第104話 鳥部山の火葬場  徒然草7

文字数 896文字

□あだし野墓地の露が消える時がなく、鳥部山の火葬場の煙も立ち去らずに、生き続けることが
世の常であるならば、どんなにか情感の欠けた世の中になることだろうか。世の中は無常であるからこそ、素晴らしいのである。命あるものを見ると、人ほど長生きするものはない。かげろうは夕べを待ちて息絶え、夏の蝉は春や秋を知らずにこの世を去る。なんとなく1年を暮らしていると、こよなくのどかに思うのである。世の中のことを飽きず、時が過ぎるのを惜しいと思えるのは、千年を過ぎたとしても、一夜の夢のごとしという心持ちになるだろうに。生き続ける世の中であるならば、醜き姿が待ち構えており、何をすればいいのだろう。命が長ければ恥かくことが多い。長く生きても、40歳前で死ぬことが感じがよいのではないだろうか。それを過ぎると、容姿を恥じることもなく、世間で生き交わりたいと思い、老人になっても子供や孫を愛し、立身出世するのを見るまでは、命があって欲しいとひたすら世の中を欲深く望むこと多くして、しみじみとした心の働きをも知ることがないというのは情けないことだ。
※具体的に火葬場の名前をあげ死んだ人を焼くことが無く、人が千年も生きたらどうなるか仮定している。肉体は衰え、寝たきりになり、痴呆状態になって何百年も生きたとして、なんの楽しみや、欲望を満足させることが出来ようかと諭されている。そのとおりです兼好先生は正しい。40歳で美貌の内、栄華のうちに、死んでいくのはまだ早い気がするが、マリリン・モンローは永遠に美しい姿態をイメージとして残した点では当たりかもしれない。年老いて自分の後継ぎの栄華を見届けたいと思う人は多いだろう。子供が孫が自分の跡を継いだとしても自分が死ねば何も残らない無くなってしまうのだ。子孫が続いたとしても、己には何の影響もないのである。
聖徳太子ですら、子孫は要らないと言われたそうだ。私には孫がいない、姉妹には大勢の孫がいる。悩んでいたが
なにか吹っ切れた感じがした。この世に生を受け、多くの楽しみを享受し、無になれば、全ての私物は捨て去る
気持ちが必要なのですね。兼好先生はさすが、鋭いですね。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み