなかった。ということは、4分過ぎの攻防が全てか?
 負けた時の記憶を思い出すことは、カカオ90%のチョコレートよりも苦い。
ーー急に視界からいなくなる体捌き。体を捻りながらの突き。だが初見とはいえ、果たして本当にかわせなかったのだろうか?
 みんなから話しかけられていることにも気がつかず、ミサオは深く考え込んだ。
ーーいや。かわせたはずだ。俺は慢心していたのだ。女でも容赦しないと思ってはいた。だが、対戦した瞬間、気が緩むところがあった。今ならわかる。
 ミサオは分析を続けた。
ーーしかし、それでも俺ならばかわせたはずだ。どこで……、あっ!
 ミサオは気がついた。
ーーそうだ。あの時の一言。「さおり」。あれだ。今、初めて気がついた。俺は試合中だというのに、沙織ちゃんのことが気になってしまったんだ。闘いに臨む前だというのに、他のことに気をとられていたんだ。
 サオリがアイゼンのスパイだったのではないか、という考えも頭をかすめたが、そんなことはどうだっていい。敗因は、自分の甘さだったのだ。ミサオは、原因がわかって、一度落ち着いた。
ーーそうか……。闘う前から負けていたのか……。これでは、負けても仕方がない。だが、もう二度と同じ轍は踏まない! もっと強くなる! もう誰にも負けない! 一生負けない! 来年は、愛染にもリベンジする!
 一流選手は切り替えが早い。後悔するだけでは前に進まない。そのことをミサオは、誰よりもよくわかっていた。
ーー俺はできる。俺は強い。
 自己肯定を繰り返し、ミサオは完全に復活した。
ーーあ! そういえば……。
 心に余裕ができて気がついた。
ーーまだ控室に沙織ちゃんがいたら、どうしよう?
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