第239話 所願を捨て道を修む 徒然草241

文字数 765文字

□仲秋の名月の円かなことは、しばらくも留まらず、やがて欠けていく。心に留めない人は、一夜の中にそれほど変わるようには見えないのではないだろうか。病が重くなるのも、留まる隙もなくて、死後が既に近くにくる。されど、いまだ病が急ではなく、死に赴かない限りは、永久不変の生活という常住平生の心念が習性となっているので、生きている中に多くを成しとげた後、閑なとき道を修業しようと思っていると、病を受けて死門に臨む時、所願の一事をも成就していないのである。言うかいなく、過ぎ去った年月の懈怠を悔いて、この度、若し立ちなおって命を全うすることが出来るならば、夜を日についで、こんなことや、あんなことを、怠らず成し遂げますと願いを起こすようであるが、やがて病が重なってくると、我にもなく取り乱して死に果てるのである。こういう類いの人が本当に多いのである。このこと、まず人々は急ぎ心に留め置くべきである。願い事を成就した後、暇があって仏道に向かおうとしても、願い事は尽きることもないのだ。幻の如き生の中で、何事をなすというのだろうか。全て願い事はみんな妄想なのである。所願が心にやって来たならば、妄想で心が混乱しているという事を認識し、一つの願い事もなすべきではないのだ。直ちに万事を放り出して仏道に向かうとき、何の障りもなく、すべき仕事もなく、心も身も長く静かな状態でいられるのである。
※宗教における指導者は、説得の技術の上手下手で、信じる人を納得させ引き込むことができるか、大いに違ってくる。上手な説教者に遭遇すれば、心の痛みも治癒してくれる。下手な説教者だと「この偽者め!と激怒されるのがおちである。仏道で心の平安を得ることができるか、できなくて嫌だ嫌だといいながら、閻魔大王に地獄の底に引きずり込まれるか、いずれかであるのだろうと思う。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み