第213話 北条 時頼を接待受ける 徒然草216

文字数 718文字

□最明寺 入道、鶴岡八幡宮の社参の次に、足利左馬入道の許へ、まづ使いを遣って、立ち入られたところ、ご主人が接待を設けられた様子であった。一献目の膳には鮑を細長く切り薄く打ち延ばし干した物、二献目に海老、三献目にかいもちというぼた餅にて終った。その座には、亭主夫婦、隆弁僧正、主人方の人にて座せられていた。さて、時頼入道が「年毎に給わる足利の染物、待ち遠しいく候」と申されれば、「用意し候」とて、色々の染物三十、入道の前にて、女房たちに小袖に 整えさせて、後に送られてきた。その時、そばで見ていた人が、最近まで生きていたが、語られていました。
※足利左馬入道は足利義氏(1189-1254)。左馬頭。母は初代執権北条時政の娘。妻は三代執権北条泰時の娘。北条氏とは深いつながりがある。承久の乱で武勲を立てた。仁治2年(1241年)出家。北条 時頼は(1227ー1263)。鎌倉時代中期の鎌倉幕府第5代執権(在職:1246年 - 1256年)である。北条時氏の次男で、4代執権北条経時の弟。出家後は最明寺殿、最明寺入道とも呼ばれた19才ー30才が5代執権で30才(1257年)で出家。足利義氏は1254年没だから、とすると北条時頼が執権の頃、接待を受けたということでしょうか。
北条時政(1138-1215)初代執権
北条 義時(1163 - 1224)2代執権(鎌倉幕府)。北条時政の次男。北条政子の弟。
北条泰時(1183-1242)3代執権で娘が足利義氏に嫁ぐ
北条経時(1224-1246)4代執権  泰時の嫡男であった時氏(時氏は執権にならず病死)の子
北条 時頼は(1227ー1263)5代執権で時氏の子で経時の弟
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