第8話 ヒロインの帰還(2) Where does she flame in?

文字数 2,652文字

 フタバのいるトイレから壁一枚挟んだ女性トイレから、入れ替わりのようなタイミングで少女が出てくる。準決勝が終わる前に並んだので、たいして並ばずにすんだのだ。
 小柄な彼女は前も見ずに、混雑しているロビーをスイスイと進んでいく。襟にイカリのマークが入った半袖のセーラー服。太陽の絵柄が入った小さなショルダーバッグを襷掛けにしている。左手首にはゴツい金色の腕輪が、華奢なカラダとは不釣り合いに鈍く光る。髪は肩にかかる程度の長さで漆黒。顔も体もパーツは幼いが、顔つきだけはどこか大人びていて、そのアンバランスが独特の美しさを醸しだしている。雙葉高校一年、加藤沙織だ。
ーー準決勝が終わって防具を外した時のアイちゃんの顔。輝いて、自信に満ち溢れてた。
 サオリは歩きながら考えていた。
ーーうん。アイちゃんが優勝するのはもちろん嬉しんだよ。
 サオリは、右に傾いていた首を左に傾け直した。
ーー嬉しんだけどねー。なーんか複雑。この気持ち。なーんて言えばいんだろ?
「それ、嫉妬っていうんじゃなーい。かーっこわりっっっ」
 サオリの左肩からシロピルがヒョッコリと首を出す。白くて小さい謎の小人だ。紙粘土で作られたかのようにシンプルな形をしている。
「ひーっひっひ」
 セーラー服の襟につけたワッペンおじさんが、妙な引き笑いをした。
 二ヶ月前、サオリはオーストラリアで色々な体験をした後、他人と比較しない人生を探すことにした。本当になりたい自分。そう思いながら金色の腕輪、クルクルクラウンを触った時、腕輪の中から小人が出てきたのだ。
 小人の数は少しずつ増え、今では6匹の小人が見えるようになっている。親友のピーチーズだけではなく、アイゼンやミハエルにも見えない。つまり、錬金術師だから見えるという訳でもないらしい。
 サオリは、イマジナリーフレンドという想像上の友達を自分で勝手に作り上げてしまっただけかもしれないと思っていた。
ーーまっ、ビリー・ミリガンみたいに二十四の人格を持ってしまう人もいるんだし、何が起きてもおかしくないよね。
 むしろ人見知りなサオリは、いつも誰かに相談出来るこの状態が嬉しかった。小人たちには、ピョーピルと名前を付けた。英語で人々を表すピープルと語感が似ているからだ。さらに小人たちは、顔がほぼ一緒だが、全身の色が違う。白・赤・青・黄・緑・紫。それぞれ性格も違う。サオリは色にちなんで、シロピル、アカピル、アオピル、キーピル、ミドピル、ピョレットと名づけた。
 最近ではワッペンおじさんや、部屋の壁掛けになっている太陽ちゃんなどの自作のアクセサリーからも声が聞こえたりすることがある。見えるのはクマオだけらしい。
「こんなはずじゃなかったのにね」アカピルがサオリの頭をなでて慰める。
 サオリは頭をなでられながら思った。
ーーアカピルはいい子だけど、どこか的が外れてるんだよね。こんなはずじゃなかったといえば、今いる状況がこんなはずじゃなかったよ。
「人間は大人になればなるほど、社会に出る頻度が上がっていく。社会に出れば出るほど、他人の評価が大きく自分自身のあり方に影響を及ぼす。他人の評価は、他人の目に見える成果によってのみ決められる」ミドピルだ。いつも偉そうに先人達やパパやミハエルの教えをもったい深げに繰り返す。
ーーわかってんの。わかってんのよ、そんなことは。ただ、言葉と実感はやっぱ違うよ。アタピはそりゃ、自分のペースで蜂蜜色の夢を見つけるって決めたんだけどね。
 サオリは立ち止まって辺りを見回した。
「でも……、さすがにこれはメゲルよね」
 サオリの周りにいる全ての人は、老いも若きも男も女も、フジワラノアイゼンの話をしていた。
「愛ちゃん、準決勝も凛々しくてかっこ良かったー」
「うん。愛ちゃん凄いね。身長も高いし、こりゃ男じゃなくても惚れるわー」
「もしかしたら優勝しちゃうかもね」
「いやいや。決勝は、全日本三連覇のあの桐生操だぜ。さすがに敵わねーだろー」
「でもそう言いながら、こうやってアイちゃんは勝ち抜いてきているからなー」
「ミサオを倒したら、それこそ不世出の天才だわ」
「今の時点で既に天才だわ」
「他人の持っている評価を喰えば喰うほど、自分の評価という名の化物は肥えていく」 知らない観客の話に横入りして、モリピルが偉そうにサオリに話す。
 サオリは、もっと偉そうな顔をしてモリピルに返した。
ーー知ってる。山の話でしょ? 一番高い山がチョモランマっていうのはみんな知ってるけど、二番目に高い山は誰も知らない。一番以外のモノは他人に評価されないってやつ。
「でもサオリは、二番目の山の名前も知ってるもんねー」アカピルが空気の読めない合いの手を入れる。
 サオリはアカピルにたいしては仕方がないと思っているので、そのまま答えた。
ーーうん。ゴッドウィンオースチン。パパが写真見せてくれた。すごく良い景色なんだって。アタピもいつかその山に登ってみたい。でも、それはいつになるんだろ? 高校入って、大学入って、会社入って、ある程度お金が貯まって、って考えると、四十歳くらいかなぁ。
「サオリ、四十歳の夏」シロピルが笑い転げている。
ーー笑い事じゃないよ、もぉ。四十歳なんてあっという間。なのにアタピは、自分の夢が何かもわかんないし、その入口にすら立ってない。そしてアタピの周りにいる人は、知らない人も含めて全員、アイちゃんの話をしてる。テレビで試合を見ている人たちも、みんなアイちゃんの話をしているんだろな。もしアイちゃんが望めば、多分テレビ局からお金を出してもらえて、明日にでもアタピの登りたい山なんて登れちゃうのかもしんない。別に誰かの話題になりたくて生きてるわけじゃないけどさ。なにかこう……、先を越されているというか、いや、違う、なんていうの? もー。
「だーかーらー、それを嫉妬っていうんじゃないの?」シロピルがサオリの肩の上で悪そうな顔をした。
「頭クシャクシャってしてあげる」アカピルがサオリの髪をクシャクシャにする。
「ヒーッヒッヒ」ワッペンおじさんは笑ってばっかりだ。
ーーもー。いーのっ。アタピは純粋にアイちゃんの応援をするんだからー。
 サオリは小さな両頬をフグのように膨らませた。勢いよく壁を平手でたたき、その勢いを利用して場内に入る。試合開始まではまだ20分以上ある。
ーーいま荷物番をしてくれている諭吉と交代しよう。
 サオリは、売店に行くと言っていたユキチに何を買ってきてもらおうかと考えながら、座席に戻ろうとした。
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