第21話 始め終わりこそー2群衆心理  137

文字数 667文字

□そのような連中が賀茂夏祭りを見ている様子は、いと珍しきかな。「行列が遅い。来るまでは桟敷はいても仕方ない」とて、奥なる室にて飲み食いし、囲碁、双六など遊び桟敷には見張りを置きたれば、「渡り始めました」と言うとき、おのおの肝つぶるるように争い走り上がりて、落ちそうなまで簾が張り出て押し合いつつ、事も見洩らさじと血眼になり「ああ、こうだ」と批評し、通り過ぎれば「また通らんまで」と言い下りた。
 ただ物をのみ見んとするなるべし。都の高貴な人は、眠っているようでいとも見ず。若く末座の者は宮仕えに立ったり座ったり、主人の後に控えている者はのしかったりりせず、無理に見ようとする者はいない。
※この部分は兼行法師のエッセイの面白いところだろうか。人の行動を表現し、今も700年前も人間心理は進化しないものだと思い知らされる。
□葵祭で華やかなる飾りつけがされている。朝になると、道端に寄せて牛車が止められ「あの人、この人」と噂し、牛飼・召使など顔見知りもいる。優美なものやきらびや かな もの、様々なひとが行き見ていて退屈しない。
 日暮れ時には、牛車や桟敷に並んだ人々もどこかへ行ってしまった。混雑も終ると簾、桟敷の畳も取り払われ、見る間に寂しい状態になっていく。世の移ろいを思い知らされ哀れさを感じる。都大路を見てこそ、葵祭を見たということが言えるのだ。
※この137話は長文であり、ストーリーがあり、じっくり読むと昔の着物を着た人物やその表情。日暮れ時の牛車の混雑。世の中の流れや自分の人生の流れを重なり合わせる心情いい。
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