第58話 小野小町を慕う 徒然草173

文字数 458文字

□小野小町については、極めて定かではない。衰えた時の様子を、玉造小町子荘衰書の中に、文が見えている。この文書は清行が書いたという説があれど、弘法大師の目録の中に入っている。大師は835年に亡くなられている。小町が最も盛りの時期はその後のことではなかろうか。なおおぼつかないものだ。
※小野小町は生没不明だが、多分825年~900年頃の生没で、仁明朝(833~850)の宮廷に仕えたと推測されるようです。小倉百人一首に出てくる「花の色はうつりにけりないたづらに我身(わがみ)よにふるながめせしまに」という有名な歌を小野小町さんが作られたのです。13世紀前半に鎌倉幕府の御家人の宇都宮様の別邸の襖絵に百人一首を飾るので、藤原定家が選んだ優秀な歌100個だそうです。その当時でも、250年以上前の小野小町の生没や人物像は定かではなかったが、
見事な和歌は残していたようだとネットでは書いています。30歳ころの兼好先生は、450年前の小野小町に敬慕の念を抱かれていたのでありましょうか。
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