第204話 女の人は昔 徒然草107

文字数 1,017文字

女が物を言いかけた返事を、たちまち上手く対応できる男は、滅多にいないものだと、亀山院の御時、愚かなる女房どもが、若き男達の参内されるごとに、「郭公を聞き給えるか」と問いて試みられところ、ある大納言とかは、「数にも入っていない身は、よく聞き候はず」と答えられた。堀川内大臣殿は、「岩倉で聞きて候う」と仰せられたのを、女房たちは「この答は難がない。『数にも入っていない身』は、むつかしい」などと定められたという。すべて、男は、女に笑われぬように教えるべしという。「浄土寺前関白殿は、幼くてして安喜門院からよく教えさせ給いけるゆえに、御言葉などが立派である」と、ある人が仰せられたとか。山階 左大臣殿は、「卑しい下女から見られるのも、いと恥づかしく、心づかいさせられる」と仰せられたという。
女がいない世の中だったならば、装束も冠も、どんな物でも、身だしなみを整える人はいないろう。このように人に恥ずかしがらせる女は、いかばかり大変なものかと思うが、女の性はみんな曲がっている。我欲が深く、貪欲なこと甚だしい、物事の道理を知らない。ただ、妄想の方には心も速く移り、言葉も巧みで、細かなことでも問うても言わない。用意あるかと見れば、また、あさましいことまで聞きもしないのに言い出す。深く謀略することなどは、男の智恵にも勝るかと思えば、そのことが、すぐあとから露見するのを知らない。素直でなくて、つたない者が、女である。その女の心に従って、よく思われんとすることは、心憂きことであろう。だから、何んで女のことを恥ずかしと思う必要があろうか。もし賢女がいるならば、それも親近感がなく、つまらないだろう。ただ煩悩を支配されて女に従う時、女を優しくも、興味深いと覚ゆべきことである。
※前半は第三者の女性に対する見解である。ストレートに心をあらわににしないので、本意が分からないところがある。女性に笑われぬよう、男は教育され対応をしなければならない。
後半は兼好先生の女性に対する見解のように見える。当時は男尊女卑の世界かんであったのだろう。かなり辛辣な女性蔑視ともいうべき表現がある。浅はかな考えで、謀略をねり、跡でばれてしまう。我欲が強く、貪欲素直でないし、賢い女がいても、親近感を抱かせず、つまらない女だろうとおっしゃっている。女性がいて、男性がいて世の中成り立っている。男も女から生まれる。女性あっての世界だから、大事にする必要があると思う。
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