第166話 清浄心は豆の声も分かる 徒然草69
文字数 492文字
□播磨国の書写山にある円教寺の上人は、法華読誦の功が積もって、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根から起こる欲望を絶って清らかになられた人である。旅の仮屋に立ち入らたところ豆の幹を焚いて、豆を煮ている音がつぶつぶと鳴るのをお聞きになったのを、「縁があるお前たちも、恨めしくも我をば煮て、辛い目にあわせるものだな」と言っていた。焚かれる豆幹のばちばちと鳴る音は、
「我が心よりすることではないのだ。焼かれることはどんなにか堪え難いことか、力がないのだよ。そんなに恨み給うな」とぞ聞こえたという。
※修行を積まれた上人は、清らかな人になられ、人間が聞くことの出来ない声を聞き分けられるように、おなりになったのである。豆の幹や剥き殻を火にくべ、パチパチ音をさせ燃えている。鍋の中の豆は良い具合に煮えてきて、グツグツ言っている。その会話を上人は理解されるのである。燃える殻はバチバチ熱く苦しい、煮だっている豆だって熱くてたまらない。お互い人間様に奉仕するために生まれてきた運命なのだろうか。我慢してくれやと互いに慰め合う。「それでも良いと、慰めあって」と松山千春が恋で歌っていた。
「我が心よりすることではないのだ。焼かれることはどんなにか堪え難いことか、力がないのだよ。そんなに恨み給うな」とぞ聞こえたという。
※修行を積まれた上人は、清らかな人になられ、人間が聞くことの出来ない声を聞き分けられるように、おなりになったのである。豆の幹や剥き殻を火にくべ、パチパチ音をさせ燃えている。鍋の中の豆は良い具合に煮えてきて、グツグツ言っている。その会話を上人は理解されるのである。燃える殻はバチバチ熱く苦しい、煮だっている豆だって熱くてたまらない。お互い人間様に奉仕するために生まれてきた運命なのだろうか。我慢してくれやと互いに慰め合う。「それでも良いと、慰めあって」と松山千春が恋で歌っていた。