第77話 人の生き方の指針 徒然草188

文字数 1,752文字

□ある者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説教などもして世渡りの方便ともせよ」と言いければ、教えのままに,説教師になるために、まず馬に乗ることを習った。輿・車は持たない身であるが、導師に招かれた時、馬など迎えに寄こせられたら、落ち着きの悪い尻で落馬したら、心配だと思った。次に、仏事の後、酒など勧められることもあらんに、法師が芸能の一つ持ってないと、招待者は興ざめに思うだろうと、早歌ということを習いけり。
 二つの技、ようやく上達してきたので、いよいよ良くしたいと覚えこんでいる内に、説教を習うべきひま無くて。年寄りになってしまった。
 この法師のみにあらず、世間の人、大体がこんなことであるようだ。若いほど、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成し、技能をも身に着け、学問をせんと、末長くこうあってほしいと思うことなども心掛けながら、世の中をのんびりと思って舐めてかかって、まず差し当たり、目の前のことにのみ気を奪われて、月日を送れば、ことごとく達成できず、身は老いてしまう。ついに一人前の技術を身に付けることもできず思うほどの身分にもならず、後悔しても取り返せない年齢なので、走って坂を下る輪のように衰えていく。
 されば一生のうち、こうあってほしいと思うことの中で、どれが優れているか思い比べて、第一番のことを考え定めて、その外の思いは捨てて一事を励むべきである。一日のうち、一時の中にも、数多くのことが発生するだろうが、少しでも益が優っていることを行って、その外は打ち捨て、大事なことを急いですべきである。どちらを捨てようかと迷っているようでは、一事もなすことはできないだろう。
 たとえば、碁を打つ人、一手も無駄にせず、人に先立ち、小を捨て大に就くが如し。それは、三つの石を捨てて、十の石に就くことは容易である。十を捨てて、十一に就くことは難しい。一つなりとも優る方に就くべきを、十までになると、惜しく思えて、多く勝さらない石に変えるのが難しい。これを捨てず、あれを取らんと思う心に、あれも得ず、これも失うのが道理である。
 京に住む人、急いで東山に用ありて、既に行き着いても、西山にいくとその利益が優ることを思いついたらば、門より帰って西山へ行くべきである。「ここまで到着すれば、このことをまず言ってしまおう。日を指定してないので、西山のことは帰ってまた思いなおそう」と思う故に、
一事の懈怠が、すなわち一生の懈怠となる。これ心配すべきである。
 一事を必ずなさんと思わば、他のことが破れる事を悩んではいけない、人の侮りを恥じてはいけない。万事に代えずして、一の大事はならず。人が沢山いる中で、ある者、「ますほの薄、まそほの薄などと言うことがある。渡辺の聖が、このことを伝え知っている」と語ったので、登蓮法師が、その座にいらっしゃったが、聞いて、雨が降っていたのだが、「蓑・笠はあるか、貸してください。かの薄のことを習いに、渡辺の聖に早速尋ねに行ってきますから」と言いけるを、「余りに物騒がしい、雨が止んでからにしたら」と人の言いければ「冷たいことを仰いますな。
人の命は雨の晴れ間を待ってはくれない。我も死に、聖も死ねば尋ね聞くことができますか」とて、走り出て行きつつ、習いに行ってくると申し伝えたというが、はなはだ有難く思われる。
「機敏な時は則ち功あり」と、論語という本に書いてある。この薄を合点がいかないと思うように、一大事という宿命因縁を思わなければならない。
※兼好先生は具体的に礼をあげて、人間の与えられた一生は短い、一つの自分にあう目標を捜し、それに向かって一途に邁進すべきである。目的を定め、本道を究めていけ、その他の枝葉のことは目もくれず、変人と言われようとも、やり抜くのだと激励される。確かいつの間にか、坂を転げるように年を取っていき、もうじき人生の幕がしまってしまう年頃になる。如何ともしがたき、この事態。世に名を残すために生まれてきたのか、人生を楽しむために神様がそれぞれに人生を与えて下さったのか。考えようである。人の生き方のノウハウを抽出して、表現されている。これは若い人に対する教訓として兼好先生は書かれているのであろう。
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