第26話 都の人と吾妻人  141

文字数 542文字

□悲田院の聖は、立派な武者だった。故郷の人が来て話すのに「東国の人は言ったことは当てになるが、都のひとは口先だけで真心がない」と言う。聖は「そのように言われるが、私は都に長く住み、馴染んでみますと、人の心が劣っているとは思わない。総じて心優しく情があるゆえ、人がわざわざ言うようなことは、きっぱりと断り切れない。騙そうとは思わないけれど、貧乏な人が多く、自然と本意でないことをを言ってしまう。東国人は私の出身だが、実の所優しさにかけ情愛がない。ひたすらぶっきらぼうで、はじめから嫌だと言ってしまう。裕福であるから、人に頼まれ、あてにされるのだろう」と理論的に話された。この聖、訛りが 激しく、荒々しく、仏典の教理など理解してないのではと思ったけれど、この一言を聴き、心惹かれるようになって、大勢の僧侶の内で住職なられているのは、このように柔軟なところもあって、そのお陰もあるのだろうと思った。
※京都の人は口で言っていることと、心は違うから、そのまま受け取ってはいけないという話を聴いたことがある。
訛りがひどい武者出身だと無骨で、仏典など極めてはいないだろうと思うが、悲田院の聖は外見だけで人を見てはいけないと仰っているのでしょうかね、
この段は、話の奥が深くて、難しい。
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