第150話 ゴミ箱 Trash Can

文字数 2,399文字

 アドベンチャーランドからウエスタンランド経由でファンタジーランドまで戻ってくると、1回戦の試合場だったアリスのティーパーティーが見える。
ーートゥーンタウンまで、も、ちょと。
「沙織。あれ。見てみ」クマオが袖を引く。
ーーん?
 ゴミ箱が微かに振動している。
ーーディズニーマジック? 不思議。
 サオリは気分がいい。警戒もせずに近づいた。
 ゴミ箱の影にしゃがんだ人がいる。金髪リーゼント。ガリガリ白シャツ。縮こまった背中だけでも一目でわかる。ボルサリーノだ。サオリは普段他人に話しかけないタイプだが、可哀想に見えたので思わず声をかけた。
「どしたの?」
「こ、殺されるでヤンス。殺されるでヤンス」ボルサリーノは振り返りもせずにゴミ箱にしがみついている。ゴミ箱が細かく揺れる。ディズニーマジックの正体だ。
ーー殺される? コロンビアンネクタイのこと???
 サオリは思い出した。アイゼンから意味は聞いている。喉をかっさばいてそこから舌を出す処刑方法だ。マフィアの脅し文句に使用されることが多いらしい。
「ダイジョーブ」弱い人を見ているとほっておけない。サオリは何だかお姉さん気分になった。
ーーこういう時は目線合わせなきゃ。
 サオリはしゃがみこんでボルサリーノを慰めることにした。
「な、な、な、なんでダイジョーブだなんて言うんでやんすか? あ、アッシの舌……」ボルサリーノはゴミ箱から手を離し、両手で喉を押さえた。ただでさえ白い肌が真っ青だ。震えも止まらない。ダラダラと大量の汗を垂らしている。
「だって、試合で負けたくらいで殺されるなんて無いでしょー」脅されているだけ。当然のことだ。
 ボルサリーノは恐怖で歯が噛み合っていないが、必死で話を続けようとする。1人でいるよりは気が紛れるのだろう。
「い、いや。場所によって常識は変わるでヤンス。ドイツのユダヤ人、アメリカのインディアン、オーストラリアのアボリジニー。みんな政府主導のもと、虫けらのように命が失われていったでヤンス」
ーーアボリジナルの大量虐殺。
 サオリはオーストラリアで聞いた話を思い出した。
「でも、それて昔じゃないの?」
「わかりやすく言っただけで、今も世界は権力者の指先一つで命が奪われているでヤンス。中東ではテロや戦争が常時おこなわれているし、中国は民族浄化政策と言って自分たちに従わない人間を次々と殺していってるでヤンス」
「えっ! そんなの世界が許さない……」
「世界は権力者が作ってるんでヤンス。権力者の金や欲望のためなら法律なんてあってないようなものでヤンス。いつの時代の権力者も、人知れず個人をこの世から消す方法をたくさん持っているでヤンス」
「ホントに?」サオリは信じられなかった。
「ホントでヤンス。例えばフィリピンでは大統領が変わってから犯罪が減ったと言って喜ばれている。これは知ってるでヤンスか?」
ーーニャースで見た。
「けど、麻薬撲滅のためならばと5000人が警察によって射殺されヤシタ。アッシの知り合いも殺されヤシタ。麻薬はやらないと足を洗ったヤツも殺されヤシタ。そのどさくさに紛れさせて何十人かの敵対勢力の幹部も粛清されヤシタ」
「えっ!」サオリは驚いて反論しようとした。
 が、考えてみると確かに殺されても誰にも分からない。政府が犯罪者だと言ったらそれで終わりだ。サオリの顔を見てボルサリーノは話を続ける。
「ヌドランゲタだって同じでやんす。人殺しはしないなんて建前はあるでヤンスが、今でもドサクサに紛れて敵を闇に葬りさる。よくあることでヤンス。そういうビジネスをしている奴もいるでヤンス」早口で聞いたことのない話。けれども何となく世界の形が見えてきたような気がする。理想と現実を分けて考えろ。仙術の言葉だ。
ーーアタピ、世界はもうちょと平和だと思てたけど、それは理想か。平和なのは自分の周りだけで、現実は案外そういうもんかも。
 ただ、物事は多面的に見て判断しろとも仙術書には書いてあった。サオリはまだ16歳。自分の持っている知識だけで判断するには圧倒的に情報が足りなさすぎる。
ーーボルさんを信じてないわけじゃないけど、うち帰ったらネットと本で調べて裏どりしよ。ミハエルとか、アイちゃんとか、モフモフさんとか……、フタバにも聞いても一度考えよ。
 ただボルサリーノを慰めるだけの予定だったが、この話はサオリにとって大事だった。
ーーアタピの現実は平和だけど、ボルさんの現実は残酷だったらそりゃ怖いよね、コロコロネクタイ。
 サオリは思わずボルサリーノの頭をなでてしまった。
「あ、ありがとうでヤンス」突然の優しさに涙腺が緩み、ボルサリーノは子供のように泣きじゃくった。そして生命の危機に瀕して、サオリが泥棒を捕まえたせいにもしていた自分が恥ずかしくなった。
ーーアッシの命が危ないのはGRCやKOK、特にここにいるエスゼロちゃんのせいじゃない。全てアッシ自身の責任でヤンス。こんな優しい子に責任をなすりつけるなんて言語道断でヤンス。自分の命を守るのは自分しかいない。そうやって今まで生きてきたんでヤンス。
 必死に泣き止み、潤んだ目ながらもサオリを直視する。
「も、も、も、もう、大丈夫でやんす」 
「ホントにダイジョブかなー?」アオピルが不安げな顔をする。
 サオリも心配だ。大丈夫かどうか、ボルサリーノと目を合わせて感情を読み取ろうとした。
「次の試合の時間も迫ってるでヤンス。戻ってくれでヤンス」ボルサリーノは頑張っている。男には痩せ我慢をしなければいけない時がある。その時の目だ。サオリは本能で理解した。
ーーもうこれ以上はいられたくないんだろな。
 サオリは立ち上がり、「元気出してね」と一言応援メッセージを投げ、そのまま振り返らずに自分たちのラウンジへと戻っていった。本当は振り返って何度も心配したい。でも振り返らないことがボルサリーノの漢気への敬意だと思った。
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