第18話 放送席 (Broadcasting Room)

文字数 2,793文字

 ミサオは控え室を出ていった。足音が遠ざかる。
ーーあー、緊張した。
 サオリはすぐにテレビをつけた。全世界剣道選手権大会が放映されている。まもなく決勝戦。熱気がすごい。
ーーこれからどうしよかなー。
「桃のとこ戻ればー?」アカピルはピーチーズのことが好きだ。ピーチーズとは、同じ高校、同じ学年の仲良し四人組だ。サオリの他に、カメ、ユキチ、ウサがいる。今日はこの四人でアイゼンの応援に来ている。
「派手柄おじさんを探そうよ!」キーピルは冒険好きだ。サオリも冒険好きなので、キーピルの提言にはいつもワクワクする。
「もう出るの? 危なくね?」アオピルは怖がりだ。サオリの危険な行動にブレーキをかけてくれやすい。
 ピョーピルは好き勝手に話している。サオリは自分のスマートフォンを見た。メールが来ている。カメからだ。亀が「大丈夫?」と口を開けているスタンプが貼られている。
ーーあ! 心配されてる!!
 サオリはたった今、思い出した。トイレに行ってくると言って戻っていないことを。これでは心配されても仕方がない。
ーーすぐに戻らなきゃ。
 と立ち上がったところでまた考える。
ーー今戻ってもどうかな?
 先ほどからまだ20分も経っていない。まだ誰かがさっきのことを覚えてたら、奇異の目で見てくる人がいるかもしれない。それで客席がざわついたら、アイゼンは気づく。気づけば集中力が落ちる。少しでも負ける可能性は減らしたい。
ーー決勝戦が始まったらみんなの興味は試合にうつる。そしたら戻ろ。
 カメにはスタンプを返しておいた。「OKやで!」と言っているお手製のクマオスタンプだ。
ーーこれでいいでしょ。
 サオリは一安心してテレビをみた。

 テレビでは解説が始まっている。青いスーツを着こなす恰幅のいい中年アナウンサーは安斎肇だ。隣には、サングラスをかけ、白いアゴヒゲを長く生やした、80歳をこえている老人がいる。大会名誉会長の森田一義八段だ。
「いやー。いよいよ決勝戦。森田八段。解説をお願いします」
 アンザイは興奮している。モリタは高齢のため、声の抑揚がよくわからない。だが、おそらくは興奮しているのだろう。
ーー血圧上がらなきゃいーけど。
 サオリの心配をよそに、モリタは調子がいい。
「もちろん桐生は決勝に残るとは思ったけどね、まさか女流剣士の藤原が残るとは思わなかったよ。これは快挙だね。歴史上、巴御前以来の快挙だよ」
 歴史上の人物に例えるモリタ渾身のギャグは、無情にも軽くいなされた。アンザイは淡々と司会を進行する。
「女性と男性とでは力も素早さも大きく異なります。藤原選手がここまで勝ち上がってこられた原因はなんだと思いますか?」
「あの子はとにかく間合いをとるのがうまいな。男とは筋力に差があるのがわかっているのだろう。どの試合も相手とぶつかりあうことがない。攻められると遠くに逃げ、追いかけられても更に逃げ、隙を見計らってはタイミングよく相手の懐に入っていく。相手は幻に向かって竹刀を振っているような気がしているのではないかね」
「なぜ力も素早さも男の選手より劣るというのに、藤原選手だけが他の選手の出来ないことを出来るのでしょう」
「藤原は目がいいな。それと、まだ負けたことがないので思い切りもいい。蝶のように舞い、蜂のように刺す。もともとボクシングの世界チャンピオンだったモハメド・アリを形容した言葉だったが、今はまるであの子のための言葉に聞こえるわい」
「なるほど。ということは、桐生選手の優勝は危ういと」
 モリタは顔をしかめた。
「いやいや。さすがに桐生の勝ちはゆるがんだろ」
「と、いうと?」
「考えてもみなさい。桐生はここ三年間、一度も負けていない。そんな人間が女性に負けるとでも思うか? しかも今は25歳。心技体が充実しきっている。あと十年は負けないよ。もし宮本武蔵が蘇ったとしても勝ち目は薄いだろ」
「それでは桐生選手は、藤原選手の幻のような体さばきにどうやって追いつくのでしょう?」
「試合を観たらわかると思う。桐生の体さばきも凄いんだよ。素早さだけでいっても藤原より速い。ただ、藤原は体さばきだけが突出しているので目立つが、桐生は全ての部分が総合的に完成されている。だから、体さばきだけという形では目立たない。それだけのことだ。しかも藤原は、連戦続きでスタミナが切れているかもしれない。準決勝では一度、速さに劣る丹下に追いつめられているだろ? 疲れている上で尚、自分よりも素早い桐生から逃げきることは難しいだろうね」
「それでは、森田八段は桐生選手の勝利と読んでいますか?」
「そりゃそうだろう。ただ、やはり試合をする以上、もちろん万が一もある。藤原が若さゆえの全能感にまかせて攻め込んだ時、自分に近いスピードで攻撃されることに慣れていない桐生が、焦ってミスをするということも考えられなくはない。藤原も女子の大会にしか参加していなかったとはいえ、まだ負けたことがないからな。大番狂わせを起こすようなことはあるかもしれん」
 主役の登場していない試合会場内で、スタッフが慌しく動き始めた。アンザイは話の締めに入る。
「そうですね。三年間無敗の警察官と、生涯無敗の女子高生。まさに新時代の怪物たち。果たして勝つのはどちらでしょうか? 無敗同士の戦いには必ず、初めての負けというドラマが待っています。私たちは歴史の証人として、じっくりと時が来るのを見守りましょう。いま、両者の入場です」
 アンザイのタイミングは完璧だった。言葉が終わると同時に、西からアイゼン、東からミサオが入場してくる。
ーーアタピの知ってる二人が世界一の剣士になる。みんなの前で国家斉唱を歌う。なーんか変な感じ。
 サオリは、ハッピーターンのビニールをはがした。
ーー今日も一緒にジョギングしてきた親友と、さっき助けてくれた優しい刑事。その二人が、一万人が見守る中で戦う。NHKで生放送もされてるから、おそらく日本、いや世界中の何十万人もの人が注目してるんだろう。そして、その二人と関係を持っているアタピは、誰にも注目されずに、誰もいない控え室でテレビを見ている。
「注目されたいわけじゃないけどさっ」
 サオリは助走もなく、羽根のように椅子に跳び上がった。
「でも、なーんか。なーんかなんだよなー」
「青春」アオピルがつぶやく。
「だったらさっき、インタビューしたがっていた人もいたから、逃げずに話せばよかったのに」キーピルが頭の後ろに腕を組む。
「テレ東だったから嫌だったの?」シロピルが悪そうな顔だ。
ーーんーん。テレ東ラブ。ただ反射的に逃げちゃっただけ。……アタピ、本当はインタビューされたかったのかなぁ。人並み以上に好奇心はあるはずなんだけど。
 チヤホヤされたいけどチヤホヤされたくない。サオリは自分の気持ちがわからなくなってしまった。テレビでは、すでに決勝戦が始まっていた。
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