第45話 言葉遣い 徒然草160
文字数 403文字
□門に額を懸けるを「打つ」と言うのはよくないのだろうか。勘解由小路二品禅門は、額を懸けると仰った。「見物の桟敷を打つ」もよくないのだろうか。「平張打つ」などは、常のことである。「桟敷を構える」などというのが良い。「護摩を焚く」というのも、悪い。「修する」「護摩する」などと言うべきだ。「行法も、法の字をホウと言うのは悪い。濁りてボウという」と、清閑寺僧正は仰られた。常に言う言葉に、このようなことが多い。
※額を打つのではなく、懸けるという。桟敷を打つのではなく、構えるという。護摩を焚くではなく、護摩を修するという。行法もホウではなくボウという。本来の言い方ではなく、誤った言い方が通説になっていることが多いと言われているのでしょう。誤った言い方が通常の言い方に認知されたりすることがある。一所懸命(命がけで物事をする様子)が一生懸命(必死になって一つの物事を行う様子)に変化することが認められた。
※額を打つのではなく、懸けるという。桟敷を打つのではなく、構えるという。護摩を焚くではなく、護摩を修するという。行法もホウではなくボウという。本来の言い方ではなく、誤った言い方が通説になっていることが多いと言われているのでしょう。誤った言い方が通常の言い方に認知されたりすることがある。一所懸命(命がけで物事をする様子)が一生懸命(必死になって一つの物事を行う様子)に変化することが認められた。