第214話 大金持ちと貧乏人 徒然草217

文字数 1,077文字

□ある大金持ちのいわく、「人はよろづをさしおきて、ひたすら財産を築くべきなり。貧しくては生きる甲斐がない。富める者のみを人とする。財産を築こうと思えば、すべからくまづその心遣いを修業すべし。その心というのは他のことにあらず、人間 永久不変だという思いで住み留まって、かりそめにも人は無常であるなど観ずることなかれ。これ第一の用心である。次に万事の用を成就してはならない。人の世にあるものは、自他ともに願う所は量りしれないほどある。
欲望に随いて志を遂げんと思うならば、百万の銭がありといっても、暫くも留まっていることはない。願う所はやむ時がない。財は無くなり尽きる時期があり。限りある財をもって、限りなき願いを追及することは、不可能である。願う所が心に兆すようならば、我を滅ぼすべき悪念が来たと、堅く慎み恐れて、小さな用件でもなすべきではない。次に銭を奴僕の如く使い用いる物と考えるならば、永久に貧苦を免れることができない。君主の如く神の如く畏れ尊敬して、従えて用いることはしてはいけない。次に金銭で恥に臨んだとしても、怒り恨むることなかれ。次に正直にして約束は堅く守るべし。この教えを守りて利を求める人は、富の来ること、火の乾いた物に燃え移るように、水が下へ流れるに随う如くなるであろう。銭積もりて尽きないほど有る時は、宴で飲んだり・音楽や色事に耽ることなく、居所を飾らず、願う所を成就しなくとも、心はとこしえに心安らかに楽しいものである」と申されました。そもそも人間は願う所を成就するために財を求むるものである。銭を財産とすることは、願いをかなえるためである。願う所あれどもかなへず、銭あれど用いざらんは、全く貧乏人と同じ。何をか楽しみとするのか。この掟は、ただ人間の欲望を断って、貧乏を憂うてはならないと聞える気がする。欲望を成し遂げて楽しもうとするよりは、それにこしたことはないだろうが。財産がないことには。癰疽を病む者は、水で洗えば気持ちが良いと思うだろうが、病気にかからない方が、それにこしたことはない。この大金持ちの境地に至っては、貧乏人も金持ちも分ける所がなくなる。究境が理即と同じ位だというに等しい。大欲は無欲に似ている。
※究境とは天台宗で、凡夫から成仏までを六即という六階級にわけた時の最高の位をいう。理即は最下位の位をいう。この位が同じという事になる。金持ちの定義をされておられますが、考えは貧乏人と同じ考えで、金を貯めておられるということでしょう。金持ちはケチという話しもありますが。金は無くても、心は錦ということもあります。
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