第50話 自分の習俗でない 徒然草165
文字数 300文字
□東国の人は、京都の人に交わったり、都の人が東国に行き身を立てたり、また本寺・本山をはなれた顕教や密教の僧、自分の習俗でないのに、地の人と交わっているのは見苦しい。
※東国人が地方の訛りのまま京都人に話しかけたり、京都の人が東国で京都弁を遣い生活するのは見苦しいことだ。顕教とはお釈迦様が悟りを開き、輪廻転生からの解脱を目的にわかりやすい言葉で多くの人に説いた教え。弘法大師空海が日本に広めた。密教とは大日如来の教えである宇宙の根源や真理といった知識を厳しい修行の中で獲得するもの。だそうです。顕教や密教の僧、自分の習俗でないのに、地の人と交わっているのは見苦しい。と兼好先生は仰るのでしょう。
※東国人が地方の訛りのまま京都人に話しかけたり、京都の人が東国で京都弁を遣い生活するのは見苦しいことだ。顕教とはお釈迦様が悟りを開き、輪廻転生からの解脱を目的にわかりやすい言葉で多くの人に説いた教え。弘法大師空海が日本に広めた。密教とは大日如来の教えである宇宙の根源や真理といった知識を厳しい修行の中で獲得するもの。だそうです。顕教や密教の僧、自分の習俗でないのに、地の人と交わっているのは見苦しい。と兼好先生は仰るのでしょう。