第150話 鼎(カナエ)を頭に被り 徒然草53

文字数 878文字

□これも仁和寺の法師、童が法師にならんとする惜別として、おのおの遊戯をすることがあった。酔いて興に入るあまり、傍なる鼎(カナエ)という三本足の御釜を取りて、頭に被ったところ、詰まるようになるのを、鼻を押し平めて顔を差し入れて舞い出でたのである、満座する者、興に入ること限りなし。しばし舞い踊った後、鼎を頭から抜こうとするが、直ぐには抜かれず、酒宴も白けて、どうしようかと惑いけり。とかくする内に、頸の周りがすり切れ、血垂れり、ただ腫れに腫れあがり、息もつけないようになり、打ち割らんとしたが、たやすく割れず、打ち響く音に耐えがたくなり、どうしようもなく、万策尽き果て、三足なる角の上に絹の帷子を被せて、手をひき杖をつかせて、京にある医師の所へ連れて行く道すがら人が怪しみ見ること限りなしだった。医師の元に入りて、向い会った有様は、まさに異様なものだったろう。物を言うのもくぐもり声で、響いて聞こえず、「こんなことは医学書にも見えない、伝える教えもない」と言うので、また仁和寺に帰りて、親しき者、老いたる母など、枕元に寄り、泣き悲しむのだが、本人が聞いているの分からない。そうこうするうちに、ある者の言うには、「たとえ耳鼻は千切れ失くなっても、命ばかりはどうにか生きざらん。ただ力を入れて引き給え」とて、藁しべを周りに差し入れて、金属を隔てて、首が千切れんばかり引きたるに、耳鼻が欠け穴が開きながら抜くことができた。かろうじて命は助かったものの、長く病んでいたという。
※酒を飲んで、調子に乗ってやりかねない悪ふざけ、みからでた錆びとはいいながら、痛い目にあったことだろう。耳や鼻が千切れて、穴があいた等、想像するだけでも可笑しく笑ってします。本人は死ぬ思いだろう。酔っ払って他所の店の看板を持って帰る位なら、怪我はないだろうが、後でおまわりさんにこっぴどくお灸を据えられる。
※2 これも仁和寺で兼行法師が聞いた話しなのだろう。近くに住んでいて、寺の法師とも仲がよかったので、この話しをきいたに違いない。仁和寺の僧侶も知っているのでしょう、笑って居ました。
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