第10話 泥棒(2) Thief

文字数 1,043文字

ーーほらー。言ったでしょー?
「シーン。耳聞こえなーい」シロピルは両手で、あるかどうかもわからない人間の頭でいうところの耳を押さえてそっぽを向いた。
「ほんとに彼のものだという可能性もあるぞよ」モリピルが左肩から重い声でつぶやいた。
ーーとにかく……、確かめてみるしかない、か。
 サオリは、あまり知らない人と話すことが得意ではない。でも自分が見逃したせいで目の前のおばちゃんが困ってしまうことを想像すると、そのくらいの覚悟は持たないといけないなと思った。
ーー危ないところには近づかないこと。やるべきことをやること。人の役に立つこと。
 これはママとの約束だ。
ーー人の役に立つこと。普通の女子高生には荷が重いけど、アタピにとっては危ない場所じゃないよね。それに経験を積むこと。これが今、学業以外にアタピのやることだと思う。
 サオリは心の中でつぶやいた。ハンドバックが置いてあった席の隣にいるおばさんの元へ小走りで近づく。赤いドレスと真珠のネックレス。タマネギ型の髪型。丸眼鏡。派手で金持ちそうな女性。隣の人とのお話に夢中になっている。
ーーさあ。緊張するんだなこれが。なるべく不審がらせないように、ちょと、可愛い感じでいこうかな。
「サオリぶりっ子!」
ーー無視無視。
 サオリは、おばさんの香水の匂いを避けるように、少しかがんで声をかけた。
「えと、すいません」
 場内は騒がしい。サオリの声は、おばさんの耳には届かなかったようだ。
「すいませーん!!!」
 今度は少し大きすぎる声を出してしまった。タマネギおばさんは驚いた顔で振り向いた。
ーーやばっ。声が大きすぎた。
 サオリは、不審者じゃないですよという態で、少し早口に喋る。
「あ、あの。ここにあったハンドバッグ、お姉さんのではなかったですか?」
 お姉さん、という単語にピクリときたのか、タマネギおばさんは不審気な顔をなくし、猫なで声で答えた。
「そうよん。なぁにん、あなた、ここ、座りたかったのん、ごめんなさいねーん、今どかすから」
 おばさんがハンドバックをどかそうとしたが、その席に置いてあったハンドバッグが見つからない。そりゃそうだ。たった今、アゴ男が持っていってしまったのだから。おばさんとは思えない速度で席の上下を覗き込んだタマネギさんの顔は、蒼白のタマネギ色に変わった。
「あ、あたしのカバン! カバンがないわ!!!」
「わたし、盗まれたの見ました! 獲ってきます!!!」
 言うが早いか、サオリは獲物を狙う蜂のように、目で追っていたアゴ男を追いかけた。
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